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革命後のカイロキーの軌跡(まとめ) [音楽]

(タイトルを改めました。1/31)
去年の1月25日革命で「自由の声」をリリースし、一躍人気者となったエジプトのロックバンド、カイロキー。若者たちの絶大な支持を受けつつ7月にリリースした2ndアルバム「指導者を求む(Matloub Zaeem)」には、こんな曲も入っていた。おそらくはこのアルバムの中で、「自由の声」とタイトル曲「指導者を求む」についで人気の高い曲だろう。

「翼を広げて」(生放送テレビ番組ライブバージョン)

「君は何だって夢みることができる 君は希望そのもの
君が求めるものすべてが 君の中から君を呼ぶ
過ぎたことは忘れよう 自分で運命を書くんだ
死んだ夢を目覚めさせよう 心の中の言葉を叫ぼう
 翼を広げて飛び上がれ 天井ははるか空の彼方
黙っている間に考えろ 自分の心の中を探せ
色を塗れ、絵を描け 心を開いて輝け
道のりは遠くはない 君は一人じゃないと信じるんだ
すべてが新しい 今こそ君の時だ、きっと
 翼を広げて飛び上がれ 天井ははるか空の彼方
彼らは君を遠ざけようとする 君の視界を遮り、帰そうとする
生かすも殺すも彼ら次第 君が存在しないかのように
 翼を広げて飛び上がれ 天井ははるか空の彼方」

なんとポジティブな歌であろうか。歌詞も曲調も希望に満ちている。

7月の時点では、カイロキーも、タハリールに集まったシャバーブ(若者たち)も、天井知らずの希望の中を、「翼を広げて」飛び立つ気分でいた。もちろん彼らには、「君が存在しないかのよう」に振る舞う傲慢な敵の姿が見えていたわけだが、「今こそ君の時」と言い切れるくらいには楽天的であった。

このポジティブなメロディーはこの後、コカコーラのCMソングにも採用されている。


その後、このブログでも紹介しているとおり、軍と若者たちの間の緊張は高まっており、昨年11月には「広場よ」という曲が出た。革命直後の高揚感は消え失せ、さらなる戦いに望む静かな決意がみなぎる曲だ。

そして革命1周年を機にカイロキーが発表したのがこの曲。

「その場所を動くな」feat. Zap Tharwat

「その場所を動くな ここがお前の居場所
恐怖心はお前を避けていくが 良心は裏切らない
その場所を動くな 日の光は戻ってくる
立ったまま死のうと ひざまずいて生きていようと
その場所を動くな お前はその目で証拠を見る
ヤツらから離れろ ヤツらに壁が倒れかかってもほっておけ
その場所を動くな 祖国の心は傷ついた
自由の声は すっかり遠吠えになった
 お前の言葉は理解されない お前の気持ちは表現できない
 お前が尊厳を口にしても ヤツらは侮辱で答える
 お前が正義を口にしても ヤツらは馬鹿にして返す
その場所を動くな ここがお前の居場所
恐怖心はお前を避けていくが 良心は裏切らない
その場所を動くな お前は夜明けの光
お前がスローガンを叫ぶ声は 銃弾や裏切りの声より大きい
その場所を動くな アザーンの声に祈れ
神はお前の味方だ 真実と正義と平和という名を持つ
その場所を動くな 兄弟と肩を組んで
魂が去ったとしても 思想は決して死なない」

「その場所(お前の場所)」とはタハリール広場のことだろうか。1年前に若者たちの心を沸き立たせたあの「自由の声」が、すでに「遠吠え」となっているという歌詞が悲しい。しかし彼らは「日の光は戻ってくる」と信じて、今日も広場に集まっているのである。にしてもZap Tharwatのラップはかっこいいな。(まだ訳していませんが)。

昨日NHKで放映されたBS特集「革命のサウンドトラック~エジプト・闘う若者たちの歌~」のラスト近く、アルジャジーラの記者が語っていた、「この後エジプトは、ムバラク時代よりもなお悪い独裁政治に移行する可能性がある」との不吉な予言が、実現しないことを祈りつつ。

指導者ヲ求ム [音楽]

エジプトの新たな革命記念日1月25日を機に、多くのアーティストたちも動いている。

ムバラク退陣の直前にタハリール広場に現れ、デモ参加者たちから絶大な支持を受けたシーリーン姐さん。そもそもそんなに革命に賛同していたわけでもなかったと思うのだが、一周年には広場でシュプレヒコールを先導している。いやはや。


一方、退陣直前にタハリールに現れたものの、「みんなうちに帰ろう」と逆方向の主張をしたためデモ隊につまみ出されたターメルは、今ではすっかり名誉回復なったという感じか?しかしツイッターなどを見る限り、「またターメルの泣き顔が見られるって?」と野次られていたりする。
これはターメルの新曲「スマイル」。


革命で一躍名を挙げたシンガーに、ラーミー・エサームがいる。ギター一本でデモ隊をあおりまくり、「革命のロックスター」と呼ばれている。今回、一周年記念にあわせて新譜を発表。その名も「マンシューラート」、訳すと「ビラ、パンフレット」という意味だ。革命歌手にはふさわしいタイトル。中身はムバラクを批判していた一年前とほとんど同じのようだが、「ムバラク出て行け!」を「軍政出て行け!」と言い換えたりし、今も革命は続いているのだと言わんばかりだ。
全曲、彼の公式サイトからダウンロードできる。
http://www.ramyessam.com/

そして、カイロキー。「自由の声」以来彼らの人気はうなぎ登りだ。

彼らが7月に出したアルバムのタイトルチューン「Matloub Zaeem」のビデオクリップが、このたび公式にyoutubeにアップされた。今まではネットテレビ「ゴムホレイヤ」のサイトでしか見られなかったのだが、これもやはり一周年記念ということか。

幾分長尺なこの曲には、今も革命継続中の若者たちの主張がぎっしりと込められている。彼らが革命にどんな思いを託し、新たなリーダーとしてどんな人物を求めているのかが歌い込まれている。抜粋して紹介すると...

「指導者を求む 支配者に裏切られた民衆のための
彼らは迷わされ辱められ 目も口も塞がれることを恐れていた
牢屋に引き渡され 飢えた犬どもにずたずたにされることを
だけど民衆は逆境にめげずに咆哮を挙げ
2週間で処刑人の砦を揺らし体制を壊した
圧制者たちの頭上で」

「指導者を求む 臆病者を良しとしない
僕らの鼓動までしっかりと聴いてくれる
僕らの真ん中にいて 決して宮殿なんかには住まない
墓地に住んでいる人のことを慮って
僕らと同じ物を飲み食いし 僕らの一員として暮らし
僕らの意見を聞いて取り入れてくれる
いざとなれば僕らは彼のまわりに集まって
彼のため命を投げ出すだろう」

「指導者を求む 僕らは彼を法で諮れる
信頼を裏切ったならクビにすることもできる
容姿は問わない 年齢も問わない
宗教も問わない 人間であることが唯一の条件
つまりは、真の漢を求む」

ビデオクリップも良くできている。
冒頭はナセル、サダト、ムバーラク、そしてオマル・スレイマーンによる、政権交代の発表演説をサンプリングしている。
まず登場するのがボーカリストのアミール・イード(ちょっと太った?)。カイロの町中をつぶやくように歌いながら歩いている。冷笑的に見ている通りすがりの人たち。そこへ、ギタリストのハワーリー君が加わる、そして、角を曲がると数名の若者が加わり、さらに数名と、その数は次第に増えていく。女性の姿もある。皆が手にプラカードを持っている。
クライマックス、「容姿は問わない(la yushtarat li shakro eeh)、年齢も問わない(la yushtarat li sennno eeh)、宗教も…」という箇所で紙吹雪が舞い、ボルテージは最高潮に達する。まさに去年の若者革命の縮図、といった様相だ。

歌詞を吟味すると、いろんなほのめかしがあるようだ。「宮殿」に住む指導者というのは当然、ムバーラクのことを言っているのだが、「僕らの一員として暮らし」などはアムル・ディヤーブへの当てこすりだろう。ちなみにカイロでは墓地にスラム街が形成されている。

理想の指導者像としては、なにやら前時代的(ナセル的?)な英雄像がダブって見えたり、「真の漢」と訳した部分が直訳では「男」を意味する単語dakarだったり(女ではだめなのか?)と、アラの見える箇所もある。しかし、若者たちが求める市民社会の理想像が率直に表現されているこの歌詞からは、彼らがかなり理性的・論理的に変革を望んでいることがうかがえるのである。

ところでカイロキーにしろ、ラーミーにしろ、「アルバム発表」と良いながら、CDの形になっているものを見かけない。i-Tunesでも売られていない。一体正式にはどこで入手できるんだろうか?

タハリールへ再び [音楽]

譜面台に立てかけられた「自由の声」の手書き歌詞カード。焼け焦げた穴の開いた上着。血のついたシャツ。拡声器。割れたメガネ…

ビデオクリップの冒頭に映し出されるのは、今年一月から二月にかけてタハリール広場で繰り広げられた激しい攻防戦を偲ばせるアイテムの数々だ(少しわざとらしい感じもするが…)。

ムバラク退陣の直前に「自由の声」を発表したアミール・イード率いるロックバンド「カイロキー」は、その後「革命の英雄」としてあっちこっちのロックフェスやライブコンサートに引っ張りだこ。それまでインディーズで活動していた彼らが一躍エジプトを代表するミュージシャンとして、海外のメディアにまでも登場するようになった。

そうやって人気者になっていくカイロキーの活動をフェースブックなんかを通じて僕もこっそりウォチしていたのだが、革命も一段落したことだし、彼らも今度は国民統合のシンボルとして流行歌を量産していくのだろうななどと、少しさめた目で見ていたものだった。

しかしここへ来て、11月19日に始まる「エジプト第二の革命」とも呼ばれるデモ隊と治安部隊との衝突。今や押しも押されもせぬアイドルバンドとなった彼らが果たしてどう出るのか、期待と不安の半々の気持ちでウォチを続けていたが、嬉しい誤算というかなんというか。要するに、彼らはまだまだ革命から降りちゃいなかったのだ!

