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革命後のカイロキーの軌跡(まとめ) [音楽]

(タイトルを改めました。1/31)
去年の1月25日革命で「自由の声」をリリースし、一躍人気者となったエジプトのロックバンド、カイロキー。若者たちの絶大な支持を受けつつ7月にリリースした2ndアルバム「指導者を求む(Matloub Zaeem)」には、こんな曲も入っていた。おそらくはこのアルバムの中で、「自由の声」とタイトル曲「指導者を求む」についで人気の高い曲だろう。

「翼を広げて」(生放送テレビ番組ライブバージョン)

「君は何だって夢みることができる 君は希望そのもの
君が求めるものすべてが 君の中から君を呼ぶ
過ぎたことは忘れよう 自分で運命を書くんだ
死んだ夢を目覚めさせよう 心の中の言葉を叫ぼう
 翼を広げて飛び上がれ 天井ははるか空の彼方
黙っている間に考えろ 自分の心の中を探せ
色を塗れ、絵を描け 心を開いて輝け
道のりは遠くはない 君は一人じゃないと信じるんだ
すべてが新しい 今こそ君の時だ、きっと
 翼を広げて飛び上がれ 天井ははるか空の彼方
彼らは君を遠ざけようとする 君の視界を遮り、帰そうとする
生かすも殺すも彼ら次第 君が存在しないかのように
 翼を広げて飛び上がれ 天井ははるか空の彼方」

なんとポジティブな歌であろうか。歌詞も曲調も希望に満ちている。

7月の時点では、カイロキーも、タハリールに集まったシャバーブ(若者たち)も、天井知らずの希望の中を、「翼を広げて」飛び立つ気分でいた。もちろん彼らには、「君が存在しないかのよう」に振る舞う傲慢な敵の姿が見えていたわけだが、「今こそ君の時」と言い切れるくらいには楽天的であった。

このポジティブなメロディーはこの後、コカコーラのCMソングにも採用されている。


その後、このブログでも紹介しているとおり、軍と若者たちの間の緊張は高まっており、昨年11月には「広場よ」という曲が出た。革命直後の高揚感は消え失せ、さらなる戦いに望む静かな決意がみなぎる曲だ。

そして革命1周年を機にカイロキーが発表したのがこの曲。

「その場所を動くな」feat. Zap Tharwat

「その場所を動くな ここがお前の居場所
恐怖心はお前を避けていくが 良心は裏切らない
その場所を動くな 日の光は戻ってくる
立ったまま死のうと ひざまずいて生きていようと
その場所を動くな お前はその目で証拠を見る
ヤツらから離れろ ヤツらに壁が倒れかかってもほっておけ
その場所を動くな 祖国の心は傷ついた
自由の声は すっかり遠吠えになった
 お前の言葉は理解されない お前の気持ちは表現できない
 お前が尊厳を口にしても ヤツらは侮辱で答える
 お前が正義を口にしても ヤツらは馬鹿にして返す
その場所を動くな ここがお前の居場所
恐怖心はお前を避けていくが 良心は裏切らない
その場所を動くな お前は夜明けの光
お前がスローガンを叫ぶ声は 銃弾や裏切りの声より大きい
その場所を動くな アザーンの声に祈れ
神はお前の味方だ 真実と正義と平和という名を持つ
その場所を動くな 兄弟と肩を組んで
魂が去ったとしても 思想は決して死なない」

「その場所(お前の場所)」とはタハリール広場のことだろうか。1年前に若者たちの心を沸き立たせたあの「自由の声」が、すでに「遠吠え」となっているという歌詞が悲しい。しかし彼らは「日の光は戻ってくる」と信じて、今日も広場に集まっているのである。にしてもZap Tharwatのラップはかっこいいな。(まだ訳していませんが)。

昨日NHKで放映されたBS特集「革命のサウンドトラック~エジプト・闘う若者たちの歌~」のラスト近く、アルジャジーラの記者が語っていた、「この後エジプトは、ムバラク時代よりもなお悪い独裁政治に移行する可能性がある」との不吉な予言が、実現しないことを祈りつつ。

指導者ヲ求ム [音楽]

エジプトの新たな革命記念日1月25日を機に、多くのアーティストたちも動いている。

ムバラク退陣の直前にタハリール広場に現れ、デモ参加者たちから絶大な支持を受けたシーリーン姐さん。そもそもそんなに革命に賛同していたわけでもなかったと思うのだが、一周年には広場でシュプレヒコールを先導している。いやはや。


一方、退陣直前にタハリールに現れたものの、「みんなうちに帰ろう」と逆方向の主張をしたためデモ隊につまみ出されたターメルは、今ではすっかり名誉回復なったという感じか?しかしツイッターなどを見る限り、「またターメルの泣き顔が見られるって?」と野次られていたりする。
これはターメルの新曲「スマイル」。


革命で一躍名を挙げたシンガーに、ラーミー・エサームがいる。ギター一本でデモ隊をあおりまくり、「革命のロックスター」と呼ばれている。今回、一周年記念にあわせて新譜を発表。その名も「マンシューラート」、訳すと「ビラ、パンフレット」という意味だ。革命歌手にはふさわしいタイトル。中身はムバラクを批判していた一年前とほとんど同じのようだが、「ムバラク出て行け!」を「軍政出て行け!」と言い換えたりし、今も革命は続いているのだと言わんばかりだ。
全曲、彼の公式サイトからダウンロードできる。
http://www.ramyessam.com/

そして、カイロキー。「自由の声」以来彼らの人気はうなぎ登りだ。

彼らが7月に出したアルバムのタイトルチューン「Matloub Zaeem」のビデオクリップが、このたび公式にyoutubeにアップされた。今まではネットテレビ「ゴムホレイヤ」のサイトでしか見られなかったのだが、これもやはり一周年記念ということか。

幾分長尺なこの曲には、今も革命継続中の若者たちの主張がぎっしりと込められている。彼らが革命にどんな思いを託し、新たなリーダーとしてどんな人物を求めているのかが歌い込まれている。抜粋して紹介すると...

「指導者を求む 支配者に裏切られた民衆のための
彼らは迷わされ辱められ 目も口も塞がれることを恐れていた
牢屋に引き渡され 飢えた犬どもにずたずたにされることを
だけど民衆は逆境にめげずに咆哮を挙げ
2週間で処刑人の砦を揺らし体制を壊した
圧制者たちの頭上で」

「指導者を求む 臆病者を良しとしない
僕らの鼓動までしっかりと聴いてくれる
僕らの真ん中にいて 決して宮殿なんかには住まない
墓地に住んでいる人のことを慮って
僕らと同じ物を飲み食いし 僕らの一員として暮らし
僕らの意見を聞いて取り入れてくれる
いざとなれば僕らは彼のまわりに集まって
彼のため命を投げ出すだろう」

「指導者を求む 僕らは彼を法で諮れる
信頼を裏切ったならクビにすることもできる
容姿は問わない 年齢も問わない
宗教も問わない 人間であることが唯一の条件
つまりは、真の漢を求む」

ビデオクリップも良くできている。
冒頭はナセル、サダト、ムバーラク、そしてオマル・スレイマーンによる、政権交代の発表演説をサンプリングしている。
まず登場するのがボーカリストのアミール・イード(ちょっと太った?)。カイロの町中をつぶやくように歌いながら歩いている。冷笑的に見ている通りすがりの人たち。そこへ、ギタリストのハワーリー君が加わる、そして、角を曲がると数名の若者が加わり、さらに数名と、その数は次第に増えていく。女性の姿もある。皆が手にプラカードを持っている。
クライマックス、「容姿は問わない(la yushtarat li shakro eeh)、年齢も問わない(la yushtarat li sennno eeh)、宗教も…」という箇所で紙吹雪が舞い、ボルテージは最高潮に達する。まさに去年の若者革命の縮図、といった様相だ。

歌詞を吟味すると、いろんなほのめかしがあるようだ。「宮殿」に住む指導者というのは当然、ムバーラクのことを言っているのだが、「僕らの一員として暮らし」などはアムル・ディヤーブへの当てこすりだろう。ちなみにカイロでは墓地にスラム街が形成されている。

理想の指導者像としては、なにやら前時代的(ナセル的?)な英雄像がダブって見えたり、「真の漢」と訳した部分が直訳では「男」を意味する単語dakarだったり(女ではだめなのか?)と、アラの見える箇所もある。しかし、若者たちが求める市民社会の理想像が率直に表現されているこの歌詞からは、彼らがかなり理性的・論理的に変革を望んでいることがうかがえるのである。

ところでカイロキーにしろ、ラーミーにしろ、「アルバム発表」と良いながら、CDの形になっているものを見かけない。i-Tunesでも売られていない。一体正式にはどこで入手できるんだろうか?

タハリールへ再び [音楽]

譜面台に立てかけられた「自由の声」の手書き歌詞カード。焼け焦げた穴の開いた上着。血のついたシャツ。拡声器。割れたメガネ…

ビデオクリップの冒頭に映し出されるのは、今年一月から二月にかけてタハリール広場で繰り広げられた激しい攻防戦を偲ばせるアイテムの数々だ(少しわざとらしい感じもするが…)。

ムバラク退陣の直前に「自由の声」を発表したアミール・イード率いるロックバンド「カイロキー」は、その後「革命の英雄」としてあっちこっちのロックフェスやライブコンサートに引っ張りだこ。それまでインディーズで活動していた彼らが一躍エジプトを代表するミュージシャンとして、海外のメディアにまでも登場するようになった。

そうやって人気者になっていくカイロキーの活動をフェースブックなんかを通じて僕もこっそりウォチしていたのだが、革命も一段落したことだし、彼らも今度は国民統合のシンボルとして流行歌を量産していくのだろうななどと、少しさめた目で見ていたものだった。

しかしここへ来て、11月19日に始まる「エジプト第二の革命」とも呼ばれるデモ隊と治安部隊との衝突。今や押しも押されもせぬアイドルバンドとなった彼らが果たしてどう出るのか、期待と不安の半々の気持ちでウォチを続けていたが、嬉しい誤算というかなんというか。要するに、彼らはまだまだ革命から降りちゃいなかったのだ!

