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本物は「あたし」なんて言わない [音楽]

映画や音楽の世界にあまた出没する「不思議ちゃん」について、日頃から僕は否定的な評価を下すことが多い。しかし、こと、元ちとせという歌手に関しては話は別だ。彼女は本物だ。

さて、昨日mixiの芸能ニュースで知ったのだが、そんな彼女が今、反戦歌を歌っているらしい。詳しくはこのニュースを。彼女の所属事務所の公式サイトでそのライブ映像が見られるとのこと。

さらにYoutubeを調べてみると、なんと元の後ろで坂本龍一教授がピアノ伴奏している原爆ドーム前パフォーマンス、なんていう映像も落ちていた。これはすごい。

教授のピアノ、音でか!
この映像を見て非常に気になったのだが、元ちとせが「わたし」と歌っている箇所を、字幕では「あたし」と振っている。この「わたし」と「あたし」の違いが最近非常に気になるのだ。あくまで僕のイメージだが、「あたし」と歌ってしっくり来るのは一青窈レベル。元ちとせ級ともなれば、そこいらの似非不思議ちゃんとは格が違うので、「わたし」と歌うのが正解なのだ。字幕をつける人はそこのところをよく理解して頂きたかった。

ところでこの歌、ニュースでは、訳詞は中本信幸、作曲は外山雄三(編曲は坂本教授)となっている。ところが他にもこの曲名でぐぐってみると、訳詞は飯塚広、作曲木下航二、っていうバージョンもあったりする。このサイトによると、後者のバージョンは1957年発表、原水禁の集会や歌声喫茶を賑わした人気曲だったという。メロディーとかは全く別物だが、ベースとなった詩がおんなじ、といわけだ。

で、その原詩だが、ナジム(ナーズム)・ヒクメットというトルコの詩人が書いた「少女(クズ・チョジュウ)」という詩だそうだ。杉田英明先生の本で、エジプトの詩人が書いた日露戦争を祝す詩、とか、トルコの詩人が書いた関東大震災を悼む詩、とかが紹介されていたのを思い出すけど、その系列の詩なのかなとふと思った。(後期の授業のつかみに使えるかな、とふと思った)

上のニュース記事で、「ロシア文学者=中本信幸氏が日本語に訳し」とあるので、「あれ、トルコ語の詩じゃないの?」と疑問に思ったのだけど、ヒクメットは社会主義的思想からトルコ本国政府に目をつけられ、ソ連に亡命して詩作を続けたと言うことらしいので、「少女」という詩自体もロシア語圏で流行していた、ということなんじゃないだろうか。まあ、日本語訳も出版されているのでちょっと調べてみましょう。

ちなみに、英語版wikipediaナーズムの項目はこれ。この曲英語圏でもずいぶん歌われているようだ。日本語版についても書いてあるけど、元の肩書きが「famed Shima-Uta singer」となっている。見たところ英語版では57年版の話は書いてないようだけど、トルコ語版を調べてみれば詳しく分かるかな。

映画の中の宗教文化 [仕事]

こんなシンポジウムに参加することになりました。
映画の中の宗教文化
【日時】 平成21年9月20日(日)10時~17時30分
【場所】 國學院大學・学術メディアセンター1階・常磐松ホール


映画で学ぶ現代宗教
このようなシンポに僕みたいな者がお呼びがかかったのは、←この本に何頁か執筆させてもらったのが縁でした。

じゃあなんでこの本に書かせてもらったのかというと、話せば長いことながら、今はなき大塚和夫先生の代役として何か書かないかと、編集の方から連絡を頂いたのがそもそものきっかけでした。「現代宗教」というテーマ設定は明らかに僕の力量を越えているのでちょっと戸惑いましたが、好きな映画のことを思い切り書けるという誘惑が勝り、恥を承知で4、5本レビューさせてもらったわけです。以前から語りたくてうずうずしていたトニー・ガトリフについても、強引に書かせてもらいました。大塚先生にはこのことでいつかお礼を言わねばと思っていたのですが...

ともあれ、いろいろな縁から引っ張ってもらったシンポですので、精一杯準備していこうと思います。

「アラブ映画における宗教と女性」みたいなテーマで、ハナーン・トルクのことを語りまくる...みたいなことをいずれはやってみたいと思うのですが、ちょっとまだ僕の方で準備ができてないので、これはやめにします。シンポの趣旨として、「教材として映画をどのように用いるか」というような実際的な活動の報告が求められていますので、ならば僕が授業で使っているサラディン映画やバイバルス映画の話をするのが本筋でしょうかね。悩み多い夏休みになりそうです。

愛されイノシシ [日常]

先週は某研究会の催しで、軽井沢に行ってきました。東京からは新幹線でわずか70分のところが、関西からはうまい行き方がなく、結局はいったん新幹線で東京に出てそれから長野新幹線という、なんともエグゼクティヴな移動をするしかないようです。
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上の写真は、軽井沢で見かけた看板。凶暴な目のイノシシ。「ひとり歩き注意」というのは、人が一人で歩いていると、イノシシに襲われる危険がある、ということだそうです。こわ!

イノシシと言えばうちの職場付近でも多発しますが、ここ神戸では住民に愛されているような雰囲気があります。看板の1つを比べてみても、ずいぶんと軽井沢とは違ってます。
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おお、看板の後ろに写り込んでいるのは、当のイノシシご本人でした。

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天井川という浅い川にざぶざぶ浸かって、河原の草やコケでも食べているようです。子供2匹はお母さんとは毛の色が違いますね。かわいー!!

海のエジプト展をみて [日常]

家族の用事で上京、空いてる時間に横浜に行き、「海のエジプト展」を見学する。

6時閉館のところを4時に到着し、入場券売り場で30分ほど待たされひやひやする。休日のせいでもあろうが、なかなかの混みよう。「エジプト」というブランド名の持つ威力を思い知る。なにせ、「ツタンカーメン展以来の重要な展覧会」(ザヒ・ハワスのコメントより)だそうだ。

確かに巨大な神像、リアルなスフィンクスがごろごろ展示されていて、しかもどれも保存状態がよく、かなりの贅沢を味わえる。神戸から足を運んだ甲斐があった。東京近郊の方は是非行って見てもらうと良いと思う。

今回展示されている出土(出水?)品は、主にプトレマイオス朝時代のモノ。要するにクレオパトラの時代なわけだけど、同じエジプトと言っても彼女の時代はピラミッドの時代からは2000年、ツタンカーメンの時代からでも1000年以上の開きがある。そんな広いスパンの国を、一口で「古代エジプト」とまとめることには、常々違和感を感じている。