11月29日付、アミール・イード名義でYoutubeに投稿されたカイロキーの新曲ビデオは、11月後半に始まった一連のデモへの支持を表明している。ウード奏者のアーイダ・アイユービーをゲストに迎えたこの曲は、「自由の声」とはうって変わってオリエンタルなムードをただよわせている。

「広場よ、久しぶりだな」と、タハリール広場を擬人化し、古い友人と再会したかのように語りかけている。この「久しぶり」と訳した表現、直訳すれば「お前は長いことどこにいたんだ」という疑問文である。僕もカイロ留学中に、ちょっと会わないでいた知人と久しぶりに会うと、よくこのフレーズで話しかけられていたものだ。どこにいたも何も、ずっとカイロにいたわけだけど、これが友と再会した時のおきまりのフレーズなのだと知った。

「広場よ」カイロキー feat.アーイダ・アイユービー


以下、拙訳です。
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ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
僕らは一緒に歌い、頑張り 恐怖と戦い、祈った
昼も夜も力を合わせ お前がいれば何だってできた
自由の声にみんなが集まり 人生が初めて意味を持った
ひるまずに声を上げて 夢はついに叶ったじゃないか

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
お前は壁を壊し光を灯し うちひしがれた人々を周りに集めた
僕らは生まれ変わり 見果てぬ夢も生まれた
意見は違えど思いは清らかで 時にビジョンはぼやけてたけど
故郷と子孫と 散っていった若者たちの権利を守ろうとした

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
僕らは共に感じ、始めたけど 遠ざかると終わってしまった
僕らの手で変えるんだ お前は多くを与えてくれたがやり残したことがある
お前を思い出にしてはいけない 離れていると思いが萎える
戻って来よう、過ぎたことは忘れて お前のことを語り継ごう

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
広場は色んな人でいっぱいだ 物売りに勇敢な者
積極的な者、通り過ぎる者 声を上げる者、黙り込む者
集まって茶を飲めば どうやって真実を得られるか分かる
お前は世界に聞かせてくれる 人々を集めてくれる

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
思いが僕らを力づけ 武器は団結の中にある
広場は真実を語り 不正にはいつも「ノー」と言う
広場は波のよう ある者はそれに乗り、ある者は引く
ある者は外にいて めちゃくちゃだ、運命は変えられないのにと言う

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
----------

以上。歌詞は上掲youtubeのリンク先コメント欄に、アラビア語原文と英訳文が載っていたので、大いに参考にしました。人称代名詞は意見が分かれるところだと思うが、男女で歌詞を訳し分けるのがいやだったので、ここでは「僕」で統一。それ以外にもかなり超訳しちゃってるところがあるのだけど…

ウード弾き語りのアーイダ・アイユービー、革命後に初めて知ったアーティストだが、りんとした歌いっぷりがかっこいい。「アイユービー」という名字がどうしても気になってしまう。アイユーブ家の末裔?

(説明文と訳文、大幅に書き換えました)

追記:下記のサイトで日本語字幕付きビデオが見られるようになりました。
Universal Subtitles
http://www.universalsubtitles.org/ja/videos/c27paD8jFpNt/

追悼曲はシャバービー歌手にとっての踏み絵か [音楽]

前回のエントリを書いたあとに知った情報を追加。

まずエジプトの氷川きよしことハマーダ・ヒラールは、革命成就直後の12日に、新MVを発表。

これ、タハリール広場に停まってる戦車を背景にベソをかくハマーダの映像と、デモ中の民衆の映像が巧みにモンタージュされていて、まるで彼がデモの最中にタハリールにいたみたいな演出になっている。しかし、ハマーダがタハリールに足を運んだのは12日、まさにムバラク辞任の翌日だ。多分、前エントリで伝えた「清掃活動」の時に、こっそりと撮影したんだろう。たったの一日でこれだけの作品を仕上げたのはたいしたものだが、「ハマーダも革命に参加してました」とでも言わんばかりのこの演出は、正直いただけない。

話が飛ぶが、1998年の秋に横浜ベイスターズが優勝した時に、それまで巨人応援モード一色だった横浜そごうが突如「そごうはベイスターズを応援していました」との垂れ幕を下げてセールを始めたことを思い出してしまった。そのとき僕は「くそー騙されるもんか」と思いつつも、セールをしてくれるのは消費者にとっては良いことなので、一概に否定できない自分もいたんである。まあ横浜優勝だなんて当時誰も予想しなかったことだし、しょうがないことかな、とも。

なんだか変な話になってしまったが、この優勝便乗セール的なMVが、ハマーダに限らずシャバービー歌手たちの中からどんどん発表されているのが今のエジプトのトレンドである。

中堅実力派女性歌手のアンガームが歌う「ヤナーイル(一月)」。このMVではレディーガガ的演出は封印して、犠牲者を追悼している。わずか一分半ほどの小品だが、映像のクオリティは高い。


若手男性歌手ではターメルと人気を二分するムハンマド・ハマーイーも追悼ソングを。あいにく、映像の方は作っていないようだ。


これらをざっと眺めると、キーワードは「ショハダー・ハムサ・ウ・イシュリーン」つまり、「25日(革命)の殉死者」たち。彼らを英雄的に賛美し追悼するのが、これらの曲の基本スタンスである。

そしてさらに注意したいのは、これらの曲が最初にアップされているのはいずれも12日。つまり制作者側は、革命の帰趨を見届けたのちに、それぞれの曲を発表したということになる。曲の方はそれ以前に吹き込んでいたんだろうけど、映像は急ピッチで作成されたことだろう。

当然、これらのMVを眺めるシャバーブ(若者)たちは冷ややかである。犠牲者を追悼したいんなら、なぜもっと早く出てこなかった?というのが本音だろう。実際、youtubeのコメント欄にも「あんた革命中どこにいたんだよ?」との容赦ない質問がいくつか見られる。

しかし、シャバービー歌手たちにとっても、ここは譲れないところだ。追悼曲を歌わずにいることで「旧体制の手先」とのレッテルを貼られてしまう危険を考えれば、たとえ「偽善者」とそしられようが今何か歌っておいた方がいいのである。なにせ、シャバーブの人気を失ってはシャバービー歌手はやっていけないのである。そんなわけで、今のこの革命便乗大セールが続いているのだ。

そしてついに、エジPOPのスーパースター、アムル・ディヤーブも新曲を出した。彼はデモ開始後早々に、ムバラク支持の集会に顔を出した(動員された?)とも伝えられており、筋金入りの旧体制派と思われても仕方ない人である。そんな彼が取り上げたテーマもやはり、「ショハダー(殉死者)」への追悼だった。

本人は姿を現さず、エジプト国旗の背景の上に次々と「殉死者」の肖像が並べられていく。…あれ、なんだか他の映像に比べると殉死者の数が多いような。これは確証が持てないんだけど、アムルの出してきた殉死者の中には、制服を着た警官の人なんかも含まれている気がする。だとするとそれはすごいことで、ここにはアムルの明確な主張が込められている、つまり、デモに参加した人も旧体制側についてた人も、これからはノーサイド、新しいエジプトのために力を合わせましょう、という主張が込められていることになる。よく言えば未来志向だが、革命派のシャバーブにとっては噴飯物だろう。まあ、あくまで推測なんだけど…

ともかく、12日以降にどしどし発表されているにわか作りの追悼曲を並べてみると、まあそれぞれ作りは立派なんだけど、なんだかなーという感じがどうしてもしてしまう。とするとやはり、前に紹介した「自由の声」は、革命の真っ最中に、制作・発表されたという点で、他のシャバービー歌手たちの曲とは全く性質のことなるもの、ということになるだろう。「自由の声」の発表日は2月10日だった。これはいくら強調しておいてもいいと思う。

シャバーブ革命後のシャバービー歌手 [音楽]

エジプトでの今回の一連の事件。これをなんと呼ぶかについては、日本語メディアの中でも意見が分かれているようだ。チュニジアのジャスミン革命にならって、ロータス(睡蓮)革命と呼ぶ者、エジプトの植物と言ったらパピルスだろと言う者、フェイスブック革命だ、ツイッター革命だ、革命2.0だ、いやただエジプト革命と呼べばいいのだ、などなど。

しかし現地メディアを見れば、革命の呼称はいたって明快である。ズバリ、「1月25日若者革命」、あるいは単に「若者革命」と呼ぶことも多い。「若者」の原語は「シャバーブ」。したがって本ブログでも、今回の革命を「シャバーブ革命」と呼ぶことにしたい。

さて、シャバーブ革命と言うなら、本ブログでいつも紹介している「シャバービー(若者向け音楽)」のスターたちの動向に注目されるところだ。しかし、3つ前のエントリ「エジプト革命とエジPOPスター」で述べたように、彼らシャバービー歌手たちの多くは旧体制側のメッセージを伝えるかのような歌を発表し、ムバラク退陣を求めるシャバーブたちには冷淡であった。

そんなシャバービー歌手たちに対し、革命シャバーブたちも容赦はなかった。すでにデモの期間中に、facebook上に「政府の手先芸能人ブラックリスト」を作っていたという(参考記事:ElaphAl BawabaAsharq alAwsat)。タハリール広場にきたターメル・ホスニーが速攻でつまみ出されたのも、彼の名前がすでにそのブラックリストに載っていたからだったのだ。

しかし、シャバーブの支持を失ってしまっては、シャバービー歌手にとってはおまんまの食い上げである。革命が一段落した今、シャバービー歌手たちは名誉回復に必死のようだ。

まず笑えたのはElaphのこの記事。デモ隊が去った後のタハリール広場をエジプト市民が自主的に清掃活動をした、っていうニュースが話題になったが、なんとそこにエジプトの氷川きよしことハマダ・ヒラールの姿もあったという。ていうかあんたデモの間どこにいたのよ?はっきり言ってすごくどうでもいい記事。

しかしまあハマダ君は特にデモ中、目立った活動をしていなかったので毒にも薬にもならなさそうだが、あからさまに旧体制支持の歌を発表しちゃった歌手の場合は事情は深刻だろう。たとえばイハーブ・タウフィーク。以前紹介したとおり彼は、「エジプト人よ、さあ帰ろう(タハリール広場から!)」という歌を歌っちゃってる。そんな彼が革命後発表したのがこれ。「エジプト人の子供」

手のひらを返して革命を賛美する姿勢に、またも笑ってしまった。国旗を振りつつ「ウンム・ッドンヤ、マスル!(世界の母、エジプト!)」と歌うラストが圧巻だが、youtubeのコメント欄では「偽善者!」と思い切りののしられている。

そして今回一番注目を集めている(悪い意味で)のがターメル・ホスニー。革命のさなかに、デモ中の犠牲者を追悼する歌を発表しているのだが…

「ロマンスィー王子」の本領発揮ともいうべき、きわめて彼らしい良い曲だと思うんだけど、これを発表したあとに、例のタハリール追い返され事件が起こっている。よっぽどテレビでひどいこと言ったんだな。

で、革命後に彼が発表したのがこれ。「おはようエジプト」

例によって当たり障りのない愛国ソングだ。最初の方に出てくる女性モデルが、ipadでフェースブックのサイトを見ているシーンがあって、なぜだかエジプト国旗を画面いっぱいに映し出したりしているのが、なんだか見ていて痛々しいくらいにけなげな感じがする(ターメルが)。

ターメルにせよイハーブにせよ、結局、早い段階でリアクションをして、それがデモに参加していたシャバーブたちの反感を買ってしまったというのが敗因だろう。もちろん、事務所の意向だかなんだか知らないが、彼らに体制よりの歌を歌わせようとしたお偉方の存在、というのもあるかもしれない。確かターメルもイハーブも、所属するレコード会社はエジプト企業だったと思う。

一方で、タハリールのシャバーブたちに歓迎され、革命後も高い人気を保っているシーリーン姐さんは勝ち組と言えるだろう。彼女が幸運だったのは、デモ開始時には湾岸ツアーの真っ最中で、エジプトにいなかったこと。つまり、どう振る舞うかじっくりと考える猶予があったのだ。(それはターメルとて同じだったのだが、何を血迷ったか電話インタビューに答えてしまった)。また、シーリーンの親会社がRotana(湾岸企業)であるのも、何か関係があるかもしれない。Rotanaがムバラクの顔色をうかがう必要などないからだ。

一人勝ちのシーリーン姐さんが、アハラーム新聞のWEB雑誌部門のインタビューに答えて、いろいろ偉そうに語っている記事。「今こそ私たちの声を世界に聞かせる時よ!」みたいな。

ターメルやイハーブは、確かにうかつだったかもしれない。しかし、デモの最中は彼らのような考え方をするエジプト人も、結構いたはずだ。つまり、「もう出馬しないと言ってることだし、そろそろ事態を丸く収めようよ。正直もう生活苦しいし」と。ターメルたちはそんな声なき声の代弁者であったはずだ。革命が劇的に幕を下ろした今となっては、ターメルたちばかりがはしごを外された形になり、「親ムバラク」のレッテルを貼られているが、実際にはタハリールに集まった人と集まらなかった人との間には深い亀裂が刻まれているのかもしれない。

そんなエジプト人たちの心を再び一つにするためには、ターメルたちシャバービー歌手の責務は大きいと思うんだけど。今彼らが慌てて発表している愛国ソングが「みそぎ」となって、早く人気を回復してもらいたいものである。エジプトには、ロックやラップだけでは物足りないのだ。

いよいよエジロックの時代が来るのか [音楽]

まずは、前回のエントリで紹介した「自由の声」、僕がブログに和訳を載せているのを、ツイッターを通じて見つけてくれた@ghhotiさんが、字幕にしてYoutubeにアップして下さいました。ありがとうございます!