11月29日付、アミール・イード名義でYoutubeに投稿されたカイロキーの新曲ビデオは、11月後半に始まった一連のデモへの支持を表明している。ウード奏者のアーイダ・アイユービーをゲストに迎えたこの曲は、「自由の声」とはうって変わってオリエンタルなムードをただよわせている。

「広場よ、久しぶりだな」と、タハリール広場を擬人化し、古い友人と再会したかのように語りかけている。この「久しぶり」と訳した表現、直訳すれば「お前は長いことどこにいたんだ」という疑問文である。僕もカイロ留学中に、ちょっと会わないでいた知人と久しぶりに会うと、よくこのフレーズで話しかけられていたものだ。どこにいたも何も、ずっとカイロにいたわけだけど、これが友と再会した時のおきまりのフレーズなのだと知った。

「広場よ」カイロキー feat.アーイダ・アイユービー


以下、拙訳です。
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ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
僕らは一緒に歌い、頑張り 恐怖と戦い、祈った
昼も夜も力を合わせ お前がいれば何だってできた
自由の声にみんなが集まり 人生が初めて意味を持った
ひるまずに声を上げて 夢はついに叶ったじゃないか

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
お前は壁を壊し光を灯し うちひしがれた人々を周りに集めた
僕らは生まれ変わり 見果てぬ夢も生まれた
意見は違えど思いは清らかで 時にビジョンはぼやけてたけど
故郷と子孫と 散っていった若者たちの権利を守ろうとした

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
僕らは共に感じ、始めたけど 遠ざかると終わってしまった
僕らの手で変えるんだ お前は多くを与えてくれたがやり残したことがある
お前を思い出にしてはいけない 離れていると思いが萎える
戻って来よう、過ぎたことは忘れて お前のことを語り継ごう

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
広場は色んな人でいっぱいだ 物売りに勇敢な者
積極的な者、通り過ぎる者 声を上げる者、黙り込む者
集まって茶を飲めば どうやって真実を得られるか分かる
お前は世界に聞かせてくれる 人々を集めてくれる

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
思いが僕らを力づけ 武器は団結の中にある
広場は真実を語り 不正にはいつも「ノー」と言う
広場は波のよう ある者はそれに乗り、ある者は引く
ある者は外にいて めちゃくちゃだ、運命は変えられないのにと言う

ああ、広場よ 久しぶり、どこにいたんだ?
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以上。歌詞は上掲youtubeのリンク先コメント欄に、アラビア語原文と英訳文が載っていたので、大いに参考にしました。人称代名詞は意見が分かれるところだと思うが、男女で歌詞を訳し分けるのがいやだったので、ここでは「僕」で統一。それ以外にもかなり超訳しちゃってるところがあるのだけど…

ウード弾き語りのアーイダ・アイユービー、革命後に初めて知ったアーティストだが、りんとした歌いっぷりがかっこいい。「アイユービー」という名字がどうしても気になってしまう。アイユーブ家の末裔?

(説明文と訳文、大幅に書き換えました)

追記:下記のサイトで日本語字幕付きビデオが見られるようになりました。
Universal Subtitles
http://www.universalsubtitles.org/ja/videos/c27paD8jFpNt/

追悼曲はシャバービー歌手にとっての踏み絵か [音楽]

前回のエントリを書いたあとに知った情報を追加。

まずエジプトの氷川きよしことハマーダ・ヒラールは、革命成就直後の12日に、新MVを発表。

これ、タハリール広場に停まってる戦車を背景にベソをかくハマーダの映像と、デモ中の民衆の映像が巧みにモンタージュされていて、まるで彼がデモの最中にタハリールにいたみたいな演出になっている。しかし、ハマーダがタハリールに足を運んだのは12日、まさにムバラク辞任の翌日だ。多分、前エントリで伝えた「清掃活動」の時に、こっそりと撮影したんだろう。たったの一日でこれだけの作品を仕上げたのはたいしたものだが、「ハマーダも革命に参加してました」とでも言わんばかりのこの演出は、正直いただけない。

話が飛ぶが、1998年の秋に横浜ベイスターズが優勝した時に、それまで巨人応援モード一色だった横浜そごうが突如「そごうはベイスターズを応援していました」との垂れ幕を下げてセールを始めたことを思い出してしまった。そのとき僕は「くそー騙されるもんか」と思いつつも、セールをしてくれるのは消費者にとっては良いことなので、一概に否定できない自分もいたんである。まあ横浜優勝だなんて当時誰も予想しなかったことだし、しょうがないことかな、とも。

なんだか変な話になってしまったが、この優勝便乗セール的なMVが、ハマーダに限らずシャバービー歌手たちの中からどんどん発表されているのが今のエジプトのトレンドである。

中堅実力派女性歌手のアンガームが歌う「ヤナーイル(一月)」。このMVではレディーガガ的演出は封印して、犠牲者を追悼している。わずか一分半ほどの小品だが、映像のクオリティは高い。


若手男性歌手ではターメルと人気を二分するムハンマド・ハマーイーも追悼ソングを。あいにく、映像の方は作っていないようだ。


これらをざっと眺めると、キーワードは「ショハダー・ハムサ・ウ・イシュリーン」つまり、「25日(革命)の殉死者」たち。彼らを英雄的に賛美し追悼するのが、これらの曲の基本スタンスである。

そしてさらに注意したいのは、これらの曲が最初にアップされているのはいずれも12日。つまり制作者側は、革命の帰趨を見届けたのちに、それぞれの曲を発表したということになる。曲の方はそれ以前に吹き込んでいたんだろうけど、映像は急ピッチで作成されたことだろう。

当然、これらのMVを眺めるシャバーブ(若者)たちは冷ややかである。犠牲者を追悼したいんなら、なぜもっと早く出てこなかった?というのが本音だろう。実際、youtubeのコメント欄にも「あんた革命中どこにいたんだよ?」との容赦ない質問がいくつか見られる。

しかし、シャバービー歌手たちにとっても、ここは譲れないところだ。追悼曲を歌わずにいることで「旧体制の手先」とのレッテルを貼られてしまう危険を考えれば、たとえ「偽善者」とそしられようが今何か歌っておいた方がいいのである。なにせ、シャバーブの人気を失ってはシャバービー歌手はやっていけないのである。そんなわけで、今のこの革命便乗大セールが続いているのだ。

そしてついに、エジPOPのスーパースター、アムル・ディヤーブも新曲を出した。彼はデモ開始後早々に、ムバラク支持の集会に顔を出した(動員された?)とも伝えられており、筋金入りの旧体制派と思われても仕方ない人である。そんな彼が取り上げたテーマもやはり、「ショハダー(殉死者)」への追悼だった。

本人は姿を現さず、エジプト国旗の背景の上に次々と「殉死者」の肖像が並べられていく。…あれ、なんだか他の映像に比べると殉死者の数が多いような。これは確証が持てないんだけど、アムルの出してきた殉死者の中には、制服を着た警官の人なんかも含まれている気がする。だとするとそれはすごいことで、ここにはアムルの明確な主張が込められている、つまり、デモに参加した人も旧体制側についてた人も、これからはノーサイド、新しいエジプトのために力を合わせましょう、という主張が込められていることになる。よく言えば未来志向だが、革命派のシャバーブにとっては噴飯物だろう。まあ、あくまで推測なんだけど…

ともかく、12日以降にどしどし発表されているにわか作りの追悼曲を並べてみると、まあそれぞれ作りは立派なんだけど、なんだかなーという感じがどうしてもしてしまう。とするとやはり、前に紹介した「自由の声」は、革命の真っ最中に、制作・発表されたという点で、他のシャバービー歌手たちの曲とは全く性質のことなるもの、ということになるだろう。「自由の声」の発表日は2月10日だった。これはいくら強調しておいてもいいと思う。

シャバーブ革命後のシャバービー歌手 [音楽]

エジプトでの今回の一連の事件。これをなんと呼ぶかについては、日本語メディアの中でも意見が分かれているようだ。チュニジアのジャスミン革命にならって、ロータス(睡蓮)革命と呼ぶ者、エジプトの植物と言ったらパピルスだろと言う者、フェイスブック革命だ、ツイッター革命だ、革命2.0だ、いやただエジプト革命と呼べばいいのだ、などなど。

しかし現地メディアを見れば、革命の呼称はいたって明快である。ズバリ、「1月25日若者革命」、あるいは単に「若者革命」と呼ぶことも多い。「若者」の原語は「シャバーブ」。したがって本ブログでも、今回の革命を「シャバーブ革命」と呼ぶことにしたい。

さて、シャバーブ革命と言うなら、本ブログでいつも紹介している「シャバービー(若者向け音楽)」のスターたちの動向に注目されるところだ。しかし、3つ前のエントリ「エジプト革命とエジPOPスター」で述べたように、彼らシャバービー歌手たちの多くは旧体制側のメッセージを伝えるかのような歌を発表し、ムバラク退陣を求めるシャバーブたちには冷淡であった。

そんなシャバービー歌手たちに対し、革命シャバーブたちも容赦はなかった。すでにデモの期間中に、facebook上に「政府の手先芸能人ブラックリスト」を作っていたという(参考記事:ElaphAl BawabaAsharq alAwsat)。タハリール広場にきたターメル・ホスニーが速攻でつまみ出されたのも、彼の名前がすでにそのブラックリストに載っていたからだったのだ。

しかし、シャバーブの支持を失ってしまっては、シャバービー歌手にとってはおまんまの食い上げである。革命が一段落した今、シャバービー歌手たちは名誉回復に必死のようだ。

まず笑えたのはElaphのこの記事。デモ隊が去った後のタハリール広場をエジプト市民が自主的に清掃活動をした、っていうニュースが話題になったが、なんとそこにエジプトの氷川きよしことハマダ・ヒラールの姿もあったという。ていうかあんたデモの間どこにいたのよ?はっきり言ってすごくどうでもいい記事。

しかしまあハマダ君は特にデモ中、目立った活動をしていなかったので毒にも薬にもならなさそうだが、あからさまに旧体制支持の歌を発表しちゃった歌手の場合は事情は深刻だろう。たとえばイハーブ・タウフィーク。以前紹介したとおり彼は、「エジプト人よ、さあ帰ろう(タハリール広場から!)」という歌を歌っちゃってる。そんな彼が革命後発表したのがこれ。「エジプト人の子供」

手のひらを返して革命を賛美する姿勢に、またも笑ってしまった。国旗を振りつつ「ウンム・ッドンヤ、マスル!(世界の母、エジプト!)」と歌うラストが圧巻だが、youtubeのコメント欄では「偽善者!」と思い切りののしられている。

そして今回一番注目を集めている(悪い意味で)のがターメル・ホスニー。革命のさなかに、デモ中の犠牲者を追悼する歌を発表しているのだが…

「ロマンスィー王子」の本領発揮ともいうべき、きわめて彼らしい良い曲だと思うんだけど、これを発表したあとに、例のタハリール追い返され事件が起こっている。よっぽどテレビでひどいこと言ったんだな。

で、革命後に彼が発表したのがこれ。「おはようエジプト」

例によって当たり障りのない愛国ソングだ。最初の方に出てくる女性モデルが、ipadでフェースブックのサイトを見ているシーンがあって、なぜだかエジプト国旗を画面いっぱいに映し出したりしているのが、なんだか見ていて痛々しいくらいにけなげな感じがする(ターメルが)。

ターメルにせよイハーブにせよ、結局、早い段階でリアクションをして、それがデモに参加していたシャバーブたちの反感を買ってしまったというのが敗因だろう。もちろん、事務所の意向だかなんだか知らないが、彼らに体制よりの歌を歌わせようとしたお偉方の存在、というのもあるかもしれない。確かターメルもイハーブも、所属するレコード会社はエジプト企業だったと思う。

一方で、タハリールのシャバーブたちに歓迎され、革命後も高い人気を保っているシーリーン姐さんは勝ち組と言えるだろう。彼女が幸運だったのは、デモ開始時には湾岸ツアーの真っ最中で、エジプトにいなかったこと。つまり、どう振る舞うかじっくりと考える猶予があったのだ。(それはターメルとて同じだったのだが、何を血迷ったか電話インタビューに答えてしまった)。また、シーリーンの親会社がRotana(湾岸企業)であるのも、何か関係があるかもしれない。Rotanaがムバラクの顔色をうかがう必要などないからだ。

一人勝ちのシーリーン姐さんが、アハラーム新聞のWEB雑誌部門のインタビューに答えて、いろいろ偉そうに語っている記事。「今こそ私たちの声を世界に聞かせる時よ!」みたいな。

ターメルやイハーブは、確かにうかつだったかもしれない。しかし、デモの最中は彼らのような考え方をするエジプト人も、結構いたはずだ。つまり、「もう出馬しないと言ってることだし、そろそろ事態を丸く収めようよ。正直もう生活苦しいし」と。ターメルたちはそんな声なき声の代弁者であったはずだ。革命が劇的に幕を下ろした今となっては、ターメルたちばかりがはしごを外された形になり、「親ムバラク」のレッテルを貼られているが、実際にはタハリールに集まった人と集まらなかった人との間には深い亀裂が刻まれているのかもしれない。

そんなエジプト人たちの心を再び一つにするためには、ターメルたちシャバービー歌手の責務は大きいと思うんだけど。今彼らが慌てて発表している愛国ソングが「みそぎ」となって、早く人気を回復してもらいたいものである。エジプトには、ロックやラップだけでは物足りないのだ。

いよいよエジロックの時代が来るのか [音楽]

まずは、前回のエントリで紹介した「自由の声」、僕がブログに和訳を載せているのを、ツイッターを通じて見つけてくれた@ghhotiさんが、字幕にしてYoutubeにアップして下さいました。ありがとうございます!