特に日本の場合、中東の土地勘がもともと弱い一方、ピラミッドやツタンカーメンの知名度だけが突出して高いこともあって、クレオパトラまで含む「拡大古代エジプト」と、それ以降の、「ごちゃごちゃしたイスラム・エジプト」というようなおおざっぱな把握が一般的なような気がする。まあ、後者が「ごちゃごちゃ」してると見なされることには目をつぶるとしても。

しかし、これがたとえば西欧人の場合はちょっと違うのかな、と思った。クレオパトラと言えば、カエサルとかアントニウスとかを連想するだろうし、アレキサンドリアと言えばアレクサンドロスだ。ギリシア・ローマの古典世界とすんなりと接続してしまって、すっかり彼らにとっての「我々の歴史」扱いなのではないだろうか。アレキ沖の「ポントス・マグヌス」の水中調査、などと聞けば、ラテン語の地名だし、「おお、我々の海!」みたいな気持ちになるんじゃないだろうか。少なくとも、ピラミッドやなんかの古代不思議建造物などとは違うチャンネルでとらえているような気がする。

ただ、話をややこしくしてるのは、プトレマイオス朝の王たちが、スフィンクスを建造したり、自らをオシリス神にかたどった像を造らせたりして、古代エジプトイメージを意図的に取り込んだ統治文化を醸成していたこと。だから、今回の展示品を見ても多くの人は、「うわーでけー。さすがピラミッドの国は違うわ」という印象を受けるに留まり(いやまあ僕も少しそう思ったわけですが。巨石文化!)、プトレマイオス朝時代の持つ「国際的な雰囲気」みたいなものがあっさり見落とされてしまうんじゃないだろうか。

と同時に、ちょっと思ったのは、このような「古代エジプトいっしょくた史観」を逆手にとることもできるかな、ということ。つまり、「古代エジプト」に興味がありますという人たちを、うまいことクレオパトラくらいにまで誘導して、そこからローマ史だとか地中海世界だとか、もっとがんばればビザンツからアラブの大征服くらいまで、興味を向けさせることもできるんじゃないか?ということ。難しいかな。。

などとまあ、うじうじと考えながら一通り見てきたわけです。

1つ我が家的な収穫としては、娘5歳がかなり興味を持ってくれたこと。お土産で「海エジおもしろブック」みたいなタイトルの子供向け冊子を買い与えると、ふりがなを頼りに一生懸命読んでいた。彼女は基本的に音読の人なのだけど、「これはプトレマイオス12世が建てた...」とか電車の中でも小声で朗読している様は、可愛くもたのもしい。未来のエジプトロジスト誕生か?しかしせめてクレオパトラ以降にまで降りてきてくれないと、父と会話ができないぞ。親ばか失礼。

あと、なぜだか土産物売り場には横浜ベイスターズのコラボ商品が売られていた。野球をしている人をかたどったヒエログリフ風デザインのうちわなど。当然即購入。これを大学に持って行って、神戸っ子たちがどんな反応を見せるか、密かに待ちたいと思う。

ブログ移転のお知らせ [このブログについて]

新しくso-netブログをはじめることにしました。

今までlivedoorブログで「エジPOPレビュー」として書いてきたのですが、タイトルと中身とがかけ離れてきてしまったので、ブログ改革に踏み切ったわけです。

旧livedoorブログは「エジプト映画レビュー」と改め、映画関連の記事を残しておきます。そしてそれ以外の記事はこちらの「ゲジーラからの眺望」に移転した、というわけです。

カテゴリ分けなどまだまだ荷ほどき中といった感じですが、おいおい片付けていきますので。

ミラよ、大きくなあれ [音楽]

62ce6af0.jpg久々の芸能ニュース。

5月16日、ナンシー・アジュラムが女の子を出産したそうです。名前はミラ。

でもって、ニュースサイトElaphには、出産を記念した新曲がアップされています!
聞きたい人は、下記リンクへ。
Elaph:ナンシー・アジュラム、ミラの母親に

試しに歌詞を訳してみました。かなりごまかして訳してますが勘弁を。
何を歌おう?感じたままに
あなたが生まれる前から歌っているのだから
あなたを思いやるほどに 私の心は消えてなくなりそう
あなたが生まれて 私の心は飛んでいきそう
ママの魂 ママの心よ
あなたこそ命 あなたに夢中
あなたの瞳に歌ってあげたい
ああ神様、ミラよ大きくなれ

しかしすごいなこの曲。こっちの読み間違いでなければ、出産前にナンシーがあらかじめ吹き込んでたわけでしょ。で、ちゃんと「ミラ」って歌詞に入ってるし。いくら国民的アイドルと言え、ここまで普通やる?

これで好漢になれた [旅行]

なんだかもう遙か遠い昔のように思えてきた中国旅行。記憶が風化しないうちに少し書いておく。

到着した翌日、とにかく万里の長城に行った。「不到長城、非好漢」という言葉があるそうで、これで僕もようやく好漢の仲間入りを果たしました。この手のことわざというか決まり文句って、いろんな所にありますな。ちなみに僕が「結構」と言えるようになったのはつい最近のことです。

banriこれは娘が描いた絵、というか本人に言わせれば「地図」だとのこと。ロープウェーに乗るときに脅かしたせいか、地図にもばっちりと矢印で「こわい」と書き込まれています。ロープウェーを降りると簡易便所があって、くさいにおいがしたのも彼女には印象深かった模様。「こわい」とか「くさい」ばかりではよろしくないと思い、「景色が良いとか、なにかいいことも書いておいたら?」とサジェストしたところ、娘はそのまんま「けしきがいい」とも書いてくれました。
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イタい先生の話 [読書]

FUTON

正直、この作品を読むまで、田山花袋の『布団』のことは、読んでみようと思ったことさえなかった。花袋自身がモデルとなっている中年の文学者が、若い女弟子に横恋慕し、しかし案の定女弟子は恋人を作って去って行ってしまい、文学者は去った女弟子の残して行った布団に顔をうずめて泣く、という話だそうだ。なんともイタくて情けない話にしか聞こえないが、青空文庫でそのさわりをちらりと読んでみると、この中年文学者の設定が「35~6歳」となっており、なにやらどきっとする。

で、その現代版翻案とも言えるこの『Futon』は、花袋を研究するアメリカ人大学教授デイブを主人公にし、デイブが若い日系人の学生相手に『布団』を地でいくようなみっともない恋愛をしているという「イタい」ストーリーを軸にし、そこにデイブの執筆する『布団』のスピンオフ小説を挟み込みこみながら描いたもの。さらに、デイブの物語に加え、東京に住んでる女学生の曾祖父と、彼に関心を持つ若い画家イズミのストーリーも加わってくる。