この曲とビデオ、評判がいいようなので、この機会にエジプトのロック歌手の紹介をば。

作詞作曲とビデオ前半のボーカルを担当しているのは、アミール・エイド(Amir Eid)という人。はじめは気づかなかったが、何とこの人、「カイロキー(Cairokee)」というバンドのボーカルをやってる人だった。バンド名の「カイロキー」とは聞き慣れない単語だが、なんでも「カイロ」と「カラオケ」を組み合わせた造語だというから、日本人にも親近感が湧くではないか。公式サイトはこちら

彼らのビデオクリップはこんな感じ。もう、ボーカルの声質からしていかにもロックではないか。

「自由の声」のクレジットを見ると、ギターもこのバンドの人のようだ。

一方、ビデオ後半のボーカル担当で音楽プロデューサとしてクレジットされているのは、ハーニー・アーデル(Hany Adel)。下町ロックバンド「ウステルバラド(Wust el Balad)」のボーカルだ。バンド名は日本語で「下町、ダウンタウン」という意味。メンバー8人のやたら大所帯なバンドだ。公式サイトはこちら、フェースブックはこちら

彼らのビデオクリップは、昔このブログで書いたけど、なんとなくポップすぎてあまりよろしくない。しかし、ライブ演奏を元にしたこのMVは、泥臭くてものすごくかっこいいのでぜひ見て聞いてほしい。


前にも書いたとおり、エジプトのPOPスターたちがのきなみ体制支持の姿勢を見せていたのに対し、これらのロック歌手たちはみなデモ側にコミットしていたようだ。そこいらのPOPスターが、あの時のタハリールでビデオ撮影をしようものなら、デモ隊から帰れコールを浴びて即時退場となっていたことだろう。ロック=反体制という図式がエジプトにはまだ当てはまると言うことなのか。あるいは彼らロック歌手がずっとインディーズで日の目を見ない存在だったために、容易にデモ側に乗っかれたと言うことなのかもしれない。

さてデモ隊に加わるロック歌手としてはもう一人、前回名前だけ挙げたラーミー・エサーム(Ramy Essam)がいる。彼は連夜のタハリール広場の座り込みで、ギターを弾きながらシュプレヒコールを盛り上げた人物。フェースブックはこちら

「僕らみな、力を合わせ、望むのは ただひとつ
 出て行け!出て行け!出て行け!出て行け!」
すっごい単純なフレーズなんだけど、みんなで唱和してなんとも楽しそうだ。デモって言うのはこうでないと。
注目したいのはこのフレーズにある「力を合わせ」という部分、正しく訳すと「ひとつの手で(ايد واحده)」となるのだが、これはPOPスターのターメル・ホスニーが最近発表した、愛国ソングのタイトルだ。ターメルと言えば今回のデモに際して体制側の発言をしたためにデモ隊からむちゃくちゃ嫌われた歌手だが、このシュプレヒコールはそんな彼への当てこすりにもなっているのかも知れない。

で、この動画で使われてる音源が、リミックスされてた。ちゃんとした曲っぽくなっている。
RamyEssam

もう一人、エジプト人ロッカーではクール(Koor)という人が前から活躍してるけど、これはタハリールには来てなかったのかな。でも彼は彼で、こんな革命ソングを発表している。


こうして並べてみると、エジプシャン・ロックの世界も意外と層が厚そうだ。今回のデモで一躍名を世界に知らしめた彼らが、これからどう活躍の幅を広げていけるのか、今後が楽しみである。

※2月16日追記:
「自由の声」の原文が知りたい、というお問い合わせを受けたのですが、下記トラックバック元にある榮谷さんのブログ「アラビア語に興味があります。」では歌詞のアラビア語と日本語の対訳が掲載されています。是非ご覧下さい。

タハリール広場から自由の声 [音楽]

前回はエジPOPスターの有名どころがこの二週間で発表した楽曲をいくつか紹介したが、多くのスターたちは体制側の主張、つまり、

「民主デモは立派だけど、そろそろ撤収したら?」

をなぞるようなメッセージを発していた。まあ先行きの分からなかったあの状況下では仕方ないこととはいえ、デモへの全面支持を訴える曲が、ビッグネームの方から出てきてもよかったのではと、少し寂しく思っていた。

デモに完全コミットして革命の歌を歌っていたのは、インディー・ロック歌手のラーミー・エサームだけか…と思っていたのだが、ここに来て待ちに待った情報が!(@ottabedaさん、感謝です)

アミール・エイドという名前がクレジットされているが、参加アーティストとしてこのブログでも以前紹介したことのあるカイロの下町ロックバンドWust el Balad(アラビア語で「町の中、ダウンタウン」という意味)のボーカル、ハーニー・アーデルの名前もある。ムバラク辞任発表の直前にアップされたビデオクリップ。まさにデモの真っ最中のタハリール広場で生まれた革命の応援歌と言うことになる。あの広場のテントの中で、こんなものを作ってたのかと、感心させられる。

デモに参加する市民たちが次々に現れ、みんなでワンフレーズずつ歌い継いで行くという映像。若者も老人も、男も女も、コプトもムスリムも、様々な人々がフィルムにおさめられている。この映像を見ているだけでも感動的でもらい泣きしてしまうのだが、なにしろ歌詞が素晴らしいのだ。幸いビデオクリップの中で歌詞が紹介されているので、以下に訳出したい。

1
もう帰らないと言って僕は出てきた
すべての道に血で文字を書いた
聞こうとしない人にも話を聞かせたら
邪魔するモノはみんな崩れ去った

夢だけが僕らの武器だった
目の前に明日は開けてる
ずっと前から待っていた
探しても見つからない僕らの居場所

この国のすべての通りから
自由の声がわき上がる

2
空に顔を向けた僕らには
もう空腹なんてどうでもいいんだ
重要なのは僕らの権利
僕らの血で歴史を刻むんだ

君も僕らの一員なら
もうそんなことは言わないでくれ
「もう行こう、夢なんてほっとけ」とか
「”私”なんて言うのはよせ」だなんて

この国のすべての通りから
自由の声がわき上がる

...やや超訳気味だがいかがだろうか。ものすごくストレートなプロテストソング。どう聞いても革命の応援歌だろう。注目して欲しいのは、二番の真ん中ごろの歌詞、「君も僕らの一員なら」という部分だ。前のエントリで紹介したとおり、三年ほど前に大スター、アムル・ディヤーブがムバラク賛歌を歌っていたが、そのタイトルが「僕らの一員」というのだ。彼らはアムルたち体制側の歌手とその同調者に向けて、強烈なメッセージを発しているのだ、と考えるのはうがち過ぎだろうか。

ところでこの歌の最後の方で、誰かの演説がサンプリングされているんだけど、これ誰の演説かわかる人いませんか?

※2月17日追記
「演説」ではなくて、「詩」でした。詳しくは下のコメント欄K.Yamamotoさんの書き込みをご覧下さい。
またこれまでに訳についてもいくつかご指摘を頂きましたので、誤訳箇所を何ヶ所か(何ヶ所も)訂正しました。サカエダニさん、Yamamotoさん、ありがとうございました。

エジプト革命とエジPOPスター [音楽]

エジプト情勢、動きが速すぎてとてもフォローできないんだけど、とりあえず集まってる芸能情報を。

まず前エントリでMAD動画を紹介したシャアバーン・アブドゥッラヒーム。ツイッターでは「今頃大統領とデモ隊、どっちをけなす歌を作ろうか思案中」などと噂された彼が、2月5日に新曲を発表。どのエジプト人歌手よりも素早い対応だった。

ただし、ビデオクリップの映像は誰かが勝手にコラージュしたもの。本人は歌だけ歌ってるにすぎない。「革命はそりゃ立派だけど、そろそろうちに帰ろう」的な主張。でもって、スレイマンもバラダイも、どっちも駄目だという。皮肉の切れ味もちと鈍い感じだが、さすがに「バヘッブ・ムバーラク(ムバラク大好き)」とは言えなかったようだ。

次に飛び込んできたのはムハンマド・ムニールの新曲「どうよ?(izzay?)」。ムニールと言えばエジPOPの「王(マリク)」と呼ばれる大物。普段あまり政治色を出さないタイプの歌手なので、少し意外に感じる。

とはいえ、youtubeに挙げられてる説明を見ると、元々去年の10月に曲自体は作られていたが、今回のデモを受けて、映像をつけて発表されたということらしい。曲の歌詞をみると政治や社会のことなどには触れていない模様。普通のラブソング。ただ、2人称表現が女性形で書かれていて(エジPOPでは通常2人称は、歌手の性別を問わず男性形を用いる)、あたかもエジプト(女性形単語)に向けて「君に惹かれてしまうのってどうよ?」と言っているように解釈されるのではないだろうか。映像の方も、急ごしらえにしてはニュース映像などを効果的に用いている。

その後ばたばたとエジPOPシンガーたちが新譜を発表。

たとえば中堅歌手のヒシャーム・アッバース。「この国は僕らの国」。

2005年の大統領選挙以来、次々に作られているエジプト愛国ソングに連なるメッセージだ。たとえば2005年にシーリーンが歌った「我が国」のビデオクリップと、今回のヒシャームのビデオを見比べてみるといいだろう。シーリーンの曲の冒頭に出てくる農家のおっさんが、ヒシャームの2:05頃に全く同じ映像で登場する。エジプトを支える農家の人、コプトとムスリムが仲良く手を取り合う様子、そんなエジプト国民統合にはうってつけのシーンが目白押しだ。

それから庶民派伝統歌曲を得意とするイハーブ・タウフィーク。「エジプト人よ、さあ帰ろう」。

なんだか国営放送の呼びかけそのまんまな曲名で笑ってしまった。要するに、デモ隊はもう解散しなさいということ。映像面ではやはり、上記ヒシャームと同じ作りだ。ところどころニュース映像は挟んでいるものの、装甲車が市民をひき殺すシーンなどは当然ながら使っていない。デモを真っ向比定するわけではなく、やんわりと、そろそろやめたら?と促しているよう見える。

ちょっとわかりにくいのは、マフムード・エセイリーの「薬屋さん」。

「もしもし、薬屋さん?開いてますか閉まってますか?ここにけが人が居ます。何でケガしたのか知らないけど」
などととぼけた歌詞。タハリール近辺の混乱状況を描写したものか。つけられた動画は公式のものではなさそうだが、比較的、デモ派の若者にも受けの良さそうな画像が選ばれているように見え、上の2つとは毛色がちがう。つまり、「みんなもう帰ろう」とは言ってないし、かといって「ムバラク倒せ」とも言ってない。狡猾だ。