この曲とビデオ、評判がいいようなので、この機会にエジプトのロック歌手の紹介をば。

作詞作曲とビデオ前半のボーカルを担当しているのは、アミール・エイド(Amir Eid)という人。はじめは気づかなかったが、何とこの人、「カイロキー(Cairokee)」というバンドのボーカルをやってる人だった。バンド名の「カイロキー」とは聞き慣れない単語だが、なんでも「カイロ」と「カラオケ」を組み合わせた造語だというから、日本人にも親近感が湧くではないか。公式サイトはこちら

彼らのビデオクリップはこんな感じ。もう、ボーカルの声質からしていかにもロックではないか。

「自由の声」のクレジットを見ると、ギターもこのバンドの人のようだ。

一方、ビデオ後半のボーカル担当で音楽プロデューサとしてクレジットされているのは、ハーニー・アーデル(Hany Adel)。下町ロックバンド「ウステルバラド(Wust el Balad)」のボーカルだ。バンド名は日本語で「下町、ダウンタウン」という意味。メンバー8人のやたら大所帯なバンドだ。公式サイトはこちら、フェースブックはこちら

彼らのビデオクリップは、昔このブログで書いたけど、なんとなくポップすぎてあまりよろしくない。しかし、ライブ演奏を元にしたこのMVは、泥臭くてものすごくかっこいいのでぜひ見て聞いてほしい。


前にも書いたとおり、エジプトのPOPスターたちがのきなみ体制支持の姿勢を見せていたのに対し、これらのロック歌手たちはみなデモ側にコミットしていたようだ。そこいらのPOPスターが、あの時のタハリールでビデオ撮影をしようものなら、デモ隊から帰れコールを浴びて即時退場となっていたことだろう。ロック=反体制という図式がエジプトにはまだ当てはまると言うことなのか。あるいは彼らロック歌手がずっとインディーズで日の目を見ない存在だったために、容易にデモ側に乗っかれたと言うことなのかもしれない。

さてデモ隊に加わるロック歌手としてはもう一人、前回名前だけ挙げたラーミー・エサーム(Ramy Essam)がいる。彼は連夜のタハリール広場の座り込みで、ギターを弾きながらシュプレヒコールを盛り上げた人物。フェースブックはこちら

「僕らみな、力を合わせ、望むのは ただひとつ
 出て行け!出て行け!出て行け!出て行け!」
すっごい単純なフレーズなんだけど、みんなで唱和してなんとも楽しそうだ。デモって言うのはこうでないと。
注目したいのはこのフレーズにある「力を合わせ」という部分、正しく訳すと「ひとつの手で(ايد واحده)」となるのだが、これはPOPスターのターメル・ホスニーが最近発表した、愛国ソングのタイトルだ。ターメルと言えば今回のデモに際して体制側の発言をしたためにデモ隊からむちゃくちゃ嫌われた歌手だが、このシュプレヒコールはそんな彼への当てこすりにもなっているのかも知れない。

で、この動画で使われてる音源が、リミックスされてた。ちゃんとした曲っぽくなっている。
RamyEssam

もう一人、エジプト人ロッカーではクール(Koor)という人が前から活躍してるけど、これはタハリールには来てなかったのかな。でも彼は彼で、こんな革命ソングを発表している。


こうして並べてみると、エジプシャン・ロックの世界も意外と層が厚そうだ。今回のデモで一躍名を世界に知らしめた彼らが、これからどう活躍の幅を広げていけるのか、今後が楽しみである。

※2月16日追記:
「自由の声」の原文が知りたい、というお問い合わせを受けたのですが、下記トラックバック元にある榮谷さんのブログ「アラビア語に興味があります。」では歌詞のアラビア語と日本語の対訳が掲載されています。是非ご覧下さい。

タハリール広場から自由の声 [音楽]

前回はエジPOPスターの有名どころがこの二週間で発表した楽曲をいくつか紹介したが、多くのスターたちは体制側の主張、つまり、

「民主デモは立派だけど、そろそろ撤収したら?」

をなぞるようなメッセージを発していた。まあ先行きの分からなかったあの状況下では仕方ないこととはいえ、デモへの全面支持を訴える曲が、ビッグネームの方から出てきてもよかったのではと、少し寂しく思っていた。

デモに完全コミットして革命の歌を歌っていたのは、インディー・ロック歌手のラーミー・エサームだけか…と思っていたのだが、ここに来て待ちに待った情報が!(@ottabedaさん、感謝です)

アミール・エイドという名前がクレジットされているが、参加アーティストとしてこのブログでも以前紹介したことのあるカイロの下町ロックバンドWust el Balad(アラビア語で「町の中、ダウンタウン」という意味)のボーカル、ハーニー・アーデルの名前もある。ムバラク辞任発表の直前にアップされたビデオクリップ。まさにデモの真っ最中のタハリール広場で生まれた革命の応援歌と言うことになる。あの広場のテントの中で、こんなものを作ってたのかと、感心させられる。

デモに参加する市民たちが次々に現れ、みんなでワンフレーズずつ歌い継いで行くという映像。若者も老人も、男も女も、コプトもムスリムも、様々な人々がフィルムにおさめられている。この映像を見ているだけでも感動的でもらい泣きしてしまうのだが、なにしろ歌詞が素晴らしいのだ。幸いビデオクリップの中で歌詞が紹介されているので、以下に訳出したい。

1
もう帰らないと言って僕は出てきた
すべての道に血で文字を書いた
聞こうとしない人にも話を聞かせたら
邪魔するモノはみんな崩れ去った

夢だけが僕らの武器だった
目の前に明日は開けてる
ずっと前から待っていた
探しても見つからない僕らの居場所

この国のすべての通りから
自由の声がわき上がる

2
空に顔を向けた僕らには
もう空腹なんてどうでもいいんだ
重要なのは僕らの権利
僕らの血で歴史を刻むんだ

君も僕らの一員なら
もうそんなことは言わないでくれ
「もう行こう、夢なんてほっとけ」とか
「”私”なんて言うのはよせ」だなんて

この国のすべての通りから
自由の声がわき上がる

...やや超訳気味だがいかがだろうか。ものすごくストレートなプロテストソング。どう聞いても革命の応援歌だろう。注目して欲しいのは、二番の真ん中ごろの歌詞、「君も僕らの一員なら」という部分だ。前のエントリで紹介したとおり、三年ほど前に大スター、アムル・ディヤーブがムバラク賛歌を歌っていたが、そのタイトルが「僕らの一員」というのだ。彼らはアムルたち体制側の歌手とその同調者に向けて、強烈なメッセージを発しているのだ、と考えるのはうがち過ぎだろうか。

ところでこの歌の最後の方で、誰かの演説がサンプリングされているんだけど、これ誰の演説かわかる人いませんか?

※2月17日追記
「演説」ではなくて、「詩」でした。詳しくは下のコメント欄K.Yamamotoさんの書き込みをご覧下さい。
またこれまでに訳についてもいくつかご指摘を頂きましたので、誤訳箇所を何ヶ所か(何ヶ所も)訂正しました。サカエダニさん、Yamamotoさん、ありがとうございました。

エジプト革命とエジPOPスター [音楽]

エジプト情勢、動きが速すぎてとてもフォローできないんだけど、とりあえず集まってる芸能情報を。

まず前エントリでMAD動画を紹介したシャアバーン・アブドゥッラヒーム。ツイッターでは「今頃大統領とデモ隊、どっちをけなす歌を作ろうか思案中」などと噂された彼が、2月5日に新曲を発表。どのエジプト人歌手よりも素早い対応だった。

ただし、ビデオクリップの映像は誰かが勝手にコラージュしたもの。本人は歌だけ歌ってるにすぎない。「革命はそりゃ立派だけど、そろそろうちに帰ろう」的な主張。でもって、スレイマンもバラダイも、どっちも駄目だという。皮肉の切れ味もちと鈍い感じだが、さすがに「バヘッブ・ムバーラク(ムバラク大好き)」とは言えなかったようだ。

次に飛び込んできたのはムハンマド・ムニールの新曲「どうよ?(izzay?)」。ムニールと言えばエジPOPの「王(マリク)」と呼ばれる大物。普段あまり政治色を出さないタイプの歌手なので、少し意外に感じる。

とはいえ、youtubeに挙げられてる説明を見ると、元々去年の10月に曲自体は作られていたが、今回のデモを受けて、映像をつけて発表されたということらしい。曲の歌詞をみると政治や社会のことなどには触れていない模様。普通のラブソング。ただ、2人称表現が女性形で書かれていて(エジPOPでは通常2人称は、歌手の性別を問わず男性形を用いる)、あたかもエジプト(女性形単語)に向けて「君に惹かれてしまうのってどうよ?」と言っているように解釈されるのではないだろうか。映像の方も、急ごしらえにしてはニュース映像などを効果的に用いている。

その後ばたばたとエジPOPシンガーたちが新譜を発表。

たとえば中堅歌手のヒシャーム・アッバース。「この国は僕らの国」。

2005年の大統領選挙以来、次々に作られているエジプト愛国ソングに連なるメッセージだ。たとえば2005年にシーリーンが歌った「我が国」のビデオクリップと、今回のヒシャームのビデオを見比べてみるといいだろう。シーリーンの曲の冒頭に出てくる農家のおっさんが、ヒシャームの2:05頃に全く同じ映像で登場する。エジプトを支える農家の人、コプトとムスリムが仲良く手を取り合う様子、そんなエジプト国民統合にはうってつけのシーンが目白押しだ。

それから庶民派伝統歌曲を得意とするイハーブ・タウフィーク。「エジプト人よ、さあ帰ろう」。

なんだか国営放送の呼びかけそのまんまな曲名で笑ってしまった。要するに、デモ隊はもう解散しなさいということ。映像面ではやはり、上記ヒシャームと同じ作りだ。ところどころニュース映像は挟んでいるものの、装甲車が市民をひき殺すシーンなどは当然ながら使っていない。デモを真っ向比定するわけではなく、やんわりと、そろそろやめたら?と促しているよう見える。