感想としては、はじめデイブと、作中小説の中の時雄(つまり、『布団』の主人公)との痛さ加減が面白く、引き込まれて読むが、次第に比重を増していく女学生の曾祖父の、曖昧模糊とした記憶の世界についての描き方が、実に興味深く思えてきて、あっという間に読了してしまった。

記憶の構築性、「人の思い出話なんて当てにならないものだ」、っていうような話という点で、カズオ・イシグロの作品を連想するが、この『Futon』では、その思い出の曖昧さというか虚構性が、お年寄り(しかもほとんど「ボケて」いるような)の繰り出すのらくらした一人語りとして書かれているのが、なかなかにスリリング。

これだけ登場人物が多いにもかかわらず、どの人物の心理描写にも破綻した所がない(ように見える)。スピンオフ小説の部分だけとっても十分に読み応えある短編になりそう。感服。

文明の大いなる一歩 [旅行]

db5aaddc.巷ではWBCだなんだと騒いでいるようだが、日韓がちまちまと争っている間にも中国は文明の大いなる一歩を踏み出している。これは北京の男子便所で撮った写真(そんな所で写真なんか撮るな!)。

「向前一小歩 文明一大歩」

一歩前へ、それが文明の大いなる一歩。たかだかトイレでやたらと仰々しいスローガンが掲げられていて苦笑する。そういえば日本でも飲み屋のトイレなどで、「急ぐとも 心静かに 白糸の...」などという短歌が掲げてあることがあり、ああいう無駄な風流さ(だか下世話なんだかよく分からない)が僕は好きだ。

と言うわけで、北京に行って来ました。長城に登り、故宮を見、北海公園で太極拳する人たちを見て、ああこれが小さい頃からあこがれていた中国なんだなあとしみじみ思った。飯も、北京ダックを食べ、満漢全席(の廉価版)を食べ、油条に包子に四川料理に紹興料理を食べ、羊肉しゃぶしゃぶに清真料理を食べた。極楽。

しかし、一番感動したのは北京動物園だったりする。たかが動物園とあなどるなかれ、春霞の中に糸柳がぼーっと浮かび上がる光景は、まるで教科書で見た清明上河図のように美しい。いや、ホントに。子供連れの旅でもなければ、限られた旅行期間にこんなところ行く人は多くはないと思うが、たとえば明の十三陵なんかをキャンセルしてでも動物園には行く価値があるように思う。パンダも大勢いるし。

大阪づいてる数日 [日常]

bd04a3fe.jpg先週、中学時代のプチ同窓会があり(母校の用語では「同志会」)、以来毎日のように大阪府に足を踏み入れている。神戸に引っ越してから1年、こんなに大阪づいていることはなかったと思う。

同窓会で行ったのは天満。「てんまん」じゃなくて「てんま」だ。大阪からたったの一駅で、これほどまでにシャアビー(庶民的)な区域になるとは知らなかった。さらに、会場となった韓国料理屋の(見かけによらず)美味いこと。サムギョプサル、プルコギ、チゲなどフルコースを味わい、ビールとマッコリをしこたま飲んだが、5時間もいて一人たったの4000円。関西に来てからというもの、やれ「うまいラーメン屋が無い」とかやれ「安いフレンチが無い」と、食関係については文句ばかりだったが、ここに来てようやく、「食い倒れの町」の真価を垣間見た思いだ。

翌日は家族でユニバーサルスタジオへ。僕も連れ合いも、この手のレジャー施設を訪れるのは大学時代に行ったディズニーランド以来だということに気づく。そう、かれこれ10数年前だ(20年にはなっていない。ぎりぎり)。もうこの年になっては(娘にとっては「まだその年では」)、絶叫系マシンに乗るのは無理、よって遊園地で楽しめることなんてあるわけない!と思い込んでいたのだが、さにあらず。USJの真価は動物ショーなどのアトラクションにこそあった。火薬バンバンの水上アトラクション「ウォーター・ワールド」は思わず童心に返って楽しみました!じろう先輩、ありがとう!

1日置いて、今度は吹田の国立民族学博物館。ずっと以前、学会で訪れたことはあったが、今回は付属の図書室で調べ物のために訪問。今回発見したのは、公園東口駅から行けば自然公園の入園料は払わなくて済むし、「図書室を利用したいのですが」と申し出れば博物館の入館料も払わなくて済む、ということ。もちろんその場合には、展示コーナーには一切入れないのだが。とはいえ、こちらの人の感覚では、吹田など「北摂」地方は「大阪」にはカウントしないのかな?

で、極めつけは九条で映画鑑賞。シネ・ヌーヴォというミニシアターに行く。これも、「関西にはいい映画館がない」とぼやいていた時に、学生から「そんなことないですよ」と勧められた所の1つだ。ありがとう、学生!映画の感想は別記。

ともかく、この1年は兵庫で手一杯だったが、関西生活2年目に向けて、大阪にも行動範囲を広げていきたい。しかし、神戸も決して小さな町ではないのだが、梅田や難波を歩いていると、久々に、人が多すぎてくらくらする感覚がよみがえってくる。大阪を使いこなせるようになるのはまだまだ先の話かな、と思う。思えば新宿なんて、どうにか迷子にならずに歩けるけど、僕にとってはそれこそ20年前から知っている町だもんなあ。

アフガンルック、おっさん世代にも解禁 [日常]

bca71b0d.jpg第二次アフガンストール・ブームはひょっとすると神戸が発祥かもしれない、という件については以前このブログでも触れたが(くわしくはこちら)、この冬を乗り越え、どうやら定番アイテムとして定着していきそうだ。

ユニクロ アフガンストール

「クーフィーヤ」ではなく、「アフガンストール」という呼称が採用されてしまったことは多少残念ではある。しかし、ユニクロで売り出したということは、我々おじさん世代(団塊ジュニア世代)も気安く身につけて良いというお墨付きが出たに等しい。

このブログをご覧になっている、心ある、その世代の方々に訴えたい。今すぐユニクロ(でなくてもいいけど)に行って、アフガンストールを入手してほしい。そしてそれを遠慮なく身にまとい、町に出てほしい。もし、この年齢不相応なファッションを誰かに指摘された場合には、指摘した人に向かって、このストールの持つ本当の意味を説明してあげてほしい。そして、今ガザで何が起こっているのかを説明してほしいのである。

今日の記事はやや話が突飛な方向に流れてしまったか。

世界に広がるビーバルスの輪 [TV]