これだけいろんな歌手が曲を発表している中、エジプトのシャバービーを代表する新旧2大ビッグスターがまだ現れていない。アムル・ディヤーブとターメル・ホスニーだ。

しかしアムル、去年の末頃にリリースされたビデオクリップ「ぼくらの中の一人」は、もろにムバラク賛美の愛国ソング。

「祖国のために犠牲になった者よ」と呼びかける歌。ビデオの最後ではどどーんとムバラクの顔が浮かび上がる。多分、国営放送の作成。もちろん、これはデモ前に作られた曲だけど、舌の根も乾かぬうちにデモを支持したりはできないだろう。実際、2月3日の時点でアムルがムバラク・サポーターのデモに姿を現した、なんていう情報もdmcairoさんのツイートで知った。

とはいえ、同じアムルの曲にこんな画像をつけてる職人も見つけた。

今回のデモで命を落としたデモ参加者たちの追悼ビデオになっている。「祖国のために」と同じ言葉を唱えながら、方向性は真逆。興味深い。

ちょうどオランダだかどこかにツアーの最中だったターメルだが、実はすでにyoutubeの自分のアカウントに、「1月25日の犠牲者たちへ」と題する歌を即興で吹き込んでいた。で、てっきりデモ支持派だと思っていたのだが、国営放送の番組中の電話インタビューで、「デモ隊のみんな、そろそろ帰ろう」と呼びかけていたという情報が。それから緊急帰国し、何を血迷ったかタハリールのデモ隊の真ん中で同じ主張を繰り返してつまみ出されたという。帰れコールを浴びて涙目になってるターメルの動画、なんていうのも現れた。

...このように、多くのエジPOPスターたちは、なんとなく体制派の道具にされてしまっているような感じがする。しかし、誰をとっても、デモ自体に真っ向から否定的なことを言う人はいない。デモはエジプトの革命の伝統に則っており、それ自体は美しいものだ、と言う認識があるのだろうか。そこまでデモに理解を示した上で、「もうそろそろやめたら?」となるのである。「もうデモにもキファーヤ(たくさん)」とでも言いたげである。

このキファーヤ感覚、タハリールに集まっているデモ隊にはとうてい理解されないだろうが、タハリールに集まってない多くのエジプト人にとっての日常感覚にマッチしているのでは?とも思えてくる。

もう一つ、エジPOPスターたちの主張に共通するのは、エジプト人としての一体感の重要性。これは2005年の選挙以来、ワールドカップ予選でのアルジェリアとの死闘や、昨年末から起こってるコプト・ムスリムのヘイトクライムなどへのリアクションとして、しばしば見られる主張である。そして今回も、デモはいつか収束するだろう。収束した暁には彼らエジPOPスターが現れ、「もういがみ合うのはよそう」てな感じで愛国ソングを歌いまくるのだろう。いわば国民統合のための調整弁だ。

そんな流れの中で、エジPOPスターの中では唯一と言っていい、デモに賛同する言動をしているシーリーン・アブドゥルワッハーブ。タハリールの群衆に向けて、「私はもう国営放送では歌わない」と宣言したそうである。彼女も来るべき時には愛国ソングを歌って、エジプト国民統合の象徴となることが期待されているビッグネームであるはずなのだが、はて。今後の彼女の言動が気になるところである。

ジャスミン革命の歌姫 [音楽]

まずはこの動画。

ブルギバ通りを埋め尽くす群衆。その中で、キャンドルを片手に歌う女性がいる。遠くでシュプレヒコールが聞こえているところからすると、きっと先のチュニジア革命の際の出来事なのだろう。彼女の澄んだ歌声が胸に染み入る。

この人、フランスで活動するチュニジア人歌手の、アメル・マスルースィーという人らしい。そして歌っている歌は、「私の言葉は自由」というアラビア語の歌。最近、Arabic song lyrics and translationのサイトで紹介されているのを見て初めて知った歌手だ。リンク先ではアラビア語の歌詞とその英訳があり、彼女が二年ほど前にバスティーユ広場で行ったライブの風景が紹介されている。

ウィキペディアにはまだ項目がない模様。公式サイトとされているのがこれ。フランス語。MySpaceのサイトもある。

YouTubeで探してみると、いろいろと興味深い歌を歌っている。たとえばこれ。
Naci en Palestina
題名を少し変えて、パレスチナへのメッセージソングにしているが、原曲はトニーガトリフ監督の映画VENGOの劇中歌だ。たぶんスペイン語。

さらにこれ、ファティ・アキン監督の「私たちは愛に帰る」の劇中歌をカバーしたもの。トルコ語?
Ben seni sevdugumi

どちらの映画も個人的にツボすぎて、少し気味が悪いくらいだ。しかし、彼女にとってはスペイン語もトルコ語も、あまり縁の無い世界と思われるのに、こんなのを歌っているのには、どういう曰くがあるのだろうか、ものすごく気になる。

ともあれ、彼女がバスティーユとブルギバ通りで歌っているこの歌は理屈抜きでかっこいい。革命万歳!この歌手はきっと、スアード・マーシーを超える歌手になるだろう。エルスールのHさん、これは買いですぞ!

さて、目下大注目のエジプト情勢だが、エジプトでは革命の歌姫は現れるだろうか?

今のところそのようなニュースは聞こえてこないが、しかしみんなが期待しているあの人が、反ムバーラクの歌を用意していた!

ってこれ、どこかの職人が作った替え歌なんだけど、原曲の「イスラエルが嫌いだ」の部分と「ムバーラクが好きだ」の部分を上手い具合に組み合わせて、「おれはムバーラクが嫌いだ、だって陰気だから(アシャン・ダンモ・ティイール)」などと歌わせている。実にバカバカしくてよい。

エジPOPのクラシック、「エンタ・オムリ」 [音楽]

久々、エジPOP関連エントリ。

最近youtubeでアーマール・マーヘルのコンサート動画を見つけた。
レバノンのベイトッディーン音楽祭で、ウンム・クルスームの名曲「エンタ・オムリ(君こそわが命)」を歌っている。

このブログでも紹介したことのある彼女だが、ウィキペディアによると1985年生まれとのこと。24歳の若さであの大曲を堂々と歌いこなす姿は、まさに現代のウンム・クルスーム。しかもこのルックスの良さはどうだろう。奇跡としか言いようがない。皆さんも是非、youtubeのリンクを辿って彼女の歌う名曲の数々を味わって頂きたい。

さて、「エンタ・オムリ」はウンム・クルスームの代表作として知られるが、現代のアラブ歌手でこの歌をレパートリーとしている人が何人かいるようだ。youtubeで少し集めてみた。

まずはエジプトの歌姫アンガーム。この人、頻繁にこの歌を歌っているようで、動画の数も多い。これ↓はその中の一つで、音楽バラエティ番組でのライブ風景か。

確かにうまい。うまいが、本家に比べると線が細い感がいなめない、ってそりゃ当たり前なんだけど、ビブラートが細かすぎて声量が落ちてるように思える。単に僕がこの人あまり好きでないせいかもしれないが、顔でトクしてる気がするのだ。

エジプトの実力派若手として僕が推したいのはむしろこちら。シーリーンが歌う「エンタ・オムリ」。

安っぽいシンセのイントロが何ともいえないのだが、歌が始まるとシーリーンの世界になるので大丈夫。原曲よりキーをあげて、得意の高音域でのびのびと歌っているのがイイ。よほどよく歌い込んでいるとみえ、フェイクも多用しているし、高音の延ばしは完全にシーリーン節である。その分、ウンム・クルスームからの距離感が大きくなっているのだが。

ちなみにシーリーンは以前は原曲と同じキーでも歌っていたようだが、低音が出づらいのか少し歌いづらそうにしている。


こうして見比べてみると、アーマールが一番ウンム・クルスームのパフォーマンスを忠実にまねているように見える。声質が本家と似ている(音域が近い)せいもあるのだろうが、やはりプロ歌手としてのキャリアの浅さから、自分のスタイルができていないのかもしれない。今後この歌をたっぷりと歌いこんで、是非とも「アーマール節」を確立してもらいたい。

一応、本家本元のエンタ・オムリも。外国人には難解・退屈と評されることも多いこの曲だが、いろいろな歌手のカバーバージョンと聞きくらべることによって、ちょっと聴きやすく感じられるような気がしませんか?

ちなみにこの動画(静止画だけど)、歌が始まるのは2番目の動画から。はじめの10分はひたすら前奏です。やっぱ長!

子供版「究極の選択」絵本 [育児]


ねえ、どれがいい? (評論社の児童図書館・絵本の部屋)

ムスメが通う小学校のお話しボランティアの二回目、お題は『ねえ、どれがいい?』という絵本だった。

「きみんちのまわりがかわるとしたら、大水と、大雪と、ジャングルと、どれがいい?」

という問いかけから始まるこの絵本。語り口がやや優しすぎるので、自分のようないい年したおじさんが読むにはどうかな?という恐れもあった。

しかし、1ページ読むなり早速子供たちの生きのいい反応が。

「大雪がいい!」
「おれジャングル!」

ほっといても次から次に答えが返ってくるのだ。こちらから「大水がいいひとは?」などと話を振ってみると、今まで黙っていた子も手を挙げたり意見を言ったりする。

昔はやった「究極の選択」の子供版とでも言ったところだろうか。大人には他愛のない選択に見えるが、1年生にとっては真剣に意見を言いたくなる絶妙なチョイスなのだろう。ジョン・バーニンガムのとぼけたイラストの風合いも良い。

ところが、である。初めのうちは面白いので子供たちにどんどん意見を言わせておいたのだが、そうすると15分の制限時間に収まり切らなくなってしまう。慌ててページを進めようにも、話し声がやまない。こういう場合、読み手はどうしたらいいものか?「静かにしろ!」と叱りつけるのも興ざめだし。。

すると、クラスの中のまじめそうな子が、「ほら、静かに」「しー!」などと仕切りだした。ああ、こういうクラスの中の自浄作用みたいなのが、早くも形成され始めてるんだなあと関心してしまう。しかし、その自浄作用はまだ不十分のようで、しまいには教室の外に控えていた担任の先生が「静かに聞きなさい!」と介入する事態に。あー、ちょっと野放しにしすぎたかこれは、と反省。子供たちのおしゃべりを、こっちの思い通りに誘導する方法はないものだろうか。

とはいえ、今回もうまいこと子供たちとの関係を築けたような形で読み終えることができた。ひとえに子供受けする絵本の威力である。次からは、今までのような「飛び道具」系ではなく、しっかりとしたストーリーのある絵本を読む予定だが、うまくいくだろうか。修行の日々が続く。

イクメンの鉄板絵本 [育児]

実を言うとこの春からムスメの小学校で、絵本の読み聞かせのボランティアサークルに入っている。PTA活動の一環である。朝1限の前の15分間、2週間に1度ある「お話し」の時間に、各教室に出向いて一冊絵本を読み聞かせるというもの。

こちとら日頃から人前で話すのが商売だし(いちおう、ね)、ちびっ子相手に15分くらい簡単簡単、と思っていたのだが、6月に開かれた読み聞かせ講習会に参加したところ、絵本の持ち方めくり方から滑舌まで細かく注意を受けてしまった。そして夏休み前には3年生の教室で絵本を一冊読んだのだが、気負いすぎて緊張してしまったせいか(9歳相手に緊張すんな!)どうにも受けがよろしくなかった。これは大変な仕事を引き受けちゃったかなあと、早速鼻っ柱をおられた感じになったというのが、これまでの経緯。

しかし、2学期はムスメのいる1年生たちの担当となった。これはがんばらないと!