ちょっとわかりにくいのは、マフムード・エセイリーの「薬屋さん」。

「もしもし、薬屋さん?開いてますか閉まってますか?ここにけが人が居ます。何でケガしたのか知らないけど」
などととぼけた歌詞。タハリール近辺の混乱状況を描写したものか。つけられた動画は公式のものではなさそうだが、比較的、デモ派の若者にも受けの良さそうな画像が選ばれているように見え、上の2つとは毛色がちがう。つまり、「みんなもう帰ろう」とは言ってないし、かといって「ムバラク倒せ」とも言ってない。狡猾だ。

これだけいろんな歌手が曲を発表している中、エジプトのシャバービーを代表する新旧2大ビッグスターがまだ現れていない。アムル・ディヤーブとターメル・ホスニーだ。

しかしアムル、去年の末頃にリリースされたビデオクリップ「ぼくらの中の一人」は、もろにムバラク賛美の愛国ソング。

「祖国のために犠牲になった者よ」と呼びかける歌。ビデオの最後ではどどーんとムバラクの顔が浮かび上がる。多分、国営放送の作成。もちろん、これはデモ前に作られた曲だけど、舌の根も乾かぬうちにデモを支持したりはできないだろう。実際、2月3日の時点でアムルがムバラク・サポーターのデモに姿を現した、なんていう情報もdmcairoさんのツイートで知った。

とはいえ、同じアムルの曲にこんな画像をつけてる職人も見つけた。

今回のデモで命を落としたデモ参加者たちの追悼ビデオになっている。「祖国のために」と同じ言葉を唱えながら、方向性は真逆。興味深い。

ちょうどオランダだかどこかにツアーの最中だったターメルだが、実はすでにyoutubeの自分のアカウントに、「1月25日の犠牲者たちへ」と題する歌を即興で吹き込んでいた。で、てっきりデモ支持派だと思っていたのだが、国営放送の番組中の電話インタビューで、「デモ隊のみんな、そろそろ帰ろう」と呼びかけていたという情報が。それから緊急帰国し、何を血迷ったかタハリールのデモ隊の真ん中で同じ主張を繰り返してつまみ出されたという。帰れコールを浴びて涙目になってるターメルの動画、なんていうのも現れた。

...このように、多くのエジPOPスターたちは、なんとなく体制派の道具にされてしまっているような感じがする。しかし、誰をとっても、デモ自体に真っ向から否定的なことを言う人はいない。デモはエジプトの革命の伝統に則っており、それ自体は美しいものだ、と言う認識があるのだろうか。そこまでデモに理解を示した上で、「もうそろそろやめたら?」となるのである。「もうデモにもキファーヤ(たくさん)」とでも言いたげである。

このキファーヤ感覚、タハリールに集まっているデモ隊にはとうてい理解されないだろうが、タハリールに集まってない多くのエジプト人にとっての日常感覚にマッチしているのでは?とも思えてくる。

もう一つ、エジPOPスターたちの主張に共通するのは、エジプト人としての一体感の重要性。これは2005年の選挙以来、ワールドカップ予選でのアルジェリアとの死闘や、昨年末から起こってるコプト・ムスリムのヘイトクライムなどへのリアクションとして、しばしば見られる主張である。そして今回も、デモはいつか収束するだろう。収束した暁には彼らエジPOPスターが現れ、「もういがみ合うのはよそう」てな感じで愛国ソングを歌いまくるのだろう。いわば国民統合のための調整弁だ。

そんな流れの中で、エジPOPスターの中では唯一と言っていい、デモに賛同する言動をしているシーリーン・アブドゥルワッハーブ。タハリールの群衆に向けて、「私はもう国営放送では歌わない」と宣言したそうである。彼女も来るべき時には愛国ソングを歌って、エジプト国民統合の象徴となることが期待されているビッグネームであるはずなのだが、はて。今後の彼女の言動が気になるところである。

ジャスミン革命の歌姫 [音楽]

まずはこの動画。

ブルギバ通りを埋め尽くす群衆。その中で、キャンドルを片手に歌う女性がいる。遠くでシュプレヒコールが聞こえているところからすると、きっと先のチュニジア革命の際の出来事なのだろう。彼女の澄んだ歌声が胸に染み入る。

この人、フランスで活動するチュニジア人歌手の、アメル・マスルースィーという人らしい。そして歌っている歌は、「私の言葉は自由」というアラビア語の歌。最近、Arabic song lyrics and translationのサイトで紹介されているのを見て初めて知った歌手だ。リンク先ではアラビア語の歌詞とその英訳があり、彼女が二年ほど前にバスティーユ広場で行ったライブの風景が紹介されている。

ウィキペディアにはまだ項目がない模様。公式サイトとされているのがこれ。フランス語。MySpaceのサイトもある。

YouTubeで探してみると、いろいろと興味深い歌を歌っている。たとえばこれ。
Naci en Palestina
題名を少し変えて、パレスチナへのメッセージソングにしているが、原曲はトニーガトリフ監督の映画VENGOの劇中歌だ。たぶんスペイン語。

さらにこれ、ファティ・アキン監督の「私たちは愛に帰る」の劇中歌をカバーしたもの。トルコ語?
Ben seni sevdugumi

どちらの映画も個人的にツボすぎて、少し気味が悪いくらいだ。しかし、彼女にとってはスペイン語もトルコ語も、あまり縁の無い世界と思われるのに、こんなのを歌っているのには、どういう曰くがあるのだろうか、ものすごく気になる。

ともあれ、彼女がバスティーユとブルギバ通りで歌っているこの歌は理屈抜きでかっこいい。革命万歳!この歌手はきっと、スアード・マーシーを超える歌手になるだろう。エルスールのHさん、これは買いですぞ!

さて、目下大注目のエジプト情勢だが、エジプトでは革命の歌姫は現れるだろうか?

今のところそのようなニュースは聞こえてこないが、しかしみんなが期待しているあの人が、反ムバーラクの歌を用意していた!

ってこれ、どこかの職人が作った替え歌なんだけど、原曲の「イスラエルが嫌いだ」の部分と「ムバーラクが好きだ」の部分を上手い具合に組み合わせて、「おれはムバーラクが嫌いだ、だって陰気だから(アシャン・ダンモ・ティイール)」などと歌わせている。実にバカバカしくてよい。

エジPOPのクラシック、「エンタ・オムリ」 [音楽]

久々、エジPOP関連エントリ。

最近youtubeでアーマール・マーヘルのコンサート動画を見つけた。
レバノンのベイトッディーン音楽祭で、ウンム・クルスームの名曲「エンタ・オムリ(君こそわが命)」を歌っている。

このブログでも紹介したことのある彼女だが、ウィキペディアによると1985年生まれとのこと。24歳の若さであの大曲を堂々と歌いこなす姿は、まさに現代のウンム・クルスーム。しかもこのルックスの良さはどうだろう。奇跡としか言いようがない。皆さんも是非、youtubeのリンクを辿って彼女の歌う名曲の数々を味わって頂きたい。

さて、「エンタ・オムリ」はウンム・クルスームの代表作として知られるが、現代のアラブ歌手でこの歌をレパートリーとしている人が何人かいるようだ。youtubeで少し集めてみた。

まずはエジプトの歌姫アンガーム。この人、頻繁にこの歌を歌っているようで、動画の数も多い。これ↓はその中の一つで、音楽バラエティ番組でのライブ風景か。

確かにうまい。うまいが、本家に比べると線が細い感がいなめない、ってそりゃ当たり前なんだけど、ビブラートが細かすぎて声量が落ちてるように思える。単に僕がこの人あまり好きでないせいかもしれないが、顔でトクしてる気がするのだ。

エジプトの実力派若手として僕が推したいのはむしろこちら。シーリーンが歌う「エンタ・オムリ」。

安っぽいシンセのイントロが何ともいえないのだが、歌が始まるとシーリーンの世界になるので大丈夫。原曲よりキーをあげて、得意の高音域でのびのびと歌っているのがイイ。よほどよく歌い込んでいるとみえ、フェイクも多用しているし、高音の延ばしは完全にシーリーン節である。その分、ウンム・クルスームからの距離感が大きくなっているのだが。

ちなみにシーリーンは以前は原曲と同じキーでも歌っていたようだが、低音が出づらいのか少し歌いづらそうにしている。


こうして見比べてみると、アーマールが一番ウンム・クルスームのパフォーマンスを忠実にまねているように見える。声質が本家と似ている(音域が近い)せいもあるのだろうが、やはりプロ歌手としてのキャリアの浅さから、自分のスタイルができていないのかもしれない。今後この歌をたっぷりと歌いこんで、是非とも「アーマール節」を確立してもらいたい。

一応、本家本元のエンタ・オムリも。外国人には難解・退屈と評されることも多いこの曲だが、いろいろな歌手のカバーバージョンと聞きくらべることによって、ちょっと聴きやすく感じられるような気がしませんか?

ちなみにこの動画(静止画だけど)、歌が始まるのは2番目の動画から。はじめの10分はひたすら前奏です。やっぱ長!

女の子目線の歌姫 [音楽]

今回のエジプトでは、ナンシー・アジュラムのメディア露出は若干控えめなように感じた。やはり育休中なのだろうか。

それに対し、同じ出産後一年ほどのシーリーン・アブドゥルワッハーブの方は、各種雑誌のグラビアを飾り、大人気のようだ。やはりエジプトではナンシーよりもシーリーンなのだろう。
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左の写真は僕が留学中に愛読していた芸能雑誌『ヌグーム(明星)』誌。しばらくみないうちにずいぶんときれいな誌面になっていた。右は奥様向け雑誌だろうか。どちらも愛娘マリヤム嬢とのツーショット。こうしてみるとマリヤム嬢は、「デビュー当時の」シーリーンに良く似てるよう...(以下略)

彼女の最新のアルバムは2009年発売の「Habait(ハッベート、「好きです」)」。妊娠中の吹き込みなのだろうか、かなりぎりぎりの時期に出ているはずだが。もちろん、購入してきた。(写真はあとで添付)

帰国後、じっくりと聴いてみる。彼女のここ5年ほどの変貌ぶりは著しい。「アー・ヤー・レール(夜よ)」の頃のようなエグさや泥臭さはすっかり消えてしまい、「サブリ・アレール」の元気の良さも若干抑えめになっている。しかし独特のこぶしとハスキーボイスは健在で、バラード中心のメロディラインに骨太な地声が絶妙にマッチしている。実にいい。前述のターメル・ホスニーと並び、エジプトのロマンスィー路線を牽引する立派な中堅アイドル歌手に育っているのが分かる。

旅行中、学生たちの1人がシーリーンのCDジャケットを見て、「あ、これなんかビヨンセちゃうん?」といみじくも指摘していたが、ルックス面でもサウンド面でも洗練されている。彼女を「アラブのビヨンセ」と呼んでみてもいいだろう。

さて彼女の新譜の歌詞をじっくりと眺めてみたのだが、確認できた限り、全10曲中7曲において、一人称表現に女性形の述語が用いられていた(2,3,4,7,8,9,10)。

ここで注意が必要なのだが、アラビア語では一人称の代名詞と動詞には男女の区別はない(二人称ではある)。だから「私は愛する」みたいな表現だとその「私」が男なのか女なのかは判別できない。しかし、形容詞には必ず男女の区別があるので、「私はうれしい」みたいな表現があってようやく、「私」が男か女かがわかるのである。

逆に言うと、別に主語が男性か女性かを問わないで済むような歌詞を作ることは、アラビア語においては十分に可能なはずだが、それをあえて女性形の形容詞を用いると言うことには、何かしらの効果を狙った意図がよみとれるだろう。

これまで他の女性歌手の歌謡曲をそれほどじっくり吟味したことがないので推測だが、ここまで女性形の主体であることを強調する例はあまりないと思う(ウンム・クルスームが女性形形容詞を用いていたかどうか)。おそらく最近のシーリーンの楽曲の歌詞は、今までになく「女らしい」歌詞、もしくは「女の子目線」の歌詞なのではないだろうか。

そしてこの流れは、若手男性歌手の歌う歌詞に、女性形の二人称表現が多く現れているというもう一つの変化と対応しているのではないだろうか。というのが現在の僕の関心。

ただし、このような歌詞の上での変化が、現地のエジプト人、アラビア語話者たちにどのように受け取られているのかはまた別問題。彼らは日常的にも、女に向かって男性形で呼びかける、みたいなことを普通にしているみたいなのだが、これも要確認。誰か詳しい人、教えてください!