今日授業で学生に見せようと思っていた、アラビア語ドラマ『バイバルス』の映像。i-podに入れてすぐに見られるよう準備したつもりが、教室のステレオ端子が見あたらず、急遽オンラインでYoutubeにつなぐも、アラビア文字でبيبرسと打ち込むことができずに断念。悔しいのでこちらに貼り付けておく。

過去のエントリで書いたように、2005年のラマダーンドラマだったらしい。

ところが、"baybars"と打ち込むだけでも結構な数のヒット数がある。その中でちょっと目を引いたのがこれ。

トルコ語だ。どうやら映画らしい。Baybars Asyanın Tek Atlısıとあるのがタイトルだろうか。ググってみると1971年の映画らしいことは分かるが。冒頭、ロビンフットのコスプレをしたトルコ人男が現れるが、これがバイバルスだというのだろうか。甲冑を着てないバイバルスはなんとなく違和感があるのだが。

なんでまたトルコが?と疑問に思ったが、大トルコ主義的に考えればマムルークたちもトルコ人の祖先なので、バイバルスは立派な民族の英雄、ということなのだろうか。

さらにこれもYoutubeにあった。なんとキリル文字が!

1982年カザフスタン(ソ連?)とある。他にも1989年というものもあり、これらは別の映画だろうか。いずれにせよ、かつてのソ連で作られたバイバルス映画のようだ。

カザフと言えば、バイバルスのそもそもの出身地とされる。カイロのバイバルス・モスクにはカザフ語での看板が立っており、バイバルスがらみでカザフとエジプトの交流も進んでいるようである。また、かつてカザフスタンに留学していた後輩にきいたところ、カザフスタン西部ではバイバルスは地元出身の英雄として、相当の人気を誇っているそうだ。

ちらりと冒頭部分を見てみると、戦の後の荒れ野原で、遺体に取りすがって泣く子供、そしてその子供も落ち武者狩りにさらわれて...これがのちの英雄バイバルスである、という展開なのだろうか。で、長じたバイバルスがこちらではものすごくアジア人顔なのに驚く。対するカラーウーンか誰か分からないけどライバルとおぼしき中東っぽい彫りの深い顔立ちだったりする。台詞はロシア語。まだソ連があった時代の映画である。

とりあえずさらにググってみると、ロシア語ウィキペディアに記事があった。年が違うので、同じ映画のことを言っているのかは不明。

困る力 [日常]

姜先生の『悩む力』のことを言おうとして、『困る力』というフレーズを思いつく。思いついたはいいが、それが一体どういう力なのかさっぱり分からない。本家の「悩む力」が、何か現状を打開するような発展性がありそうなのに比べ、「困る力」ではただひたすら困ってしまい、打開も何もあったものでは無い気がする。

などと言いつつ、『悩む力』は未だ読んでいないのだが、読みもしないうちからそんな彼我の差を感じてしまうのは、これも姜先生のネーミング力のたまものだろうか。

そういえば姜先生、この年末年始は大忙し。テレビや新聞で顔を見かけない日はなかった。紅白の審査員席に座っていらっしゃったのには驚いたが、中居君にコメントを振られて「甲乙つけがたいです」みたいな当たり障りのないことしかおっしゃらなかったのはちょっと残念。できれば「紅にしようか白に入れようか、悩む悩む...」と大げさな身振りを交えて思いっきり自著を宣伝する姜先生を見てみたかった。とはいえ審査員席で女優に挟まれて内心「堀北さんも可憐だが、松坂慶子さんも捨てがたい。悩む悩む」といったところだったのではないだろうか。

とまあ激しく意味のない妄想をしている年末年始だったわけだが、そんな僕が珍しく、あまり悩むこともなく即決即買いしたのがiPhoneだ。今まで使っていたノキアの携帯は、もう3年以上になるだろうか。バッテリが壊れてしまったし、ノキア自体ももう日本から撤退というニュースを聞いていたので、何の未練もなく買い換えてしまった。

いままでかろうじて電話は携帯している、という程度の携帯ユーザーだった僕だが、iPhoneを使い始めて10日間、これははまりそうだと言う予感がびしびししている。写真は撮れるは音楽は聴けるは、ネットにつないでGmailだってみれてしまう。年末年始の長い里帰りの間中、iPhoneの画面を見つめていたと言っても過言ではないくらいだ。それはもう大変なことである。

さらに調べてみると、着メロを自作できたり、googleカレンダーと同期できたりと、至れり尽くせり。もう1億総出でSoftbankに乗り換えるしかないのではないかとさえ思えてくる。これはおそらく、ジョブズ氏の送り込んだ、世界征服のためのエージェントなのだろう。悩む悩む...

17de518e.jpgでもってこれは、iPhoneで撮影した、能登の実家においてあった一升瓶の数々。手取川、日栄、菊姫、いずれも東京や神戸ではなかなかお目にかかれない加賀の名酒である。正月はこれらの酒を前に大いに悩む力を養いつつ、体重が増えて困る力も増大中である。

僕たちの戦いは始まったばかり [読書]

b6603bb7.jpg以前このブログで取り上げた、アラブ発のアメコミ風漫画「ザ・ナインティーナイン」だが、さきほど15号にて「第一部終了」となってしまった。

さては不人気のジャンプ漫画よろしく、「僕たちの戦いは始まったばかり」とかいって連載中止になってしまったのかと気を揉んでいたが、最新の第16号では新メンバーが一挙に増えて、新展開を迎えているようだ。

左のキャラは、リビア出身のアイシャなる少女。「Samda th invulnerable」のパワーを持つとのこと。الصمدと言えば「永遠に続く」という神の美称だが、そこから「傷つかない、頑丈な」という意味合いに解釈しているのだろうか。鳩が飛んできても、モンスターが迫ってきても、彼女の周りには見えないバリアが張られて敵を寄せ付けない、という設定になっている。

この他、なんでもお見通しの「全知」少年のالعليم、体の各パーツを伸び縮みさせるالواسعが登場する。

第一部でもずいぶんといろんなパワーの持ち主が登場したが、僕のお気に入りはこれ。
hopeミンダナオで慈善事業に携わるホープという名の女性で、司るパワーはالودود「愛を与える」だ。彼女がパワーを発揮すると、敵も味方も目がハートマークになってしまう。第15話では敵の総帥Raghulも彼女の力で戦意を喪失してしまっているので、今のところ最強のキャラではないだろうか。

不死身のパワーを得たという設定のRaghulにも、生身の体のまま死にそうになっている奥さんがいたりして、敵役の描写もなかなかに凝っている。第二部ではRaghulをどうやって再登場させるのか、まだまだ目が離せない展開である。