で先日、第一回目のお話し会があり、行ってきた。読んだ本はこれ。

これはのみのぴこ

有名な本だが、今まで読んだことはなかった。幸いうちのムスメも読んでもらったことはないので、ここはサプライズでいくことに。こっそりとアマゾンで取り寄せ、ムスメの留守中or寝静まったあとに読む練習。

そうして迎えた本番。いきなり教室に入ってきた父親を見て、ムスメは大興奮。他の生徒たちは、普段と違ってパパさんが絵本を読むというシチュエーションにちょっと違和感を抱いている様子。なにせ、このサークル始まって以来、初の男性参加者なのだ。

しかしここはひるまず、なるべく陽気なおじさんであることを全面に押し出しつつ、のみのぴこを読み出す。はじめはざわついていた教室も、一ページ読むごとにどっかんどっかんと笑いが起こる。これがまた面白いように受ける。そして最後はとっておきの早口で1ページ、一息で読み切る。これでまたも大爆笑。

あれー、おれってこんなに話うまかったっけ?と錯覚してしまいそうなほどだった。もちろん、これは絵本のおかげ。さすがは谷川俊太郎さんだ。「入れ歯」だとか「お相撲さん」という言葉が出てくるだけでおもしろがるんだな、一年生くらいだと。和田誠さんの絵もかわいらしくていい。いやー、この本をムスメのクラスで読ませてくれた、同じグループのみなさんにはほんとに感謝だ。

たぶん、誰が読んでも笑いがとれる絵本だけど、いくつかコツがありそうな気がする。
1)ページを開いたらすぐに読み始めずに、絵と文字をじっくりと見せる。「これは...」などと間をとってみるのもいいかも。
2)長いフレーズを読み切った後は、子供たちの顔を見回すこと。リアクションを把握するのは大事だ。
3)早口になるのは最後の数ページだけにしておく。最初のページから早口で読むと、何が何だかわからなくなる。

さて、3-4分で一通り読み終えてしまったので、自分で勝手にアンコールしてもう一度はじめから読み始めることに。ところが調子に乗って、「今度はみんなで一緒に読もか!」などとあおってしまったのが失敗の元。子供たちと声を合わせて読むと、「これは、のみの、ぴこの、すんでいる、ねこの...」と途端に国語の授業の様になってしまい、これではとてもあと10分では読み切らない。結局最後のページまですっ飛ばして、強引に終わることになってしまい、少し後味悪かったかな。

それでもムスメに聞いたところ、その後みんな図書室で同じ絵本を探していたと言うから、これほどうれしいことはない。嗚呼、これが大学の授業だったらなあ。いっそ授業でも「のみのぴこ」を読んでみるか...

かべしんぶんなつやすみとくしゅうごう [育児]

今年は長女が小学一年生になり、彼女にとって初めての「夏休み」というものを体験した。

小学生の夏休みと言えばなんといっても「宿題」な訳だが、いわゆるゆとり教育の影響なのだろうか、計算ドリルも文字の書き取りもそれほど分量はなく、8月の前半にはあらかた終わってしまった。

とはいえ難題は自由研究や写生、工作などになるわけだ。自分が小学生の頃、これらのイレギュラー宿題には8月31日までさんざん泣かされた覚えがある。あんなに宿題に泣かされた自分が今では教育職とはなんとも因果なものを感じてしまうが。

とにかく、1年生の時点でムスメに宿題に関する敗北感を抱かせてはいかんと思い、なんとか早めに自由研究を終わらせようとハッパをかけて来たのだが、案の定、なかなか始めない。そもそも自由に研究しろといわれるとかえって何をしていいのか分からなくなるんだよなあ。っていかんいかん、こんなところで理解を示しては親失格である。

で、さりげなくアドバイスを与えつつ、適切な自由研究ネタを提供してやるのが正しい親のあり方だろう。ここで学校でもらってきた自由研究のヒントの書かれたプリントを見ると、「かべしんぶん」なるものが提案されている。これならば、毎日のたゆまぬ観察も必要ないし、短期集中で一気にできそうである。

「ねー、夏休みの宿題だけどさー、夏の思い出を10個選んでなつやすみ10大ニュースを新聞にする、なんていうのはどうかなあ」

などと、あまりさりげなくないアドバイスを与えたところ、ムスメも乗り気になってくれたので、一気に書かせることにした。

...しかし、1年生の文章力では「一気に」とはいかないんだよなあ。まずうちの子、字を書くのがものすごく遅い。学校でも、友達に「遅い」とけなされて、帰ってきてから涙目になって訴えてきたこともあった。

それからもちろん、10個のニュースを選ぶのも大変だ。ムスメなりに気を遣っているのか、父方の祖父母の家ですごしたエピソードと、母方の祖父母のエピソードを均等に配分しようとしたりしている。また、最終的に気づいたのだが、パパが出てくるニュースとママが出てくるニュースが1件ずつあったり、そんなところにまで気を遣っていたり。まったくわがムスメながら頭が下がる思いだ。

いきなり画用紙に字を書かせて取り返しのつかない事態にならないよう、選んだ10個のニュースをまず10枚の折り紙に書かせ、それらを最後に四つ切り画用紙に貼り付ける、という手順をとった。

こうしてできあがった壁新聞がこれ。写真はあとで載せるので、とりあえず10個の見出しをどうぞ。括弧内は僕が補った。

1い プールで5メートルおよいだ
2い バトミントンを4かいれんぞくで!
3い バレエ ハイホーをさいごまで
4い キッズキッチンのテーマはうり(瓜)
5い かがくかん、ひこうきをうみへんに
6い ぴあののがくふレベル1に
7い Mちゃん(妹の名前)がぶーってないた
8い うまにのった
9い ぼんおどりでばかとのに?
10い ケーキをつくった

彼女なりに、新聞のあおり文句の文法を身につけているようだ。びっくりマーク、クエスチョンマークはまったく彼女の独創である。個々のエピソードに関する説明は省略。

実はここに書いたほかに、飼ってる鈴虫がようやく鳴いたという事件や、アリがえさを巣穴に持ち帰るのをじーっと観察した思い出などもランクインしていたのだが、「もうひとつ、かべしんぶんむしごう(虫号)をつくろう!」とムスメが勝手に思い立ってしまったので、こっちの夏休み特集号には盛り込まないことにしたそうな。しかし、残された時間はあと一日。虫号の方は無理だろうなあ。

アラフォー女性が主人公のファンタジー小説 [読書]


獣の奏者 (4)完結編
ファンタジー小説は読みつけないのでよく分からないが、40歳近くのヒロインが活躍する話って、なかなか珍しいのではないだろうか?

2巻のラストでは確か20歳くらいだった主人公のエリンも、3-4巻では一気に30代!ずいぶんと思い切ったな上橋さん!と驚いたのだが、折良くイヨンエ妊娠のニュースも報じられ、こういう感じで実写化したらアリかも、などと思ってしまった。

王獣の愛くるしさや、ファコの香りが漂ってきそうな料理の描写は相変わらず。ただし3-4巻ではお子様向けにはあまりふさわしくなさげな描写もあるか。エリン夫妻の熱々ぶり(朝チュンなど)には、気恥ずかしくなる部分も。

アンハッピーエンドの結末は4巻にさしかかる頃から予測していた。しかしあの残酷なラストについてはアマゾンの読者レビューでもいろいろな意見が出ており、そもそもこの続編は蛇足ではとの議論もあるようだ。

しかし、人間理性への絶対的な信頼という点から見れば、あながちアンハッピーではないかも、とも思える。民を愚かなままに保つ社会というのは、やっぱりいかんだろう。その点、著者に激しく同意するし、このラストを書かなかったらエリンの物語は終わらないのだ。闘蛇にはちゃんと足が生えていなければならない。

表紙の恥ずかしさには目をつぶる [読書]


もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
当初はジュンク堂での立ち読みだけで済ませるつもりだったのだが、周りの目線に耐えられなくなり(気にしすぎなのだが)、ついに購入。いつもはエコの観点からブックカバー反対派の僕だが、今回ばかりは別だ。

有名(らしい)なビジネス書の理論を、弱小高校野球部の経営に取り入れたらどうなるか?という、いわば「はじめにネタありき」という感じのおもしろ本。たしかに、野球部の女子「マネージャー」って、名前のわりには「マネジメント」という言葉の持つエグゼクティブ感とはかなり開きがあるよな。

そもそも野球部なんて営利団体ではないのだから、ビジネス書を手本にしても仕方ないんじゃないか?と僕などは思ってしまったんだけど、それが素人の浅はかさ。『マネジメント』はあらゆる組織に適応可能な万能指南書であるらしい。

まずは、組織の定義付け(目的)をはっきりさせるところから始まり(野球部であれば、人々に感動を与えること。野球をすることが目的、という単純なものではない)、その組織の顧客は誰か?顧客が求めているものは何か?等々、ひとつひとつ丁寧に確認するように導かれる。

中には、組織が何を提供したいかではなく、顧客が何を求めているかを優先させないといけない、とか、専門家のアウトプットが顧客の(あるいは組織の)インプットに結びつかなければ意味がない、とか、なんだか大学の学生指導にも適用可能な箴言がぱらぱらとちりばめられていたりする。ちょっと、本家のドラッカーも読んでみるべきかな。

ストーリー展開はベタである。しかし、ライトノベル的な舞台設定の中で、いかにもビジネス書っぽい生硬な語り口が展開されると、思わぬ異化効果がありなかなかに面白い。1,2時間で読めてしまうので、未読の人はぜひ。あるいは著者は当世流行のAKBのプロデューサらしく、登場人物も当て書きらしいので、近々ドラマか映画になるのかもしれぬので、それを待つという手もある。

男は背中で育児する?その2 [育児]

先に紹介した前島氏の文章は、ガテン系の父親たちの肉声を代弁しているという点で、イクメン推進派の皆さんにとっても真剣に考えるべき重要性をもっている。しかし、父親の育児は母親のそれとは違う、より高次元のものだ、という見方は実に根強く、ネット上にも他にいくらでもサンプルが見つかる。

たとえば、以前みかけたこのツイート。どこのどなたかは存じ上げないし、今やキャッシュでしか見つけられなくなっているので勝手に引用だけします。すみませんが。
我が子の人間教育、基本としての躾の責任は、9割までは日常の大半をともに過ごす母親にあり、 父親の役割は、自分の人生観にもとづいて人間としての生き方の方向を示すこと、子供に生き方の種まきをするところにある。

こういうつぶやきを残しているからと言って、この人が具体的な子供の世話を全く見ない人であるとは限らない。日頃かいがいしくおむつ換えなどをこなしてきた方の発言かもしれない。

しかしそういうならば、母親には子供に生き方の方向を示すことはできない、というのだろうか?母親だって、かりに専業主婦だとしても、家事や育児をとおして立派な生き様を示すことくらいできるのではないだろうか(もちろん学校や地域社会と関わりを持つ人もいれば、男性と変わらず働く人だっているし)。

そして極めつけはこのブログ。ファンも多い超有名人のブログなので、リンクは張りません。チキンなもので...以下引用。
「母親」の仕事は子どもの基本的な生理的欲求を満たすこと(ご飯をきちんと食べさせる、着心地のよい服を着せる、さっぱりした暖かい布団に寝かせるなど)、子どもの非言語的「アラーム」をいちはやく受信すること、どんな場合でも子どもの味方をすること、この三点くらいである。 「父親」の仕事はもっと簡単。 「父親」の最終的な仕事は一つだけで、それは「子どもに乗り越えられる」ことである。 この男の支配下にいつまでもいたのでは自分の人生に「先」はない。この男の家を出て行かねば・・・と子どもに思わせればそれで「任務完了」である。 (…中略…)人類学的な意味での親の仕事とは、適当な時期が来たら子どもが「こんな家にはもういたくない」と言って新しい家族を探しに家を去るように仕向けることである。

ここでは父親の役割に多少ひねりが加えられているが、言ってみれば子どもの反面教師たること、となるだろう。上記のツイートと正反対のようでいて、そのじつ同じ指向性を持つと言っていい。つまり、父親だけが子供の人生の指針を与えることができ、母親はこまごまとしたお世話のみしてろ、ということである。

それにしても母親の扱いが、ここではひどすぎる!「「母親」の仕事は子どもの基本的な生理的欲求を満たすこと」...なんという直球セクスィズムだろうか。こういうことをずばりと言ってのけるから、みんな「そこにしびれる!あこがれるぅ!」となるんだろうか?