ロマンスィー王子ターメル [音楽]

1週間ほど、学生の付き添いでエジプト旅行に行ってきました。カイロ、ルクソール、アスワン、アブシンベルとフルコースの旅程は10年ぶりくらい?

さて、今回の渡埃で一番目を見張ったのが、なんと言ってもターメル・ホスニーの躍進!ナンシーやシーリーンが産休状態な今、彼が若者人気を独り占めの観があります。アムル・ディヤーブなどはすっかり過去の人扱い。ファーストフード店でターメルのライブMVが流れれば、女の子たちはうっとりと眺め、男子たちは「かっこいいぜ、ちくしょう」と羨望のまなざしで見つめていました。

同行の日本人学生たちも、いつの間にか現地タクシー運転手などからターメルの曲を聴かされたらしく、「ランラン ラーララ ラー♪」と彼のヒット曲「ヤー・ビント・ル・エー(誰かさんよ)」のイントロを口ずさんでいました。恐ろしい感染力です。

早速ゲットしたターメルの新譜「Ha3esh 7ayaty(ハエイシュ・ハヤーティ、おれの人生を生きる)」。シルクハットを被ったジャケ写がナルシズム全開です。
2007tamer.JPG
軽くて高音がよく通り、コブシも適度にきいた「ターメル節」に磨きがかかり、さらに以前にも増して「ささやき」の度合いが増しているように感じます。曲調はほとんどJ-Popやコリアンポップスと区別が付かないほどですが、ところどころにオカズ的なアラブ伝統楽器が使われていたり、うっかりとちゃかぽこリズムが混じっていたりもするので少しほっとします。

さてこのターメルが得意とするような、時にささやき時に朗々と歌い上げるせつな系ラブバラードのことを、現地の若者は「ロマンスィー」と呼んでいるのを、今回再度確認してきました。シャアビーでも、シャバービーでもなく、ロマンスィー。いや、シャバービー(若者向け)音楽の一部でもあるのですが、特にこの「ロマンスィー」という言葉で呼ばれる一連の楽曲が、ここ最近よく流行っているような気がします。

男ではターメルの他にモハンマド・ハマーキー、女ではシーリーンやナンシーはもちろんヤーラなども、このロマンスィー路線の若手(20代)歌手に数えて良いでしょう。この風潮は、ルビーやハイファに代表される、歌唱力軽視のセクシー系の氾濫や、アメリカンインベージョンに対抗して、かつての古き良き「タラブ(伝統歌謡曲)」を復活させようとする、アラブ芸能界の内部変化の現れではないか、と僕は分析しています。安定した歌唱力でもって、深い情感のこもったラブソングを歌う、それでいて時代遅れではないという、やや復古的にも見える最新のトレンドです。

(このような曲調の変化と並行して、歌詞の上でも二人称への呼びかけに女性形を使うという変化が起こっているのだと思うのですが、これはまだ仮説段階)

このようなロマンスィーの路線は、ひょっとすると日本人の若者にもかなり受け入れやすいものになっているのではないか、とも感じています。同行の若者たちのターメルへの注目ぶりが、そのことを物語っているように見えました。東方神起まできたら、もう後一歩でエジプトのロマンスィーです。ターメルの眉毛がもう少し薄ければ、とも思うのですが...

本物は「あたし」なんて言わない [音楽]

映画や音楽の世界にあまた出没する「不思議ちゃん」について、日頃から僕は否定的な評価を下すことが多い。しかし、こと、元ちとせという歌手に関しては話は別だ。彼女は本物だ。

さて、昨日mixiの芸能ニュースで知ったのだが、そんな彼女が今、反戦歌を歌っているらしい。詳しくはこのニュースを。彼女の所属事務所の公式サイトでそのライブ映像が見られるとのこと。

さらにYoutubeを調べてみると、なんと元の後ろで坂本龍一教授がピアノ伴奏している原爆ドーム前パフォーマンス、なんていう映像も落ちていた。これはすごい。

教授のピアノ、音でか!
この映像を見て非常に気になったのだが、元ちとせが「わたし」と歌っている箇所を、字幕では「あたし」と振っている。この「わたし」と「あたし」の違いが最近非常に気になるのだ。あくまで僕のイメージだが、「あたし」と歌ってしっくり来るのは一青窈レベル。元ちとせ級ともなれば、そこいらの似非不思議ちゃんとは格が違うので、「わたし」と歌うのが正解なのだ。字幕をつける人はそこのところをよく理解して頂きたかった。

ところでこの歌、ニュースでは、訳詞は中本信幸、作曲は外山雄三(編曲は坂本教授)となっている。ところが他にもこの曲名でぐぐってみると、訳詞は飯塚広、作曲木下航二、っていうバージョンもあったりする。このサイトによると、後者のバージョンは1957年発表、原水禁の集会や歌声喫茶を賑わした人気曲だったという。メロディーとかは全く別物だが、ベースとなった詩がおんなじ、といわけだ。

で、その原詩だが、ナジム(ナーズム)・ヒクメットというトルコの詩人が書いた「少女(クズ・チョジュウ)」という詩だそうだ。杉田英明先生の本で、エジプトの詩人が書いた日露戦争を祝す詩、とか、トルコの詩人が書いた関東大震災を悼む詩、とかが紹介されていたのを思い出すけど、その系列の詩なのかなとふと思った。(後期の授業のつかみに使えるかな、とふと思った)

上のニュース記事で、「ロシア文学者=中本信幸氏が日本語に訳し」とあるので、「あれ、トルコ語の詩じゃないの?」と疑問に思ったのだけど、ヒクメットは社会主義的思想からトルコ本国政府に目をつけられ、ソ連に亡命して詩作を続けたと言うことらしいので、「少女」という詩自体もロシア語圏で流行していた、ということなんじゃないだろうか。まあ、日本語訳も出版されているのでちょっと調べてみましょう。

ちなみに、英語版wikipediaナーズムの項目はこれ。この曲英語圏でもずいぶん歌われているようだ。日本語版についても書いてあるけど、元の肩書きが「famed Shima-Uta singer」となっている。見たところ英語版では57年版の話は書いてないようだけど、トルコ語版を調べてみれば詳しく分かるかな。

ミラよ、大きくなあれ [音楽]

62ce6af0.jpg久々の芸能ニュース。

5月16日、ナンシー・アジュラムが女の子を出産したそうです。名前はミラ。

でもって、ニュースサイトElaphには、出産を記念した新曲がアップされています!
聞きたい人は、下記リンクへ。
Elaph:ナンシー・アジュラム、ミラの母親に

試しに歌詞を訳してみました。かなりごまかして訳してますが勘弁を。
何を歌おう?感じたままに
あなたが生まれる前から歌っているのだから
あなたを思いやるほどに 私の心は消えてなくなりそう
あなたが生まれて 私の心は飛んでいきそう
ママの魂 ママの心よ
あなたこそ命 あなたに夢中
あなたの瞳に歌ってあげたい
ああ神様、ミラよ大きくなれ

しかしすごいなこの曲。こっちの読み間違いでなければ、出産前にナンシーがあらかじめ吹き込んでたわけでしょ。で、ちゃんと「ミラ」って歌詞に入ってるし。いくら国民的アイドルと言え、ここまで普通やる?

マレーが生んだ中華スター [音楽]

bb0f6f9c.jpgさてマレーシアだが、まず大変重要な情報。

ツインタワー横、KLCCのショッピングモール内にあったタワーレコードが、閉店していました!今KLCCに行っても、あるのはちっこいビデオ屋だけ。たいしたCDは買えません。

ホテルのコンシエルジュなどに聞いて、自分でも探し回ったところ、今クアラルンプルで唯一のタワーレコードは、ブキッ・ビンタンのLot10の中にあります(2008年11月現在)。店員も「ここが唯一だ」と言っていました。もっとも、それ以外の大型CDショップはあったのかもしれませんが。

で、先述のRaihanのコンピレCDを見つけてから、連れ合いに頼まれていた中国語ポップスをいくらか探してみる。ふと店員の顔を見ると、どうやら中国系の顔立ちだ。しかし油断はならない。この国にはパパニョニャなる、鄭和の時代からこの辺に住み着いてマレー化している中国人の末裔などもいるらしい。見た目だけで中国人かマレー人かは判断つきかねる。でもこの店員さん、女性なのにベールをかぶってない、ってことはムスリマではなさそう...などとぶつぶつ考えながら、勇気を出して聞いてみることに。

「あのー、失礼ながらお尋ねしますが、あなたは中国人ですか?」
「イェース!」

あ、どうやら当たりらしい。気を遣って損した。ちなみにこの当たりのやりとりはみな英語でやってます。

ともあれ店員さんにお勧めの中国語ポップスを尋ねてみたところ、真っ先に持ってきてくれたのが、林俊傑(JJ Lin)の新譜「陸(sixology)」と、梁静茄(Fish Leon)のライブDVD「今天情人節」の2つ。さすが、地元出身華人歌手は人気が高いのだろう(それぞれシンガポールとマレーシア出身)。

同じくシンガポール出身の孫燕姿はどうかと聞くと、「人気はあるけど新譜が出ていない」とのこと。また、中国語圏では無く子も黙る周傑倫(Jay)について尋ねると、「新譜は出てるけど、この店にはない」となんだか冷淡。

とりあえず、両方とも買う。(しかし帰国後、「陸」はすでに連れ合いが通販で購入済みだったことが判明!先にそれを言え!)

また、チャイナタウン(現地語でPasar Siniと言うらしいが、ペルシア語とアラビア語のミックスのような、不思議な名前だ)に行くと小さな書店でCDコーナーがあり、そこも少しのぞいてみた。ところが、売ってるCDがみたことも聞いたこともないような歌手ばっかり!販売元は広州と書いてあり、マレーシア産ではないようだが..気になったので適当に一枚買ってみる。Jayや陶吉吉のカバー曲ばかりを歌う、謎の女性歌手だ。

こっち系の音楽、国境を越える [音楽]

926d0a97.JPG6日間ばかり、仕事でマレーシアへ。
写真は夜のツインタワー(の片っ方)。

仕事の関係で、ディナーショーに招かれる。
なかなか料理が出てこずに待たされたのは閉口したが、そこに招かれていたゲストバンドの演奏に注目。(とはいえこの演奏も、空きっ腹に大音量で聴かされたので、同行の人たちにははなはだ評判が悪かったのだが)。

男5人組編成、ヴォーカルとコーラス主体で、伴奏はコンガなどのパーカッションのみ。そして歌う歌詞はアラビア語だ。それも、信仰告白など神や預言者を讃える文句ばかり。部分的にマレー語が交じる。

...これってまるで、サーミー・ユースフでは??