マレーが生んだ中華スター [音楽]

bb0f6f9c.jpgさてマレーシアだが、まず大変重要な情報。

ツインタワー横、KLCCのショッピングモール内にあったタワーレコードが、閉店していました!今KLCCに行っても、あるのはちっこいビデオ屋だけ。たいしたCDは買えません。

ホテルのコンシエルジュなどに聞いて、自分でも探し回ったところ、今クアラルンプルで唯一のタワーレコードは、ブキッ・ビンタンのLot10の中にあります(2008年11月現在)。店員も「ここが唯一だ」と言っていました。もっとも、それ以外の大型CDショップはあったのかもしれませんが。

で、先述のRaihanのコンピレCDを見つけてから、連れ合いに頼まれていた中国語ポップスをいくらか探してみる。ふと店員の顔を見ると、どうやら中国系の顔立ちだ。しかし油断はならない。この国にはパパニョニャなる、鄭和の時代からこの辺に住み着いてマレー化している中国人の末裔などもいるらしい。見た目だけで中国人かマレー人かは判断つきかねる。でもこの店員さん、女性なのにベールをかぶってない、ってことはムスリマではなさそう...などとぶつぶつ考えながら、勇気を出して聞いてみることに。

「あのー、失礼ながらお尋ねしますが、あなたは中国人ですか?」
「イェース!」

あ、どうやら当たりらしい。気を遣って損した。ちなみにこの当たりのやりとりはみな英語でやってます。

ともあれ店員さんにお勧めの中国語ポップスを尋ねてみたところ、真っ先に持ってきてくれたのが、林俊傑(JJ Lin)の新譜「陸(sixology)」と、梁静茄(Fish Leon)のライブDVD「今天情人節」の2つ。さすが、地元出身華人歌手は人気が高いのだろう(それぞれシンガポールとマレーシア出身)。

同じくシンガポール出身の孫燕姿はどうかと聞くと、「人気はあるけど新譜が出ていない」とのこと。また、中国語圏では無く子も黙る周傑倫(Jay)について尋ねると、「新譜は出てるけど、この店にはない」となんだか冷淡。

とりあえず、両方とも買う。(しかし帰国後、「陸」はすでに連れ合いが通販で購入済みだったことが判明!先にそれを言え!)

また、チャイナタウン(現地語でPasar Siniと言うらしいが、ペルシア語とアラビア語のミックスのような、不思議な名前だ)に行くと小さな書店でCDコーナーがあり、そこも少しのぞいてみた。ところが、売ってるCDがみたことも聞いたこともないような歌手ばっかり!販売元は広州と書いてあり、マレーシア産ではないようだが..気になったので適当に一枚買ってみる。Jayや陶吉吉のカバー曲ばかりを歌う、謎の女性歌手だ。

こっち系の音楽、国境を越える [音楽]

926d0a97.JPG6日間ばかり、仕事でマレーシアへ。
写真は夜のツインタワー(の片っ方)。

仕事の関係で、ディナーショーに招かれる。
なかなか料理が出てこずに待たされたのは閉口したが、そこに招かれていたゲストバンドの演奏に注目。(とはいえこの演奏も、空きっ腹に大音量で聴かされたので、同行の人たちにははなはだ評判が悪かったのだが)。

男5人組編成、ヴォーカルとコーラス主体で、伴奏はコンガなどのパーカッションのみ。そして歌う歌詞はアラビア語だ。それも、信仰告白など神や預言者を讃える文句ばかり。部分的にマレー語が交じる。

...これってまるで、サーミー・ユースフでは??

無性に気になったので、演奏後彼らの楽屋を訪ねて名刺交換する。聞けば、バンド名はAmrain。セミプロバンドであり、種々のイベントでのパフォーマンスなどを商売にしているそうだ。残念ながら、CDは出していないとのこと。

「君たちの音楽は、『ナシード』か?」
「イェース!」
「マレーシアの若者の間でも『ナシード』は人気があるのか?」
「イェース!!」
「君たちもサーミー・ユースフは聴くのか?」
「イェース!!!」

さすが!サーミーは民族も国境も越え、ムスリムの若者たちの心をとらえているのだ。しかし、この日の彼らの演奏は別にサーミーをコピーしていたわけではないらしい。パーカッションにもコンガのようなラテン楽器や、ダルブッカのような中東の楽器、そして地もとマレーシアの伝統楽器などを用いた、ミクスチャー音楽なのだという。

また、こういった感じのミュージシャンとして、地元の人からRaihanを勧められる。で、早速買ってみたら、あー、これこれ、という感じで合点がいった。Amrainの皆さんがやっていたのは、これだったのか。

どうやら、サーミーを引き合いに出すまでもなく、マレーシアにはこっち系の音楽が元々根付いていたのだ。

アラブの国にロックは流れる [音楽]

3年前の「音樂夜噺」でのことだったか、僕の話をわざわざ聞きに来てくれた大学時代の友人から、「エジプトにはロックはないのか?」と質問されたことがあった。それに対して僕の答えはこんな感じだった。

「たとえばエジプトの大学生がバンドを組もうとするだろ。で、『じゃあ俺ギターやるからおまえベースね、おまえはドラムス』っていう風に割り振ってると、横合いから、『じゃあおれダルブッカ』とか、『おれウード』とか、『おれのいとこがシンセ(ただし四半音の出るやつ)持ってるぞ』みたいなのが入ってきて、結局演奏できるのは田舎の結婚式みたいなエジPOPばっかりになっちゃうんだよ」

つまり、エジプトでは自前の歌謡曲の伝統が濃すぎて、ロックンロールが入り込む余地がないのである、ということだ。これがその当時の、そしてつい最近までの、僕の意見だった。

しかし、偶然発見したWust el-Baladなるバンドのこの動画を見て、この考えは大きく改めざるを得なくなってしまった。ワダよ、これを見てくれ!

「ママ!おれは結婚したいんだ! でも金がねー!」
「彼女はザマーレクに住んでる でもおれが住むのはアッバーセイヤ!」
ストレートで馬鹿な歌詞。若者の結婚難は、日本で言えばフリーター問題に匹敵するくらい、エジプトの若者にとっては切迫した社会問題だ。ワウワウギターの泣きのフレーズもイカす。これぞまさにエジプト産のロックンロールだ。

バンド名ウスト・ル・バラドは「町中、下町、ダウンタウン」といった意味。カイロ庶民の声を代弁するという意気込みだろう。公式サイトはこれWikipedia英語版にも説明がある。

YouTubeを見れば、彼らのライブ映像などが数多くあがっている。たとえばこれ。ボーカルのハーニー・アーディルという人が、なんとHey Judeをコピーしている。
アラブでビートルズ。ありえない!あり得ないくらいかっこいい!