しかしまあなんだ。こういう文章を読んで、僕のような後進が「これはひどすぎる。こんな論壇の閉塞状態は打ち破らねばならぬ。もっと精進せねば!」と奮起するとしたら、それはまさしく上記ブログの筆者が「人類学的な意味で」、学界の家父長としての任務を正しく遂行していることになるわけだから、僕などは所詮、筆者の掌上で飛び回っているだけと言うことになる。嗚呼、U先生の知謀、神のごとし...

これらの発言に見られる、家庭内での男女の役割を非対称なものととらえて全く改めるところのないような姿勢に対しては、昨今はやりのイクメン思想を十分にアッピールする必要が大いにあるだろう。

しかし、前エントリに書いたような立場、つまり、育休なんてエリート社員や公務員じゃなきゃ無理、おれたちゃやりたくてもできねー、みたいな階層格差的な意見が、ある種の人々の支持を集めているとしたら、いくら政府やら社会がイクメンを推進させようとがんばって宣伝したところで、その声は人々には届かないだろう。代わりに彼らのニーズにぴったりフィットする上述先生のコラムのような主張が、ますます歓迎されることになる。なにせ、「人類学的意味」だかなんだかから、こまごました育児作業は男の仕事ではないとお墨付きを与えてくれてるようなものなのだから...こうして悪循環に陥る。

そこで一つ思うのだけど、イクメンやっかみ派の人々にとって、育休つまり育児休暇の取得はものすごくハードルが高いものだ。政府は男の育休取得をもってイクメンの指標としているフシがあるけど、あまりそればかりを協調しすぎると、上記のような悪循環を生み出すのではないだろうか。会社員でもガテン系でも、育児や教育に関心を持つお父さん方を少しでも多く取り込もうとするには、育休という高いハードルをもうけて「背中で教える」系の牙城に閉じこもらせてしまうのは、全く得策ではないと思うのだが、いかがだろう。

イクメンの普及には、まだまだ超えねばならない高いハードルがあるように思う。

男は背中で育児する? [育児]

世の中、イクメンばやりである。

育児参加については、自分で言うのもなんだが、僕はかなりがんばっている方だと思う。しかし、「我こそはイクメンである!」と天下に名乗りを上げるのは、やはりこっぱずかしさが漂う。とはいえ、「あんた、イクメン、がんばってるね」と言われればはあそうですかねと答えて特に否定はしないし、「○○さんの旦那さん、イクメンざますわね」と言われればきっとまんざらでもない気がするだろう。

そんなわけで僕はイクメン擁護派というか便乗派にあたるわけだが、どうも最近、イクメンを非難する人たちも増えているようだ。以下、ツイッター経由で拾った情報を概観してみる。

まずいちばん目につくのは、「イクメン」という言葉の響きがかっこわるい、ださい、という批判。育児をする人しない人、男女を問わず聞かれる。まあこれに関しては僕も同感な訳で。これは以前はやった(今もはやってる?)「クールビズ」と同じような現象だろう。ださいキャッチフレーズも、使い続けるうちに既成事実化していくものだから、せいぜい使い続けていってほしい。

で、より根が深そうなのが、「男は背中で育児する」系の言説。

たとえばこの記事を見てもらいたい。

「現役パパに言わせて!「僕が思う、父親としてのあり方」前島大介」
http://blog.livedoor.jp/lifenet_seimei/archives/50497686.html

この記事の著者は、イクメンを真っ向否定こそはしなていないものの、「メディアの取り上げ方を含め疑問に思う部分も多」いと述べる。以下、記事より引用。
お風呂に入れるのが上手。オムツ換えの手際がいい。遊ばせ上手。などなど、それらはどれもすばらしいことだけれど、あくまでもオプションであって父親としての基本スペックではありません。(…中略…)子どもと一緒にいる時間を増やし、お世話することで、安心しちゃっていませんか? 嫌な言い方ですけど、自己満足しちゃっていませんか?
先述のとおり、目先のお世話だけで自己満足していては、本当の意味で育児ができているとはいえないということを、忘れちゃいけないと思うんです。過去に栄冠なんてなかったとしても、息子に、娘に、自慢に思ってもらえるような父親になりたいですね。子どもに対しての深い思いと、それを背負った上でどれだけ自分のワークスタイル、ライフスタイルに自身と誇りを持って取り組めているかが、言ってみれば“父親力”であり、それを高めていくことが父親としての自分磨きなのではないかと。

子供と過ごす時間を長く持ち実際に育児労働を担う、ということを「自己満足」ではないかと疑問を投げかけ、それよりは、子供に父親である自分のことを「自慢に思ってもらえるような」「ワークスタイル、ライフスタイル」を高めるべき、という主張を展開している。

子供の世話が「自己満足」という物言いは、奇妙な感じがする。なぜなら世話をして「満足」するのは本来子供の側であり、世話を分担して受け持つことで配偶者(母親)だって「満足」するだろうからだ。決して父親一人の満足のためだけにはならないはずである。

そもそも、「自己満足」という言い方は、自分の生き方を示すだけで「自己満足」していないか?という反省にたち、男も育児参加すべきだと主張する、現在のイクメン推進派が好む表現のはずであった。それをこの著者はあえて逆手にとって、育児参加こそ自己満足、と言っているようにも見える。

もっとも、前島氏はそこまで攻撃的な言い方で、イクメンを非難しているわけではない。氏はこの記事で、ある種の人々の持つイクメンに対するやっかみを、ソフトに代弁しているに過ぎないのだ。
僕の周りには、そもそも育児休暇を取れるような企業に勤めている人が少なく、代々続く個人商店を継いでいたり、建設現場で日夜汗を流すガテン系だったり、変わったところだとスポーツ選手だったり。そんな親父仲間が多くいます。みな、子どもと一緒にいられる時間は限られていて、休みも不規則だったり、「もう 3ヶ月まともに休んでない」なんて人も。

これを見ると、前島氏の想定するターゲットは商店主・ガテン系労働者(とスポーツ選手)であり、男でも育休をとれるような(大)企業の勤め人と対比されているように見える。

「おれら庶民は、育休なんてとれねーよ」
「子供との時間なんて、仕事が忙しすぎて、もちたくてももてねーんだよ」

というような人々の叫びをすくい上げ、「男は自分の生き方を示すだけで十分」と安心させている。「背中で育児」系の言説は、このような社会的機能を持っているように見える。

つづくかも。

本を作る仕事 [育児]

ムスメ(小1)の将来の夢が次々と変わる。まあ、小さい子供にはありがちなことだ。

ケーキ屋さん、バレリーナ、ピアノの先生、あるときは考古学者なんて難しげな職業をあげたりもしていた。

最近ムスメが凝っているのは、「本を作る人」である。

「本屋さん」とはちがうらしい。自分で企画を考えて、時に原稿も書く。いわゆる「編集者」のことだろう。今ムスメが暖めている本の企画は、「物の仕組み」。パーティーの時にならすクラッカーとか、カニのハサミとか、それがどういう仕組みで音が鳴るのか、開いたり閉じたりするのか、自分なりに考えて、自分のノートにせっせとイラストなどを描きためている。でもって大人になったら本にするんだと。

それにしても、どうしてそんな職業のことを知っているのか?

いささか手前味噌というか、宣伝っぽくなるけど、この冬、僕はこの本をつくる手伝いをしていた。

エジプト (絵を見て話せるタビトモ会話) (絵を見て話せるタビトモ会話 中近東 2)

僕がやったのは、観光地や料理などの解説、それからアラビア語単語などの文字情報をエクセルに打ち込む作業。そうしてできた原稿を編集部に送ると、きれいなイラストのついたゲラが送られてきて、それをまた校正するという作業。冬休みのあいだ中、家にいて、そんなことばかりしていた(おかげで予定していた研究論文を二つばかり落としてしまった。わっはっは)。

ムスメは一冬のあいだ、この作業をずっとみていて、原稿がゲラになり、一冊の本になっていく過程をおもしろいと思ったのだろう。まあ、なんとも、ウイ奴である。

こうして子供は少しずつ、社会の仕組みを知っていくのである。ムスメの社会勉強になったのであれば、落とした論文2本も無駄ではなかったな。わっはっは(これが後に大変な事態を引き起こすとは、このとき僕は知るよしもなかった)。

そんなわけで、うちのムスメも感動するほどすばらしい本に仕上がっていますので、興味のある方は是非一冊お買い求めください。って結局宣伝になっとるやないか!

12世紀のオトグラフ [仕事]

自筆本マニア研究者を自認する者としてはこの機会を逃す手はないと思い、ちょっくら京都まで足を伸ばして「冷泉家~王朝の和歌守展」を見てきた。

俊成、定家、為家と、12,13世紀の人物たちの自筆本がこんなに残っているという事実にまずは軽く衝撃を受ける。アラビア語写本の場合、その時代のものが数千点規模で残っているというケースはまず考えにくい。(たとえばIbn al-Jawziのオトグラフが何点ある?)和紙の紙質は確かによいのだろうけど、同時代のバグダード紙がそれに劣っていたわけでもあるまい。むしろ薄っぺらい和紙よりは分厚いバグダード紙の方が頑丈なはず。

で気づいたのだけど、写本の残りがよい、ということよりも、冷泉家という家の残りがよい、ということかも。イスラム世界で歴史的実態として12世紀まで遡れる名家なんてあまりないのでは?いや藤原氏は7世紀までいけるか。とするとムハンマド家クラス?