無性に気になったので、演奏後彼らの楽屋を訪ねて名刺交換する。聞けば、バンド名はAmrain。セミプロバンドであり、種々のイベントでのパフォーマンスなどを商売にしているそうだ。残念ながら、CDは出していないとのこと。

「君たちの音楽は、『ナシード』か?」
「イェース!」
「マレーシアの若者の間でも『ナシード』は人気があるのか?」
「イェース!!」
「君たちもサーミー・ユースフは聴くのか?」
「イェース!!!」

さすが!サーミーは民族も国境も越え、ムスリムの若者たちの心をとらえているのだ。しかし、この日の彼らの演奏は別にサーミーをコピーしていたわけではないらしい。パーカッションにもコンガのようなラテン楽器や、ダルブッカのような中東の楽器、そして地もとマレーシアの伝統楽器などを用いた、ミクスチャー音楽なのだという。

また、こういった感じのミュージシャンとして、地元の人からRaihanを勧められる。で、早速買ってみたら、あー、これこれ、という感じで合点がいった。Amrainの皆さんがやっていたのは、これだったのか。

どうやら、サーミーを引き合いに出すまでもなく、マレーシアにはこっち系の音楽が元々根付いていたのだ。

アラブの国にロックは流れる [音楽]

3年前の「音樂夜噺」でのことだったか、僕の話をわざわざ聞きに来てくれた大学時代の友人から、「エジプトにはロックはないのか?」と質問されたことがあった。それに対して僕の答えはこんな感じだった。

「たとえばエジプトの大学生がバンドを組もうとするだろ。で、『じゃあ俺ギターやるからおまえベースね、おまえはドラムス』っていう風に割り振ってると、横合いから、『じゃあおれダルブッカ』とか、『おれウード』とか、『おれのいとこがシンセ(ただし四半音の出るやつ)持ってるぞ』みたいなのが入ってきて、結局演奏できるのは田舎の結婚式みたいなエジPOPばっかりになっちゃうんだよ」

つまり、エジプトでは自前の歌謡曲の伝統が濃すぎて、ロックンロールが入り込む余地がないのである、ということだ。これがその当時の、そしてつい最近までの、僕の意見だった。

しかし、偶然発見したWust el-Baladなるバンドのこの動画を見て、この考えは大きく改めざるを得なくなってしまった。ワダよ、これを見てくれ!

「ママ!おれは結婚したいんだ! でも金がねー!」
「彼女はザマーレクに住んでる でもおれが住むのはアッバーセイヤ!」
ストレートで馬鹿な歌詞。若者の結婚難は、日本で言えばフリーター問題に匹敵するくらい、エジプトの若者にとっては切迫した社会問題だ。ワウワウギターの泣きのフレーズもイカす。これぞまさにエジプト産のロックンロールだ。

バンド名ウスト・ル・バラドは「町中、下町、ダウンタウン」といった意味。カイロ庶民の声を代弁するという意気込みだろう。公式サイトはこれWikipedia英語版にも説明がある。

YouTubeを見れば、彼らのライブ映像などが数多くあがっている。たとえばこれ。ボーカルのハーニー・アーディルという人が、なんとHey Judeをコピーしている。
アラブでビートルズ。ありえない!あり得ないくらいかっこいい!

こんなかっこよくコピーするアーティストがアラブにもいるんだから、ポールには是非パレスチナ側でもライブを行ってほしかった!(

しかし、である。

彼らの現時点で唯一のビデオクリップ、「アッラビー・リー」を聞いてみると、なんだかあんまりかっこよくない。
かっこわるいとは言わないが、ロックらしさが薄れていて、さわやかにハモったりしている。これはどうしたことだ?

彼らの所属するプロダクション会社、Star Gateのサイトを見ると、「アラブのBSB」ことWAMAなんかを手がけている会社らしい。あ~、WAMAの路線か。まあ、いろいろな思惑やら力学が働いて、ロックっぽいロックはビデオにできないのではないだろうか。ロックだと反体制的、あるいはアメリカ的と見なされて、エジプトではあまり売れないとか?その辺はよく分からない。

ともかく、彼らの神髄はどうやらライブにある。当分は携帯カメラで撮ったようなyoutubeの粗悪な動画でも見ておくしかなさそうだ。

ちなみに下は、彼らが最近やったシリアの歌姫アサーラとのジョイントライブの宣伝。これはこれでかっこいいのだが、単なるフラメンコギターのバンドのように見えてしまう。彼らがロックっぽいロックで大ブレークしてくれるようなら、エジPOPの未来もずいぶんと変わってきそうなのだが。


スパガfeat.吉幾三 [音楽]

しもまるこぐまさんが書き込んでくれているので、ちょっとしたプレゼント。



kisaraさんのブログで以前取り上げられていたやつです。一連の吉幾三シリーズの中では僕はこれが一番好き。吉はスパガの10年先を行っていたのです。

ついにサラディンをゲット! [音楽]

2001年の秋、当時エジプト留学中だった僕は、留学仲間のY氏と連れだってシリア地方を旅行した。

ヨルダンを陸路駆け足で通り過ぎ、ちょうどラマダーン一日を迎えるころにダマスクスに留学していたM氏の家に転がり込んだ。せっかく料理のうまいシリアだというのに、僕は風邪を引いたのか水が合わないのか、熱を出してしまい2,3日ゲエゲエ吐いてばかりいてどこにも行けなくなってしまったのを覚えている。同行の友人たちにも大変迷惑をかけた。

そんな過酷なシリア旅行で、僕の心にもっとも深く刻まれている思い出が、ちょうどその時期にシリア国営放送で放映されていたラマダーン大河ドラマ「サラディンصلاح الدين الأيوبي」を見たことである。

美しいアラビア語の台詞回し、押さえの効いた演出、きっちり考証されていそうな時代装束、クラック・デ・シュヴァリエなど本物の十字軍遺跡を使った贅沢なロケーション...とにかく、ため息が出るほどかっこいいドラマだった。これに比べれば、その頃エジプトでやっていた時代劇など、吉本新喜劇のようであった。エジプトびいきの僕もchapeauを脱がざるを得なかった。

それから7年、ついに、アラブ圏最大のオンライン書店「ナイルとユーフラテス」で、ドラマ「サラディン」のDVDを発見した!それが今日家に届いたのである。6枚組全30話、英語字幕付き、PAL方式だがパソコンでは視聴可能。

とりあえず冒頭の部分を見てみたのだが、懐かしい主題歌を聴いて感動!当時は気づかなかったが、歌っているのはシリアの名歌手アサーラだとオープニングロールに書いてあった。「♪アイユハルマールーン」というフレーズが耳にこだまする。(歌詞

サラディン映画と言えば、1961年のエジプト映画、ユースフ・シャヒーン監督の『ナースィル・サラーフッディーン』がある。かなり古い映画だが、考証もメッセージ性も良くできている。なにより主演のアフマド・マズハルが抜群にかっこいい。それから2004年のリドリー・スコット監督、オーランド・ブルーム主演の『キングダム・オブ・ヘブン』にもサラディンはかなり重要な役として出てくる。演じるのはシリア人俳優ガッサーン・マスウード(なんと、公式サイトあり)で、これまた渋い。これらの映画に現れるサラディン像と比較するという楽しみもある。さあ、これはもう、買うしかない!

なお、シリア国営放送はその後も良質の歴史ドラマを毎年制作し続けていると聞く。ArabiaTower.comを見ると、『クライシュの鷹』とか『ハーリド・ブン・ワリード』など、楽しげな名前が並んでいるが、これもそのシリーズだろうか。

2005年のラマダーン放映、その名も「ザーヒル・バイバルス」!冒頭の金髪のおっさんがバイバルスであろう。発売されるまでもう7年くらい待たねばならないか?

「アル・ジール」とは何だったのか? [音楽]

アラブポップスを眺めるに当たって、「ジール(jeel)」とか「アル・ジール(al jeel)」とか呼ばれるジャンルがある。一般に、アムル・ディヤーブなど、エジプトのメインストリームのアイドル歌手たちの歌う歌のことを、指すことが多い。この用語について僕は今までに書いた文章の中で、「すでに時代遅れのターム」と指摘してきた。現代のアラブポップスを指す用語としては、それに代えて「シャバービー(shababi、若者の)」という用語を使う方がよいと考えている。(これは何も僕の独創ではなく、さる英語の文献を参考にしているのだ)

じゃあそもそも「アル・ジール」とは何なのかというと、リビア人プロデューサのハミード・シャーイリーが、アムルやハキーム、ヒシャーム・アッバース、ムスタファ・アマルなどと組んで、80-90年代に制作し、がんがん売れていたヒット曲たちのこと、というのが僕の考えだった。しかし、90年代になってからの音楽、たとえばアムルの「Nour el Ayn」などは、サウンド的に相当に垢抜けしており、現在のシャバービーなアラブポップスとあまり変わるところがない。とすると、90年代まで生き残っていたアル・ジールと、2000年以降のシャバービーとを、あえてジャンル分けすることの意味は何なのか?というあたりで、僕の「アル・ジール」理論には不確定なところがあったのである。

ところが、最近になってPop Culture Arab Worldという本を読み返し、アル・ジールについての見解を改めねばならないことに気づかされた。

著者のAndrew Hammond氏によれば、アル・ジールの元祖はハミード・シャーイリーのプロデュースしたリビア人(実際にはマルサ・マトルーフ出身だそうだ。ということは、エジプト人)」歌手Ali HemeidaのLaw Leki (1988)だとのこと。この曲ではその後10年のアラブポップスを支配するフォーマットができあがっていると言い、それはすなわち
"Lybian clapping, finger cymbals, and a drum machine with a beat that mimicked the hip swings of belly dancing, which every Arab learns as a child."
でもってこの曲、当時6万枚カセットを売り上げたということ。むろん、大量に出回ったであろう海賊版については集計する手段がないので、実際の売り上げはこれを遙かに上回る。

どんな曲か気になったので検索したら、こんなビデオが見つかる。かなり耳に残るメロディーなので、注意されたい。
打ち込み主体の伴奏はいかにも安っぽい感じがするが、その後のNour el Aynまでに至る進化の道筋は容易に描けそうだ。

もういっちょ、この時期のアル・ジールを語るに欠かせない歌手として、Hananというエジプト人女性歌手がいるらしい。そちらの出典はこのサイト。で、こっちもビデオを見つけた。「エジプシャン・スマイル」と評された彼女のパフォーマンスを是非見ていただきたい。

なんちゅう声の裏返り方!いずれにせよ、ウンム・クルスームやハリームなどの世界とはがらりと変わった世界が提示されている。現代のアラブポップスができあがる前に、間違いなくアル・ジールと呼ばれる世界が存在したのである。