こんなかっこよくコピーするアーティストがアラブにもいるんだから、ポールには是非パレスチナ側でもライブを行ってほしかった!(

しかし、である。

彼らの現時点で唯一のビデオクリップ、「アッラビー・リー」を聞いてみると、なんだかあんまりかっこよくない。
かっこわるいとは言わないが、ロックらしさが薄れていて、さわやかにハモったりしている。これはどうしたことだ?

彼らの所属するプロダクション会社、Star Gateのサイトを見ると、「アラブのBSB」ことWAMAなんかを手がけている会社らしい。あ~、WAMAの路線か。まあ、いろいろな思惑やら力学が働いて、ロックっぽいロックはビデオにできないのではないだろうか。ロックだと反体制的、あるいはアメリカ的と見なされて、エジプトではあまり売れないとか?その辺はよく分からない。

ともかく、彼らの神髄はどうやらライブにある。当分は携帯カメラで撮ったようなyoutubeの粗悪な動画でも見ておくしかなさそうだ。

ちなみに下は、彼らが最近やったシリアの歌姫アサーラとのジョイントライブの宣伝。これはこれでかっこいいのだが、単なるフラメンコギターのバンドのように見えてしまう。彼らがロックっぽいロックで大ブレークしてくれるようなら、エジPOPの未来もずいぶんと変わってきそうなのだが。


アフガンルックの秘密 [日常]

142ccfe9.JPG4月から神戸に越してきて、街ゆく若者たちのファッションについて気づいたことがあった。それは、

「クーフィーヤを巻いてる若者が多いな」

ということ。クーフィーヤ、俗に言う「アフガン・ストール」のことである。

僕の記憶にある限り、このアフガン・ストールなるものが日本で流行りだしたのは、2001年秋。まさに9.11事件の直後であっただろう。「記憶」といってもその当時僕は日本にはおらず、人づてに、「日本でアラブファッションが流行ってるらしい」ということを聞いたにすぎない。アラブファッションなのになぜか「アフガン」という名前が付けられていることに、疑問を持った覚えもある。

たとえば、僕のカイロ暮らしの先輩にして同志、colacacoさんの日記を参照されたい(勝手に紹介してすみません)。アラブの現地事情を知る人であれば、当時「アフガンルック」と呼ばれていたこのファッションを見れば、首をかしげずにいられなかったという様子が分かるだろう。

ともあれ、一時期一世を風靡したらしいこのファッションであるが、2002年に僕が帰国する頃にも見られた。しかし徐々に下火になり、最近ではほとんど街で見かけることもなくなった。と、東京にいる頃の僕は感じていたのである。

そこへ来て、東京ではとっくに廃れてしまったモノが、神戸で大流行。これを見て僕は、「神戸のおしゃれは東京より遅れてる」などと意地悪くも思ったりもしたが、イヤ待て、東京のファッションと言っても毎日見かけるのは高田馬場あたりの学生ばかり。神戸岡本のおしゃれな学生たちと比較する訳にもいくまい、と考え直したりした。どちらの学生に対しても失礼な話ではある。

で、幸い近所に神戸が誇るファッション美術館なるものがあり、そこには大量のファッション雑誌のバックナンバーが保存されているので、夏休みに2日ほど通い詰めて、ここ8年間の若者ファッションにおける「アフガンルック」のあり方について、調査してみた。調査に先立ち、ゼミの学生たちに「おすすめのファッション雑誌」を尋ねるなどして、資料とすべき雑誌をリストアップしたが、男子大学生ならばFine Boys、女子ならZipperが人気のようである。特にファインボーイズは、「アフガンルック生みの親」とも呼ばれるカリスマ堂本剛が毎号コラムを執筆するなど、アフガンルック調査にはもってこいの傾向が見受けられるので、時間の都合もあり、ファインボーイズばかりを8年分書庫から出してもらって、ひたすらページをめくるという作業を行った。

さて、とりあえず分かったことは、①アフガンルックは2002年頃までに一度廃れてしまったが、2007年から再び流行しているということ。つまり、神戸で僕が目にしたのは第二次アフガンルックブームということになる。5月頃東京に行った際に、何人かアフガンルックをまとう人を見かけたので、うすうすそんなことではないかとは思っていたのだが..。東京で毎日高田馬場に通っていた僕が、いかに大学生のファッションには無頓着であったかが明らかになってしまった。

それから②この第二次アフガンブームは、ひょっとすると神戸が発信地なのではないか、と思われるフシがないでもない、ということ。回りくどい表現で申し訳ない。何を根拠にこんなことを言っているかというと、ファインボーイズ誌においては2002年夏以降、アフガンストールはすっかり姿を消していたが、5年の沈黙を破ってアフガンストール姿が復活するのは、2007年2月号「オトナめタイトなスナップ選手権神戸編」においてなのである。

確証は乏しい。しかし、港町神戸と中東風ファッション小物。なんらかの関連性があってもおかしくはない。仮に、ファッション業界に何らかの仕掛け人なる存在がいたとしても、新たなアフガンルックブームを起こすのに、神戸という街をスタート地点として選んだとしても、不思議はないように思われるのだが、どうだろうか。

ところで、第一次アフガンルックブームのきっかけとなったであろう堂本剛であるが、こちらにもいまいち確証が持てていない。web上でいくら探しても、彼がアフガンストール姿で写っている写真など見つからないからである。ジャ○ーズの情報統制、恐るべし。しかし、911直後に彼が出演していたテレビドラマ「ガッコの先生」であれば、レンタルビデオ店で借りることができる。なんでそこまでして調べないといけないのか、自分でもだんだん分からなくなってきたが、気になるモノは気になる。誰か背中を押してください。

ヘネーディー・アニメ続報 [TV]

af1a0b54.jpgラマダーンに突入したようです。

まずは訂正。「スーパー・ヘネーディー」はラマダーン後半からの放映となるようですので、今しばらく待ちましょう。

さて、やはり注目はハナーン・トルクだが、去年の放映前には、彼女はアニメの中でもヒジャーブをかぶって登場するはずだ、という「噂」が飛び交っていた模様(Egyptyより)。制作者側のコメントとして紹介されているので、ひょっとしたら放映直前まで、ヒジャーブをかぶらせるかどうかもめていたのかも知れない。

結局はヒジャーブなしで登場しているハナーン。上の画像のとおり、ちょっと意地悪そうな造形で描かれているのがおもしろい。作中でもヘネーディーに水をぶっかけたり、冷静に突っ込みを入れたりしている。

Youtube上で見た第一話のエピソードは、湾岸の富豪の家族の元から逃げ出したフィリピン人のメイドを探すという内容だが、ヘネーディーはフィリピン人なら寿司レストランに行くはずだと潜入捜査を始めようとする。それを聞いたハナーンが「寿司は中国の料理でしょ?」とたしなめているのである。どっちも間違ってるよ!