噂に聞く定家の筆跡は、確かに悪筆。親父や息子に比べると、素人目に見ても明らかに「下手」だ。だがそれが後世、書の手本として重宝されたというのはどういうことだろう。ヘタウマさ加減が愛されたのか、真似しやすいと思われたのか。あるいは定家その人のネームバリューゆえなのか。

でまあ、今回展示されている写本はみな「時雨亭叢書」という名前でファクシミリ版が出版されているそうで、webcatで調べたらいろんな大学の図書館に収蔵されていた(うちの大学にはなかったけどどなたか先生が持ってるんじゃないかと思う)。いや別にそれで何か研究する訳じゃないけど、そういうのをぼーっと眺めているだけでなんだかそういう気分に浸れそうだなと思った。贅沢な本。

そういえば、僕などはこういう展示を見てもぼーっと眺めているだけで終わるが、見に来ている人の中には熱心にメモを取ったり、ぶつぶつとつぶやきながら見ていたりする人も多いのに、これまた驚いた。そうか、書かれているのは日本語だし(古語だけど)、しかるべき訓練をカルチャーセンターなんかで受けていさえすれば、別に学者じゃなくても読めるんだよな。「古今集はわかりやすいからええわ」なんて話し合っているご婦人方、熱心に見いるあまりガラスにごつんとおでこをぶつけてしまう紳士、日本史や日本文学の層の厚さはほんとに恐れ入る。(おでこをぶつけるのは習熟度とはあまり関係がないかもしれないが)。

今回は連れ合いとムスメと一緒に見に来たのだが、ムスメ六歳は最初、薄暗い部屋に習字の手本みたいなのがひたすら飾ってある展示室をみてもあまりい興味をそそられない様子だった。というよりは半分見て回らないうちにあからさまに機嫌が悪くなってきた。しかし、虫食い写本をいかに修理するかという展示になると、それなりに興味をもってくれた。「虫」とか「修理」とかいった話には興味を示すんだこのムスメは。あとお土産コーナーは品揃え豊富で、たちまちムスメの機嫌もよくなった。商売っ気たっぷりの冷泉家の姿勢にまたもや恐れ入る。ワクフ監督者たるものこうでなくっちゃ。

女の子目線の歌姫 [音楽]

今回のエジプトでは、ナンシー・アジュラムのメディア露出は若干控えめなように感じた。やはり育休中なのだろうか。

それに対し、同じ出産後一年ほどのシーリーン・アブドゥルワッハーブの方は、各種雑誌のグラビアを飾り、大人気のようだ。やはりエジプトではナンシーよりもシーリーンなのだろう。
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左の写真は僕が留学中に愛読していた芸能雑誌『ヌグーム(明星)』誌。しばらくみないうちにずいぶんときれいな誌面になっていた。右は奥様向け雑誌だろうか。どちらも愛娘マリヤム嬢とのツーショット。こうしてみるとマリヤム嬢は、「デビュー当時の」シーリーンに良く似てるよう...(以下略)

彼女の最新のアルバムは2009年発売の「Habait(ハッベート、「好きです」)」。妊娠中の吹き込みなのだろうか、かなりぎりぎりの時期に出ているはずだが。もちろん、購入してきた。(写真はあとで添付)

帰国後、じっくりと聴いてみる。彼女のここ5年ほどの変貌ぶりは著しい。「アー・ヤー・レール(夜よ)」の頃のようなエグさや泥臭さはすっかり消えてしまい、「サブリ・アレール」の元気の良さも若干抑えめになっている。しかし独特のこぶしとハスキーボイスは健在で、バラード中心のメロディラインに骨太な地声が絶妙にマッチしている。実にいい。前述のターメル・ホスニーと並び、エジプトのロマンスィー路線を牽引する立派な中堅アイドル歌手に育っているのが分かる。

旅行中、学生たちの1人がシーリーンのCDジャケットを見て、「あ、これなんかビヨンセちゃうん?」といみじくも指摘していたが、ルックス面でもサウンド面でも洗練されている。彼女を「アラブのビヨンセ」と呼んでみてもいいだろう。

さて彼女の新譜の歌詞をじっくりと眺めてみたのだが、確認できた限り、全10曲中7曲において、一人称表現に女性形の述語が用いられていた(2,3,4,7,8,9,10)。

ここで注意が必要なのだが、アラビア語では一人称の代名詞と動詞には男女の区別はない(二人称ではある)。だから「私は愛する」みたいな表現だとその「私」が男なのか女なのかは判別できない。しかし、形容詞には必ず男女の区別があるので、「私はうれしい」みたいな表現があってようやく、「私」が男か女かがわかるのである。

逆に言うと、別に主語が男性か女性かを問わないで済むような歌詞を作ることは、アラビア語においては十分に可能なはずだが、それをあえて女性形の形容詞を用いると言うことには、何かしらの効果を狙った意図がよみとれるだろう。

これまで他の女性歌手の歌謡曲をそれほどじっくり吟味したことがないので推測だが、ここまで女性形の主体であることを強調する例はあまりないと思う(ウンム・クルスームが女性形形容詞を用いていたかどうか)。おそらく最近のシーリーンの楽曲の歌詞は、今までになく「女らしい」歌詞、もしくは「女の子目線」の歌詞なのではないだろうか。

そしてこの流れは、若手男性歌手の歌う歌詞に、女性形の二人称表現が多く現れているというもう一つの変化と対応しているのではないだろうか。というのが現在の僕の関心。

ただし、このような歌詞の上での変化が、現地のエジプト人、アラビア語話者たちにどのように受け取られているのかはまた別問題。彼らは日常的にも、女に向かって男性形で呼びかける、みたいなことを普通にしているみたいなのだが、これも要確認。誰か詳しい人、教えてください!

ロマンスィー王子ターメル [音楽]

1週間ほど、学生の付き添いでエジプト旅行に行ってきました。カイロ、ルクソール、アスワン、アブシンベルとフルコースの旅程は10年ぶりくらい?

さて、今回の渡埃で一番目を見張ったのが、なんと言ってもターメル・ホスニーの躍進!ナンシーやシーリーンが産休状態な今、彼が若者人気を独り占めの観があります。アムル・ディヤーブなどはすっかり過去の人扱い。ファーストフード店でターメルのライブMVが流れれば、女の子たちはうっとりと眺め、男子たちは「かっこいいぜ、ちくしょう」と羨望のまなざしで見つめていました。

同行の日本人学生たちも、いつの間にか現地タクシー運転手などからターメルの曲を聴かされたらしく、「ランラン ラーララ ラー♪」と彼のヒット曲「ヤー・ビント・ル・エー(誰かさんよ)」のイントロを口ずさんでいました。恐ろしい感染力です。

早速ゲットしたターメルの新譜「Ha3esh 7ayaty(ハエイシュ・ハヤーティ、おれの人生を生きる)」。シルクハットを被ったジャケ写がナルシズム全開です。
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軽くて高音がよく通り、コブシも適度にきいた「ターメル節」に磨きがかかり、さらに以前にも増して「ささやき」の度合いが増しているように感じます。曲調はほとんどJ-Popやコリアンポップスと区別が付かないほどですが、ところどころにオカズ的なアラブ伝統楽器が使われていたり、うっかりとちゃかぽこリズムが混じっていたりもするので少しほっとします。

さてこのターメルが得意とするような、時にささやき時に朗々と歌い上げるせつな系ラブバラードのことを、現地の若者は「ロマンスィー」と呼んでいるのを、今回再度確認してきました。シャアビーでも、シャバービーでもなく、ロマンスィー。いや、シャバービー(若者向け)音楽の一部でもあるのですが、特にこの「ロマンスィー」という言葉で呼ばれる一連の楽曲が、ここ最近よく流行っているような気がします。

男ではターメルの他にモハンマド・ハマーキー、女ではシーリーンやナンシーはもちろんヤーラなども、このロマンスィー路線の若手(20代)歌手に数えて良いでしょう。この風潮は、ルビーやハイファに代表される、歌唱力軽視のセクシー系の氾濫や、アメリカンインベージョンに対抗して、かつての古き良き「タラブ(伝統歌謡曲)」を復活させようとする、アラブ芸能界の内部変化の現れではないか、と僕は分析しています。安定した歌唱力でもって、深い情感のこもったラブソングを歌う、それでいて時代遅れではないという、やや復古的にも見える最新のトレンドです。

(このような曲調の変化と並行して、歌詞の上でも二人称への呼びかけに女性形を使うという変化が起こっているのだと思うのですが、これはまだ仮説段階)

このようなロマンスィーの路線は、ひょっとすると日本人の若者にもかなり受け入れやすいものになっているのではないか、とも感じています。同行の若者たちのターメルへの注目ぶりが、そのことを物語っているように見えました。東方神起まできたら、もう後一歩でエジプトのロマンスィーです。ターメルの眉毛がもう少し薄ければ、とも思うのですが...

死蔵されていた重要写本 [仕事]

ちょっと気になった記事なのではりつけ。

遣唐使・最澄の活躍明らかに 持ち帰った論文の写本確認(asahi.com, 2010/02/19)

「最澄が活動した比叡山は織田信長による焼き打ちにあうなどしたため、中国から持ち帰った資料はわずかしか残っておらず、この論文も伝わっていなかった。」

出た、魔王信長!五輪がらみで最近よく名前を耳にしていたが、こんな所にまで出てくるとは。
貴重な写本を焼き尽くす炎ってこれ、誰か映像化して日本版『薔薇の名前』を作ってくれんかな。などと妄想してみる。

ところで、記事中にある「空海が持ち帰った」という論文とはこれのことかな。

空海が唐から持ち帰った?幻の「三教不斉論」写本を発見(asahi.com, 2010/01/23)

2人とも、同じ論文を筆写して持ち帰ってたんだな。しかもどちらも今の今までその重要性が認められず日本のどこかで死蔵されていたという。最澄や空海レベルでも、こんな未開拓ゾーンが残っていたのか。研究者にとってはこういう発見って、たまらんだろうな。

密文研の研究会関連ページ

キャラ化する龍馬 [TV]

月並みな話題で恐縮だが、tbsドラマの「JIN-仁-」を再放送で見始めた。現代の外科医が幕末の江戸にタイムスリップしてしまうというお話。決して綾瀬はるかを見たくて見ているわけではない。

主演の大沢たかおが年甲斐もなくまっすぐな演技をしている。必要以上にはきはきとした発声。実際の大沢が悪人だろうが善人だろうが、このドラマでこの演技はなかなか良い。

個人的に思い出されるのはやはりドラマ版『深夜特急』だ。あの頃、たまたまイランやトルコを旅行する機会があったのだが、宿や船の上で、多くの「ぷち大沢」、「ぷち沢木」に出会ったものだ。黒海フェリーの船上からブランデーをどぼどぼと海に注いでいる輩が本当にいたのには、大いに驚いた。まあ、わざわざそんな船に乗っている時点で、僕も人から「ぷち大沢」と見られていたかもしれないが。

さてこのドラマ、どうやら坂本龍馬がかなり重要な役割を担っているようだ。第一話から現れる、ぼさぼさ頭の浪人者、豪快に笑い、語尾は必ず「ぜよ」。実際の龍馬なんて1度も見たことないのに、これだけの設定ですぐに龍馬と分かる。国民的想像力のたまものである。

特にこの「ぜよ」という語尾に注目したい。もちろん、これが土佐の方言である、ということは知っているが、多くの日本人にとってはこれは「土佐弁」というよりは「龍馬の口調」と認識されているのではないだろうか。ちょうど、アニメの個性的キャラクターが、それぞれ独特の口調を持っているように。

例)
「ミーはおフランス帰りざんす~」
「早くプリキュアに変身するメポ!」
「日本の夜明けは近いぜよ!」

実在の坂本龍馬という存在から始まり、司馬遼太郎他多くの作家たちによって膨らまされてきた龍馬像は、幾多のドラマ化、映画化を経て、今や立派な「キャラ」として認識されているかのようである。そしてその「キャラ」に血肉を与えているのが、「ぜよ」という語尾である。

日本の偉人の中でも龍馬が際だった人気を誇っているのには、この独特の語尾も大きな役割を果たしているような気がしてならない。

伸びゆく命と薄れゆくおじさん [育児]

この週末にまた年を取りました。

多くの中年世代同様、年を取ること自体はもうずいぶんと前にうれしいことではなくなったのですが、ここに来て、娘の成長を確認するという意味から、誕生日が新たな重要性を持ち始めています。
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父娘のツーショット。左が僕です。髪の毛の心もとなさに、なんだかリアリズムの萌芽が感じられますが、触れないで下さい。眼鏡のつるの部分が緑色なのは、こないだそんな眼鏡を新調したためです。まあ幸せなことでございます。