だがしかし、ウンムやハリームが亡くなってから、上に見たハミード・チルドレンが出てくるまでにはまだ10年くらいのタイムラグが残る。この間、いくらサダト期の停滞期だからと言って、エジプトから誰も歌手が出てきていないわけではなかろう。どうやらこの10年には、まだまだ何かが隠されているようだ。それについてはまた後日。

さしあたりはハミード本人の情報を集めるとしよう。
http://hamid219.tripod.com/index.html
http://www.jeelmusic.tk/

アラブはみな兄弟 [音楽]

前エントリの続き。「アラブの良心」だ。

歌詞を全部訳すのはさすがに大変なので、つまみ食い的に紹介するにとどめる。とりあえずアラビア語の分かる方は、こっちを見て確認されたい。アラビア語はよく分からないけど発音をまねしてみたいという方は、ローマ字転写を見てもらえればOK。ちなみにこのサイトからMP3ファイルなどもダウンロードできる。

まず、サビの部分はみな同じで、こんなことを歌っている。
maatet 2olub en-nas maatet bena en-na5wa
yemkin nesina fi youm en el 3arb e5wa
ماتت قلوب الناس ماتت بينا النخوة
يمكن نسينا في يوم إن العرب إخوة
人々の心は死んでしまった 私たちの誇りは死んでしまった
きっといつの間にか私たちは忘れてしまったのだ アラブは兄弟だと言うことを
30人の歌手が繰り返し、このフレーズを歌っていることになる。けっこう自省的というか自虐的な文句だと思う。

それがラスト、ちびっ子歌手モーメンMo'menのソロから、こんなフレーズになる。
sa7y 2olub en-nas sa7y beha en-na5wa
esro5 bi kol e7sas en el 3arb e5wa
صحي قلوب الناس صحي بها النخوة
اصرخ بكل احساس إن العرب إخوة
目覚めよ人々の心 目覚めよそこにある誇り
すべての感覚で叫ぼう アラブは兄弟だと
なるほど、ここまでセットにして初めて完結するメッセージなわけだ。基本的には「アラブはみな兄弟」ということがメインテーマということだろう。とりあえずこのサビとラストのフレーズを暗記して、空で歌えるようになるのが真のアラブポップスファンということになるだろう。ヤッラ!

(ところでいつも悩むんですが、e7sasإحساسってどう訳せばはまるんでしょう?感覚?感じ方?全身全霊?)

でもって、この大きなテーマをマスターした後で、それぞれの歌手が何を歌っているのかを見てみると、実に面白いのだ。続く。

10年後のアラブの夢 [音楽]

某SNSのアラブポップス・コミュニティでご教示いただきました。

1998年の「アラブの夢」から10年。再びアラブ世界のポップスターたちが集結し、アラブの団結を訴える歌を発表した。その名も「アラブの良心」!

まずはこのYouTube画像を見てもらいたい。といってもこのビデオ、40分以上もあるので、全部見通すのも一苦労だ。5分割されているので、立て続けに見るべし。



「100人のアラブスター」というふれこみだが、ソロパートがあるのは33人。(神の美名の約数だが、何か意味があるのだろうか?)

さあこの33人のスターたち、最後のちびっこ歌手のソロをのぞけば、それぞれ2人ずつ組になってデュエットを繰り広げている。以下に、ポップス・フリーク的観点からこの16組の壮絶バトルを見てみたい。

とは言ったものの、初っ端にナシードを歌っている①ワディーウ・アッサフィーと②ムハンマド・アルアザビーという2人のベテランのことはよく分からないので飛ばす。

ビデオで言うと6分22秒あたりから伴奏が始まり本編となるが、そこからトップバッター、③ラティーファLatifa(チュニジア)が登場する。一昨年のレバノン戦争の時にはイスラエル批判のキャンペーンの先頭に立った彼女はこのポジションがふさわしかろう。新作で見せたフェイルーズばりの癒しボイスは影を潜め、本来の伸びやかな高音が帰ってきた。対するはエジプトのベテラン④ハーニー・シャーキルHani Shakir。日本で言う五木ひろしっぽい安定感で、出だしと締めの両方をラティーファに譲りつつも、守りに徹する感じの危なげない歌唱だ。

Part2に移ると、早速⑤ナンシー・アジュラムNancy Ajram(レバノン)が登場。例によって甘あまのアイドルボイスだ。この舌足らずなところがいい!と思える人は立派なアラブポップスフリークだ。そして迎え撃つはライの帝王⑥シェブ・ハレドCheb Khaled(アルジェリア)。この人の声はもはや伝統楽器だ。一声だけで空気が変わるし、フェイクの仕方が誰よりもかっこいい。おそらく今回のメンツで国際的知名度が最も高いのはこの人だろう。それが当代きってのアイドル、ナンシーとのデュエット!至福の1分45秒間だ。

興奮醒めやらぬまま⑦シーリーンSherine(エジプト)登場。ナンシーの直後にシーリーンとは、トロのお口直しに牛タンを食べるようなものだが、いつも通りのハスキーボイスに魅了される。タンクトップといういでたちの飾らないところも良い。対する⑧サービル・ルバーイーSabir Ruba`i(チュニジア)は端正な歌唱。髪の毛はなくともイケメンはイケメンというところを見せつけてくれる。

次に⑨リダー・アルアブドゥッラーRida al-Abdallah(イラク)の信じがたい高音だ。以前彼の曲を聴いたときには「カーゼムそっくり」と思ったものだが、全然別物になっている。サビの部分が若干他の人と発音が違うような気がするのだが、イラク訛だろうか。対するは管理人一押しのエジプトの新人⑩アーマール・マーヘルAmal Maher。おそらく今回の最年少だろう(最後のちびっ子除く)。10年前のディヤナ・ハッダードに相当するポジションだと思うがどうだろう。声量もあり、凛とした歌唱は正統派の貫禄が漂う。

⑪ハーレド・サリームKhaled Salim(エジプト)は、いつもながらのメロウな歌声。ただ本音を言えば、この人の代わりにターミル・ホスニーに入ってほしかった。⑫アハラームAhlam(バハレーン)も貫禄たっぷりにねっとりとしたコブシを聴かせる。

いきなり洋楽的なコブシで割り込んでくるのが⑬ディヤナ・カルズーンDiana Karzoun。この人、ヨルダン人だったのか。⑭アブドゥッラー・アルルワイシド`Abdallah al-Rwaished(クウェート)の伝統的ないでたちとは好対照。しかしルワイシド、サビの部分の声、高!

ここからPart3。褐色の⑮ワアドWaad(サウジ)も意外と西洋的な発声をしている気がする。対する鼻声の⑯イハーブ・タウフィークIhab Tawfiq(エジプト)が妙に押さえたトーンなのが違和感。フェイクもしまくっている。

うわ、⑰ムスタファ・マフフーズMustafa Mahfuzって誰だ?すごい音域だけど。知らない。⑱アマル・ヒジャージーAmal Hijazi(レバノン)は嘘っぽい金髪が玉に瑕だが歌はうまい。それにしても⑰番は誰だ?

⑲ワーイル・ジャッサールWael Jassar(レバノン)は最近人気の男性歌手だがイーワーンと見分けがつかないな。⑳アマニーヤ?Amaniyaに至ってはさっぱりわからん。

(21)アーミル・ハサン`Amer Hasanも知らない人。おそらくは大物シリア人歌手(22)アサーラAsala姐さんの引き立て役だろう。とはいえ僕は実を言うとアサーラの野太い声が好きなので、このあたりでアサーラ節が聴けるのはとても旨いと思う。中だるみしなくて。

(23)シェブ・ジーラーニーCheb Jilaniも最近よく聞く名前だが、アルジェリア人なのだろうか。マシュリクを拠点にやっている人だが。ナンシーはナンシーでも(24)ナンシー・ザアブラーウィーNancy Zaablawy(レバノン)だ。

出た!イラクのイケメン(25)マージド・アルムハンデスMajid al-Muhandesだ!目が怖い!この人もサビがなまっている気がする。いや、むしろ、他の人がエジプト方言なのを、イラク人だけが訛らずに歌っているのか。(26)アミナAminaって誰?

(27)ルトフィー・ブシュナークLutfi Bushnaq(チュニジア)って、あのウード弾きの人か。日本にもきたことがある。へー、あの人こういうのも歌ったりするんだなあ。で、(28)ヤーラYara(レバノン)だ。この2年くらいで一躍人気者になった彼女もいい仕事をしている。実は彼女のパートは歌詞が良くて、「スンナもシーアも同じレバノン人」みたいなことを歌っている。

(29)アムル・アブドゥッラート`Amr `abd al-Latは知らない人。(30)ナワールNawal(クウェイト)は大物なので、その引き立て役か。ナワールもなんだかサビの部分の訛が違うな。これでサビの部分、エジプト方言で歌ってないのは二人のイラク人とクウェイト人一人、ということになる。

(31)ヌール・ムハンナーNour Muhannaという名前を聞くと、シリアのベドウィンの出身なのかと思ってしまうが、どうなんだろう?前にナンシーと一緒にエジプトの歌謡賞を受賞したというニュースを見たことがある、伝統的な歌い手のようだ。(32)ファーティン・ヒラールベクFaten Hilal Bakってこれまた変な名字だが、知らない人。ムハンナーが最後に「アッラーフ・アクバル!」と締めくくっているのだが、なんでこんな所でアザーンを唱えているのかとやや不思議な思い。

...以上、16組バトルのレビューを試みたが、知らない歌手はまだまだ多い。名前は知ってても、湾岸の歌手は解説できるほどは知らないなあ。書いてるうちにだんだん失速してくるのを痛感した。

しかし、失速しているのはそもそものラインナップが竜頭蛇尾というか、初めのうちにナンシーもシーリーンも使い切ってしまっているので、後ろにはあんまりスターが残っていない、みたいな状態になっているせいだと思う。まあ40分もある曲だから、初めのうちだけ一生懸命聴いて、あとはやめちゃうと言うことも想定しているんだろうか。

でもってこの歌の最後の部分は、ソロをとるには至らないその他の歌手たちが続々と出てくる。全部数えちゃいないが、こういう人たちを全部足して、「100人のスターたち」ということになるんだろう。国別で5~6人組になっているのが面白いのだが、意外と「シリアのスターたち」とカテゴライズされている歌手が多いのに驚く。ソロをとれないのはアラブ全体での知名度が低いからだと思うが、確かにシリア出身の歌手でアサーラ以外にぴんと来る人はいない。しかし実力のある歌手は決して少なくはないのだろうと思われる。

そして最後に演説をぶっておいしいところを持っていく、プロデューサのアフマド・イルヤーン。前奏部分にも出てきてなにやら演説をしてるのだが、いったい何者なんだこいつわ!?という疑問ばかりが残ってしまう読後感だ。

というわけで次は歌詞の説明いきます。本当か?

際限無しのpodcast [音楽]

d4c67fd4.jpg最近凝っているアラビア語関連podcastの話題。

今は音だけじゃなくて映像も配信するビデオ・ポッドキャストなんてのもあるようだ。それで注目したいのはこれ。

Bila Hodood

ご存知、カタルの衛星放送局アルジャジーラの人気インタビュー番組だ。1時間弱のこの番組が、くだんのビデオポッドキャストとして毎週配信されている。なんと太っ腹なことか!