ヘネーディーとハナーンのアニメ [TV]

bac65cc9.jpgエジプトの爆笑王ムハンマド・ヘネーディーがアニメになった!

ドバイTVのラマダーン限定番組「スーパー・ヘネーディー」。実は去年のラマダーンに一ヶ月放映していたらしく、今年も新シリーズを放映するという。番組の公式サイトは下記。壁紙ダウンロードのコーナーもある。
http://www.dmi.ae/ramadan/rprogram_Details.asp?PID=3568

絵を見る限り、アニメとしてのクオリティーは高そう。キャラクターの造形はアメリカ版のパワーパフガールズくらいのレベルには達していると思う。エジプトの人気アニメ「バッカール」をはるかにしのいでいる(あくまで作画面で)。

Youtubeには去年放映したシリーズの各話がアップされているようだ。とりあえずこれがテーマソング↓。

もちろん声はヘネーディー自身が当てており、いつも通りのマシンガントークが炸裂している。

注目はガール・フレンド役のハナーンというキャラ。ハナーン・トルクが声を当てている。先のヒジャーブ宣言以来、もう二度と実現しないかと思われたハナーン&ヘネーディーの共演が、アニメという形で実現しており、感涙ものである。ハナーンとヘネーディーの夫婦漫才のような掛け合いは第22話のさわり部分などを見てもらいたい。
http://jp.youtube.com/watch?v=lEyRWUt-ZKQ
http://www.dailymotion.com/video/x6dbpm_super-henedy-ep22-s02_fun

またこれの途中あたりには、カーゼム・サーヒル(偽物?)がハナーン親子の家を訪ねてくるシーンがある。ハナーン親子はカーゼムの大ファンという設定で、彼にフスハーの詩をささやいてもらって悦に入っている。
http://jp.youtube.com/watch?v=mTZlKwprj0A&feature=related

興味のある方はsuper henedyあるいはسوبر هنيديと打ち込んで検索されたし。また中東在住の方は是非明日あたりから始まる新シリーズをチェックして下さい!

京都大学物語 [読書]

関西生活も早五ヶ月が過ぎようとしている。関西と言っても海辺の方なので、京都なんていう内陸の雅な所とには、なかなか足を踏み入れられずにいる。が、後学のためにこんなのを読んでみた。
鴨川ホルモー
京大、京都産業大、立命館、龍谷大と、京都市内にキャンパスを構える4大学が登場するので、「京都キャンパスガイド」的な読み方ができるのがおもしろい。何大学のそばには何神社があって..、というのが、陰陽五行に基づく独特の世界観でもってマッピングされているのだ。京都の地理に元々詳しい人であればなお楽しめるのだろうが、僕のような初心者でも十分乗れた。

こういう妙な世界観は、『鹿男あおによし』でも見られたパターン。というか『鹿男』の方が新作なので、『ホルモー』の方がルーツなのか。

『鹿男』は先のテレビドラマ化の際に非常に惹かれるものがあったのだが、この手のドラマを毎回欠かさずチェックして鑑賞するという年齢でもなくなってきているせいか、1,2度見ただけで終わってしまっていた(武侠ドラマなら毎週録画してるくせに)。ところが最近になってこれも原作を読んで、玉木ンの「おれ」やはるかタンの「藤原君」ならじっくり見直してもいいかなと思い始めているところだったりする。DVDレンタルは始まってるんだろうか。

さて『ホルモー』だが、主人公を含め主な登場人物はみな京大生。こういう大衆的小説で、高学歴学生ばっかり出てくるのも珍しいんではなかろうか。

高学歴と言えば、漫画になってしまうが『東京大学物語』をついつい思い浮かべてしまう。そんなに熱心に読んだわけではないがあの作品だと、主人公たちの「東大」への思い入れはずいぶんと気合いが入っており、正直疲れるテンションの物語だったような気がする。まあ江川の作風のせいでもあるだろうけど。

ところが『ホルモー』の場合は、登場人物みなが京大生であることなんてほとんど気にすることなく読めてしまった。「イカキョー(いかにも京大生)」な高村なるキャラクターは出てくるが、その使い方も実に巧みでさりげない。なんというか、気負いや嫌みが感じられない。『東大物語』から10年くらい経っているだろうか。この間東大生、京大生というものに対する世間のとらえ方も、ずいぶんとソフトなものに変わってきた、ということか。

あと大学のサークルを舞台に、っていう設定がうまいなと思った。「京大青龍会」だとか「龍谷大フェニックス」だとか、いかにもありそうでなさそうなサークル名。名前だけ聞いたら、いったい何やってるサークルなんだか分からない感じ。そういうの、自分の学生時代にもあったなあ。小説の中では「イベントサークル」なんていう風に説明するシーンもあったし。そういう、大学のサークルのなんでもありな雰囲気と、京都の歴史の風合い漂う混沌とした感じ。うまい取り合わせだ。

なんだか夢中になって、続編の『ホルモー六景』まで読んでしまった。「丸の内サミット」の続きも気になる。東京で言うとどの辺の大学が出てくるんだろうか。あと「イカトー」って言う言葉はあるんだろうか。

失われた写本の謎 [読書]

輝く日の宮
『源氏物語』には失われた一巻があった!というお話。新聞で紹介されていて興味を持った。

丸谷氏の文章は、実を言うと新聞で見かける論説の他には読んだことがなかった。旧仮名遣いについて行けるか不安はあったが、読んでいくうちに、「さうだらうと思つた」などと言うような文体も気にならなくなり、あっという間に読めてしまった。

旧かな以上に気になったのは、「あたし」という一人称。女子中学生から四十代の大学助教授(女性)まで、みな「あたし」である。空想の中の紫式部にまで「あたし」と言わせているのにはびっくりしたが、博学な丸谷氏のこと、ひょっとすると「あたし」という表現にも何か言語学的に正しいという裏付けがあるのかもと思ってしまった。

で、「あたし」を使うからと言うわけでもないが、女性の描き方なんかはうすっぺらい。いかにも中年男性好みの女性像という感じがする。まあ薄っぺらいと言えば男性もそうだったか。それはともかく。