それにしても、伸びゆく若い命の頼もしいことよ。最近補助輪無しの自転車にも乗れるようになった彼女の筆致には、日々成長する者特有の自信に満ちあふれています。鏡文字もなくなりました。

さて、この父娘の蜜月は一体いつまで続くものと期待して良いものやら。10歳を境に娘が父親に寄りつかなくなる、という話もよく聞きます。まあ、僕の努力次第かも知れません。

一ヶ月だけ禁酒する人たち [旅行]

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チュニス2日目くらい、タクシーに乗った際に運転手になんとなく、「あんたは断食してるのか?」と聞いたことがあった。

カイロにいた頃ならば、こんな質問は間違ってもしなかっただろう。運転手がここぞとばかりに宗教談義をふっかけてくるのが目に見えているからだ。しかし、チュニスの人たちがなんだか観光客に対して大人しいような気がしたので、僕もついつい構ってみたくなったのかも知れない。

その若い運転手はもちろん断食しているとの答えだった。さらに、「酒は飲まないのか?」と尋ねると、「ムスリムは神聖なラマダーン月には酒など飲まないものだ」という答え。やはり普段は酒を飲んでるのかな、と思わせるような言いっぷりで、不思議な感じがした。

カイロの場合は、ラマダーンだろうがそれ以外の月だろうが、酒を出す店は出すし、出さない店は出さない。まあそもそも酒を出す店がそれほど多くないというのもあるのだが、飲酒に対する姿勢は1年中一貫しているんじゃないだろうか。ところがチュニスでは、普段は酒を出す店が、ラマダーンだけは出さない、という現象が起こっている。そういう姿勢が、個々人の飲酒習慣をも規定しているような気がしたのである。

さて運転手、「今月酒を飲んでいるのはガマルタ(チュニス近郊のリゾート地)に泊まってる外国人くらいだよ」と言う。しばらくすると運転中だというのに突然携帯電話を取りだし、通話をはじめた。そしてこちらに向かって、「お客さん、いつ欲しい?」と聞いてくるのだ。彼の知り合いで、そのガマルタとやらで働いている奴を通して、酒を買ってくれるというのである。

僕は慌てて、「ただチュニジア人がどのようにラマダーンを過ごしているのか、聞きたかっただけだよ」と言い訳をして、それについては丁重に断りを入れた。なんだそうか、と、携帯をしまう運転手。決して押しつけがましくない。メーターどおりの金額しか決して受け取ろうとしなかったこの運転手は、エジプト方言を話す奇妙な観光客をどう思ったのだろうか。

写真はシーディー・ブー・サイードの猫。本文とは関係がない。

冷酷者セリムのフィギュアをゲット [旅行]

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コレクター魂をくすぐる一品をイスタンブル・アタテュルク空港にて入手。「冷酷者」セリム1世のフィギュアだ。7リラ。セリムと言えば、言わずと知れた、マムルーク朝を滅ぼしたオスマン朝君主。トルコ史の中ではオスマン朝の領土を格段に広げた大英雄ということになるだろうが、エジプトファンにとっては不倶戴天の敵である。画鋲をさして遊んでやろうか。
selim3.JPGラインナップにはメジャーどころが揃っている。初代のオスマン・ガーズィー、バヤジト雷光王、メフメト征服王、それから最後はアブデュルハミト2世まで。不思議なのは、日本では一番知名度が高いと思われる、スレイマン大帝が入ってない。第2シリーズの予定でもあるのだろうか。その際には是非アフメト3世も加えて欲しい。

スルタンシリーズの他、スルタンの母后シリーズ、オスマン朝官職シリーズ、セルジューク朝シリーズなどもあるようで、コンプリートはなかなか難しそうだ。

チュニスのラマダーン [旅行]

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でもってチュニスのラマダーンだが、自分のアラブ勘がすっかり衰えてしまっていることを痛感させられた。あるいは直前にいたイスタンブルのラマザンがあまりにも緩すぎたせいか。

まず昼飯を食える場所が見つからない。

ブルギバ通りという目抜き通りでは、ガイドブックに載っているような名店がほとんどすべて、日中閉まっているのだ。思い出してみればカイロでも、日中はそんな感じだったかも知れない。しかしカイロではマクドナルドみたいなファストフード店があったし、贅沢すればヒルトンなど高級ホテルのフードコートに逃げるという手があった(もちろん留学中は自分の家があったので、昼食難民になる心配はまずなかったのだが)。しかしチュニスでは、マクドもケンタも、それらしい外資系ファストフード店はついぞ見かけなかった。また土地勘のないチュニスでは一体どこが高級ホテルなのかも分からない(滞在最後の方になって、ようやく分かってきたが)。そんなわけで毎朝、ホテルで出る朝食のパンを2,3個くすねておいてはお弁当にする日々が続いた。

それからお酒の飲める場所が見つからない。

なんでもラマダーン中は、普段酒を出すようなオープンエアのカフェでも、酒の販売を自粛するようなのだ。「セルティア(チュニジアの国産ビール)があるよ」と言う客引きについて行って裏道の食堂に入ると、出てきたのは「セレスティア」という、ノンアルコールビールだったという事件もあった。厚かましくもその客引きがチップを求めてきたので、さすがの僕も「エンタ・カッダーブ!(嘘つきめ!)」と叫んでしまった。しかし酒販売の自粛現象も、エジプトでも見られたことだし、土地勘さえ身につけばこれまた外資系ホテルのバーでビールの一杯くらい飲むのは訳もないことだったのだが。

その他、今回泊まった宿がメディナ(旧市街)の奥の方にある、雰囲気は良いが不便なところだったのもしんどさを増す要因だったり、なによりもこの真夏のラマダーンというのが予想以上にきついものでもあった。ともかく、同じアラブ諸国と言ってもエジプトとチュニジアではかなり違う。はじめていく土地をなめたらいかんということですな。

上の写真は夜のメディナの様子。日没後一時間くらいすると、イフタールを済ませた人々がじわじわーっとカフェに集まってくる様子が見られた。

チュニスのベーエヌ [旅行]

さてまじめな備忘録。

イスラーム世界研究マニュアル


イスラム研究者の友、『イスラーム世界研究マニュアル』に載っているチュニジアの研究施設ガイドを参照して、さっそく国立図書館を訪ねてメディナ(旧市街)に足を伸ばす。ところが、開いてない!
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周りの人に聞いてみると、「4月9日通りに移転したよ!」とのこと。そう、国立図書館は2005年に新館に移転していたのだった。詳しくは公式サイト参照。上記マニュアルに書いてあるのは旧館の住所なので、今後利用するかたは注意が必要。もっとも新館も、旧市街のカスバ門から出れば歩いて行けるほどの距離にあり、それほど慌てることもない。

写真を取り忘れたが、新・国立図書館は高層の立派な建物。この施設、アル=マクタバ・アル=ワタニーヤというのが正式名称だが、多くの人はダール・アル=クトゥブと呼んでいて、タクシー運転手などには後者でないと通じなかったこともあった。要はどちらでも良いのだろう。フランス語の略称はBNTだ。

実は日本を出る前に、公式サイトのメールアドレスに「これこれこういう写本を見たいのですが」と問い合わせていたのだが、英語で書いたせいかまったく返事がなく、とても不安だった。しかし、実際に乗り込んでみると利用手続きはいたって簡単。英文の学位証明書など身分を証明するものを見せれば、2週間利用できる券をすぐに発行してもらえた。手数料5ディーナール。

写本の閲覧室は受付と同じ一階。カードボックスの他、オンライン検索も整っている。写本現物を見ることができるが、写本にさわる際には外科医が使うようなゴム手袋をその都度はめさせられるのに驚いた。ここのコレクションは、フサイン朝時代にゼイトゥーナ大モスクに置かれていたアフマディーヤ・コレクションと、国内のいろんなモスクから収集したアブダッリーヤ・コレクションの2つからなる。ハフス朝時代から伝わる写本やオスマン帝国から買い取った写本などもあるそうで、総数は少なくてもなかなか侮れないラインナップだ。ちなみに前者についてはカタログが手に入る。後者もアラビア語のカタログがあるそうだが、未確認。

マイクロ複写は一こま0.5ディーナールと明朗会計。その場で支払いを済ませればすぐにコピーしてもらえるようだが、今回はちょっと量が多く、日本へ郵送してくれるよう頼んでおいた。さて無事に届くかどうか、心して待っていよう。

トルコのラマダーン [旅行]

トルコとチュニジア、合わせて10日間の資料調査へ。どうしても時間をずらせず、どっぷりとラマダーン期間中の滞在となってしまった。

トルコ滞在は3日間のみ。六時間の時差に体を慣らすので手一杯、あまり満足な調査はできなかったが、副業関連の面白ネタはいくつが見つかった。

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ナシード(宗教歌)のアイドル歌手、サーミー・ユースフのコンサートをやるというポスターが、町のあちこちに。新聞をみると、あのセゼン・アクスがサーミーにトルコ語歌詞を書いてプレゼントしたとかいう芸能記事も見つかる。思えば僕が最初にサーミーのCDを入手したのもイスタンブールだった。コンサートが開かれる日には僕はトルコを離れていたが、依然としてトルコでもサーミー人気が高いのを確認した。

ところであるトルコ語新聞ではサーミーのことを「アゼルバイジャン人」と書いていた。本当ならアゼリー系イラン人という方が正しいと思うが、トルコではそういう区別はしないのだろうか。

さてさて、ラマダーンである。僕が中東現地で体験したラマダーンと言えば、8年前のカイロが最後となる。あのときは留学中だったので、朝昼飯を食う場所に困ることなどはなかったが、カイロのムスリムたちはそれなりにまじめに断食を実行していたように記憶している。たとえば、カフェやレストランは昼間は休業していたり、いつも缶ビールを買いに行っていた雑貨屋が「ラマダーンは酒は売らない」と言い出したり。

ところがどうだ、イスタンブルでは昼間っからどのレストランも堂々と営業しているではないか。しかも中には欧米からの観光客だけでなく、地元のトルコ人とおぼしき客も結構入っていて、みな普通に飲み食いしている。トルコ人は(イスタンブルの人は)断食をしないのか?

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しかし、夜になって旧市街(スルタン・アフメット)に行って見ると、黒山の人だかり。いかにもムスリムといった感じの家族連れが、弁当を持って芝生でご飯を食べていた。モスク周辺では屋台が出て、軽食やらドンドルマやら、リンゴ飴や綿菓子などを売っていた。こういう人たちは昼間から断食をしていたのかな、と思った。

しかし、かたや敬虔なムスリムがいるかと思えば、そこからベイオウルへ引き返すと、飲み屋は地元客で大賑わい。みなひたすらにラクの瓶を傾けてている。全く、二面性のある町である。僕ももう少しメロンをつまみにラクを飲んでいたかったが、仕事が待っている。後ろ髪を引かれる思いでチュニスへ飛ぶ。

ウリ坊初ウォッチ [日常]

ついに見ました、ウリ坊!
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これではよく見えませんね-。
アップにするとこう。
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ホントに背中にしま模様あんのね。むっちゃカワイイ!
もう一枚。
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手前で横になってるウリ兄(姉?)もなにげにかわいいんですが。
これから通勤にはちゃんとしたデジカメを持って行かねば!
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