...で、登録の仕方は、iTunesからal Jazeeraで検索すれば、いくつか見つかるので、そちらからやるのが簡単だろう。

で、旨いことBila Hodoodを登録できた暁には、バックナンバーをさかのぼって2008年1月10日の番組をダウンロードしてもらいたい。なんとあのイラク人ウード奏者ナシール・シャンマのインタビューがあるのだ。後半はほとんど彼がウードを弾き倒しているので、アラビア語なんてわからなくても十分に楽しめること請け合い。

でもって今発見したのだが、その回の対話をトランスクリプトしてあるのがこのページ。これって全文だろうか。これは使える。

シリアの親切なpodcast [音楽]

最近見つけた、アラビア語レッスンのpodcast。

The Arabic PodClass

現在15課まで頒布されているが、残念ながら最近2ヶ月は更新がストップしている様子。作っているのはシリアはダマ大の学生さん。声だけ聞くと女性のようだが、れっきとした男性だ(ムハンマドさん!)。

英語でアラビア語文法を解説する内容だが、15課ではやっと動詞文と名詞文のことを説明している。これを聞いてアラビア語基本文法がマスターできるかというと、ちょっとおぼつかない。とはいえ、訛のないきれいなフスハーの発音が聞けるし、素人臭いながらも歌やトークのコーナーなど工夫を凝らしており、まあ今後に期待したい。

で、このpodclassの中で紹介していたサイトがこれ。

Syrian Arabic.com

こっちはこてこてシリア方言の教材。「ムヘーック」などと言っている。podcast対応ではないのだが、MP3ファイルがダウンロードできるし、pdfでしっかりしたテキストもある。ちょっと聞いてみたがこっちはプロっぽい丁寧な作り。これだけ揃ってタダとは痛み入る。まったくもってシリア人、よっ、太っ腹!

日本風のマリア [音楽]

ba1adde2.jpg最近見付けたアラブポップスの試聴サイトFarfesh。基本的にはストリーミングだが、Quick Time Proを持っていればmp3ファイルをダウンロードできる。

このサイトで、今年の2月にエジプトに行ったときに発売前で買い損ねていた、マリアの新譜をチェックした。タイトル曲のWerge3t Taniと、Stopという曲については、すでにYouTubeでビデオクリップが出回っている。

プロデューサのジャド・シュエイリーが企画会議(?)をしているという設定のビデオクリップで、上記2つの曲がカップリングされている。上のCDのジャケット写真を見ても分かるとおり、今回のマリアはビョーク風..じゃなくって「日本風」ファッションらしいのだが。まああちらの人らの東洋観がうかがえて楽しいビデオではある。

ところでこのアルバムにはOurestounという不思議な曲が1つ入っていた。明らかにアラビア語ではなさそうな曲名だなあ、と思いつつ聞いてみると、どうやらアルメニア語らしい。たぶん2Ուրես դուն(ウレス・トゥン)で、「あなたはどこにいるの?」というような意味か。そもそもマリア嬢はアルメニア系。それほど多くはないがレバノンやシリアにはアルメニア系住民は結構いる。新たな市場を開拓するつもりなのか。曲調は何となくギリシアっぽかったりする。

またも東洋のビョーク [音楽]

「~のビョーク」という言い方も相当に手垢のついた表現。いったいそう呼ばれる人が世界に何百人いることだろう。

それはともかく、ロンドン旅行の帰りに立ち寄った香港。2年ぶりだが相変わらずチム仔記の蝦ワンタンメンはおいしかったし、連れ合いの友人におごってもらった西貢の魚料理もうまかった。

ただし、尖沙咀のHMVが移転し、売り場がちょっと狭くなっていたことにショックを受ける。品揃えも心なしかしょぼくなっているような気がした。

正直今回は買い物をする時間はあまりなかったし、中華ポップスの最新動向もここのところ抑えていないので知識もないのだが、それでもジャケ買いしてきた唯一の一枚がこの人。

薩頂頂
アライブ

サー・ティンティンと読むのだろうか。「万物生(alive)」というアルバムが面出しで並んでいた。激しく不思議ちゃんオーラを放っているジャケットに、ついつい手にとってみる。

曲目表を見ると、曲名の後ろに使用言語がいくつか記されている。中国の少数民族出身の歌手だろうか。かなりのマルチリンガルぶりだ。「蔵語(チベット語)」「梵語(サンスクリット語)」「自語」...

なに?「自語」?どこの国の言葉だ?

実はこれ、「自分で作った言語」という意味らしい。あとでiTuneにインポートしてみたら、全曲英語表記されており、「自語」は「self created language」と訳されていた。なんだ、でたらめじゃん!

で、帰国後ネットで探ってみると、彼女は内蒙古人と漢人とのハーフらしい。とするとチベット語が母語、というわけでもなさそう。いわんやサンスクリット語をや。このアルバムのマルチリンガル性は、民族的ルーツ探求というよりは、彼女の個人的な仏教カルチャーへのリスペクトと見るのがよさそうだ。

ともあれ、表題曲「万物生」のビデオクリップはこれ。

もうひとつ、一曲目のクリップも、僧形のダンサーが踊ってたりしてものすごいインパクトなのだが今のところyoutube上で見つけてない。

本来僕は、プリミティヴネスを売り物にするような不思議ちゃん歌手はあまり好きではないのだが、下の動画インタビューを見ると「ディープフォレストやピーガブ、ビョークに影響受けてます」とかさらっと喋っている。中国のみならず、アジア的要素を武器にして世界に売り出そうという野心があるらしい。まあなんて大胆な!ともあれ、ここのところは通勤中に彼女の不思議ボイスでトランスしてます。

(ちなみに、上掲画像のリンクを辿ってアマゾン.co.jpを見てみると、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」としてレコメンドされているCDに注目!このサー・ディンディンとナンシー・アジュラム、どういう共通項があるのだろう..)

どうせやるならターミルなんかでやりたまえ [音楽]

とりあえずはこのビデオを見てもらいたい。

ご存じエジプトのラップユニットMTMの名曲「Ommy Mesafra(おふくろが出かけた)」を、どこぞのエジプトのシャバーブ(若者たち)が勝手にパロディーにした作品だ。パロディーと言っても、ただ単に曲に乗せて口パクをやってるだけで、何が面白いのか分からない、という意見もあろう。エアボーカルとしてはちょっとお粗末な作品だろう。

さすがは「アラブは1つ」と言うべきか、どこのシャバーブも考えることは同じなようで、今度はモロッコはテトアンのシャバーブが同じ曲で同じ様なことをやっているビデオも発見。


ちなみに元曲のビデオクリップは、これである。未見の方は、是非ともリンクを辿ってご覧頂きたい。MTMがそんじょそこいらのシャバーブとはひと味もふた味も違うというのがお分かり頂けるだろう。ってまあ彼らはプロなんだから当たり前か。

で、上の2つの学生ノリなアマチュア・シャバーブの作品を見て、やっぱり比較してしまうのがこれ。知る人ぞ知る、中国の「后舍男孩(バック・ドミトリー・ボーイズ)」。エアボーカル・ブームの火付け人とも言えるグループだ。

うーむ、やはり中国人の方が表情のニュアンスとかを理解しやすいせいだろうか、アラブのシャバーブたちよりも、こっちの方が断然面白い!と思ってしまう。しかしアジア人だということを差し引いたとしても、后舍男孩がパロっているのがしっとりしたバラードなのに対して、アラブのシャバーブたちは最初からダンスミュージックに乗せてダンスしているんだから、後者の方がひねり方が足りないのは事実。「マンマやないか!」と突っ込みの1つも入れたくなる。

シャバーブたちよ、どうせやるんなら、ターミルとかのせつな系バラードをやりたまえ。

アラブポップス歌詞の対訳サイト [音楽]

Arabic Song Lyrics and Translation

偶然発見した上記ブログ、400曲以上のアラブポップスの歌詞を英アラ文対訳で掲載している。ラインナップはアブドゥルハリームやフェイルーズなどの古典から、ナンシーやハイファ、シーリーンやターミルなどの若手まで。カーゼムのフスハー曲もあれば、MTMのラップの歌詞をご丁寧に訳してくれていたりもする。大いにアラビア口語の勉強にもなるし、歌手ごとのバイオグラフィーのコーナーもある。今後も目が離せないサイト。

つづいてアンガームも [音楽]

ナンシーに続き、エジプトの美人歌手アンガームも新譜を出したそうだ。

Elaphより

写真を見るとちょっと目の周りがくたびれてきたような気がしないでもないが、それでもエジプトが誇る美人歌手である。気になってwikipediaで生年などを調べてみたら、「1972年1月19日」とある。72年...またか。

それはともかく、タイトル曲Kol Ma Nearab le Baadのビデオクリップもすでに出回っているのを発見。

なかなかきれいなロケーションですが、これって以前albawaba.comで、「アンガームはモスクの中でビデオ撮影してけしからん」と批判されたと報じられていたあれか!?アンガームは否定してるし曲名も違うので、別なのかも知れないが、どうだろう。やっぱりモスクの中のようにも見えるのだが。下のメイキング映像とも見比べておきたい。

これは流出映像だろうか? あと、たまたま発見したお宝映像。アンガーム14歳の時に、父親である作曲家のムハンマド・スレイマーン氏とデュエットしたと思しきもの。娘を持つ父親なら共感(羨望?)せずにはいられないほどの親ばかぶりを発揮しているが、この頃からアンガームはなんともコブシがころころよく回ること。 ちなみにもう一つ、僕がカイロにいた頃に良くテレビで流れてた、やや古めの楽曲がこれ。アレキの風景にギリシア風旋律が良くマッチしていた。 今回はちょっと動画貼り付けすぎたかな。

子供向けにはエジPOP節 [音楽]

bb002255.jpg話題のナンシー・アジュラムの新譜が出たらしい。例の子供向け曲集である。タイトルは「シャフバト・シャハービート」...ってどういう意味ですか??(「落書きする」みたいな意味?)

Elaphのこの記事によると、まさに本日6月11日発売とのこと。

mixiのアラブポップスコミュニティでは一足早く、そのビデオクリップのYouTube動画が紹介されていた(Reikoさん感謝です)。8分以上と長めだが、3曲まとめてひとつのビデオクリップになっているようだ。


学校の先生に扮したナンシーが子供たちに物語を聞かせるという趣向のクリップ。ハマーダ君やハラーちゃん役の子供たちがとにかくかわいらしい。誰ですか、ナンシーがもっとかわいく映ってないとダメなんじゃ!とか言っている人は。まあ確かに、小さなお友だちにとっては楽しい曲かも知れないが、我々「大きなお友だち」にはちょっと物足りない感がいなめない。

で、大きなお友だちにはこちらのビデオクリップ。前作Ya Tabtab収録曲のElly Kan。ナンシーの大人の魅力が堪能できましょう。


ところでお子様向け「シャフバト..」だが、冒頭の寸劇部分ではナンシーはレバノン方言で喋っているのに、曲が始まると極端なほどのエジプシャン・テイストになってしまうのに注目。歌詞がエジプト方言なのは毎度のことで珍しくはないが、ギター・シンセのバッキングの雰囲気やリズムが、極めてオーソドックスなエジプト風味だ。90年代のムハンマド・フアードの曲なんかを彷彿とさせる。

90年代に一世を風靡した「アル・ジール」が、子供向け歌謡として生き残っているのだろうか。

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