あと、主人公が国文学研究者という設定になっていて、研究会で大御所をこてんぱんに批判したら本が出版できなくなってしまったり、シンポジウムで彼女に嫉妬する他の研究者から品のない嫌みを言われたりとか、学界の裏話的なエピソードがちりばめられている。しかしこれらのエピソードも何となく物足りなく感じてしまうのは、最近まで一連の「マックスヴェーバー論争」を読んでいたせいだろうか。事実は小説よりも何とやらだ。

で本題だが、実は僕は、「○○の失われた一冊の謎を追え」みたいな話は大好きである。源氏の散逸巻というのはどうやら丸谷氏の創作ではなく、実際に学問的な裏付けのある話だそうで、もうそれを聞くだけでわくわくしてしまう。しかし、残念ながら僕は源氏を読んだことがない。あさきゆめみしさえ読んでいないので、若菜の巻の文体がどうだこうだと言われても今ひとつ実感が湧かなくて、ちょっと残念である。そういう文体の違いが、主人公が散逸巻の謎を突き止める重大な根拠の一つとなっていただけに。

しかし、散逸巻の秘密が、作者である紫式部とパトロンにして編集者(にして愛人)である藤原道長の2人の間の営みにだけ帰せられてしまうと言う筋書きは、おもしろくもあり、不満でもあった。そもそも源氏という作品は、本当に紫式部の著作であると言えるのか?作品と作者の間に一対一の関係が取り結べるような類の作品だったのか?僕の好みとしてはやはり、藤原定家あたりがなんらかの意図から源氏の一巻を封印してしまった、みたいなオチが読みたかったかな、と思う。その場合の定家は、思いっきり邪悪で冷血な盲目の修道士みたいな造形で描いてほしい。

喧嘩上等な研究書 [読書]

マックス・ヴェーバーの犯罪―『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊 (MINERVA人文・社会科学叢書)

2002年の初版以来、学界の注目を集めている書らしい。上記アマゾンでのカスタマーレビューの白熱度を見れば、この本の持つインパクトが伺える。著者の批判はマックス・ウェーバーに止まらず、ウェーバーに追随する日本の社会学者にも向けられており、日本のウェーバー学を牽引する折原浩氏は著者に対して猛反論を展開している。

タイトルからしてそうなんだけど、「あおるだけあおってやれ」と言う態度が文体からにじみ出ている。これだけ喧嘩上等な研究書っていうのも珍しいので、まあおもしろいと言えばおもしろいのだが、「情緒的」だとか「小児じみた」だとか「巨人」の肩に乗る「子供」だとか言って批判されている日本のウェーバー学者の側は、そりゃたまったもんじゃないだろう。記述は総じて饒舌、冗長。ウェーバーが付している長々しい「注」について批判する割には、自分の注がむっちゃ長い。本書に書かれた内容を普通に論証するだけならば、半分の分量で済むんじゃないかと思える。くだくだしく攻撃的な表現を多用し、2ちゃんの書き込みを彷彿とさせる。そのくせ「せざる得ぬのである」なんていう妙な言い回しが出てきたりする(「を」は?)。まあ、偉大な家父長ウェーバーを論駁するには、また「一読者」にすぎない著者が自分を弁護をするためには、これだけの回りくどさが必要だったということだろうか。

くどくて自分語り的な文体に目をつぶれば、というか、その文体自体を面白がって読むことに慣れてしまえば、本書の論旨は明快なのですんなりと飲み込めてしまう。古典的名著『プロ倫』で、ウェーバーがいかにいい加減な資料引用をしているか、いや、それは実はいい加減なのではなくて、都合の悪い事実を隠蔽しようとしているらしいのだが、ともかくウェーバーによる作為的な資料操作のあり方を細かく検証している。本書を読む限り、ウェーバーの資料操作に関する著者の指摘は的を射ているように思えるのだが、社会学の観点からするとどうなんだろうか。

正直言って、僕は今まで『プロ倫』なんてろくすっぽ読んだことない素人なのだが、本書で著者が『プロ倫』のエッセンスを紹介すればするほど、『プロ倫』の本質主義的な物言いが気になって仕方なくなってしまった。だって、プロテスタントの諸民族こそが資本主義の精神を生み出すのに適していた、っていう主張なんでしょう、つまるところ?それって、ちょんまげを結っていた日本民族はそもそも狩猟民族であり、したがって文明開化に乗り遅れずに済んだのだ、みたいな司馬遼太郎的主張と同レベルな、『プレジデント』流の文明論なんじゃないの?だから、本書の第四章で著者がまがまがしく『プロ倫』の根幹となる論証部分を論駁している下りを読んでも、「へー」という感想しか持たなかった。

あと、著者は「文献学」の手法を用いている、と言う風に語っているけど、これは自戒を込めて言っておきたいのだが、自説に都合のいいところだけを一生懸命になってソースをあたる、っていうのは本当の文献学ではない(はずだ)。文献学って言うのはもっとこう、ストイックで、一山全部掘り返してみてスプーン1杯分くらいの砂金が取れれば御の字、という感じではないか。初めっから金脈の位置が分かっていて、それをぐりーんと掘り進んでいってお宝ゲット、みたいなのはちがうと思うのだ。この本の著者は、それこそウェーバーの掘ろうとしていた金脈の位置はあらかじめ分かっていたのだから、どんなに外国語聖書の初版本にあたろうと、たいした労力ではない。学者として当然の作業だ。もちろん、その当然の作業をウェーバーが怠っていたと言う指摘は正しいのだが、まあ100年のタイムラグがある相手にそんなこと言ってもねえ。ともかく、こういうのを文献学と呼んでほしくない。むしろ、「ウェーバー学」と呼ぶのがふさわしい。

ともあれ、折原氏の反論書を注文したので、到着を待つことにしたい。今の自分にはちょっとデトックスが必要かも。

スパガfeat.吉幾三 [音楽]

しもまるこぐまさんが書き込んでくれているので、ちょっとしたプレゼント。



kisaraさんのブログで以前取り上げられていたやつです。一連の吉幾三シリーズの中では僕はこれが一番好き。吉はスパガの10年先を行っていたのです。

漫画の神様の脱神話化 [読書]

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
キャラとキャラクターの弁別、コマ構成やコマなんとかなどの用語法など、ちょっと読んだだけではすんなりと頭に入らなかった。それは僕が漫画の実践に携わっていない素人だからだろうか?

しかし本書の主旨は明快。「手塚は映画的手法を用いた」、「日本の漫画は映画的手法を取り入れて発展した」、したがって「日本の漫画は手塚によって発展させられた」。これって確かに何か間違ってるよねえ。本書はいわば、このような三段論法の矛盾を指摘し、漫画の神様手塚の脱神話化を行った。

著者によれば、映画的手法なるものは手塚が最初に導入したものではないし、そもそも映画的手法とは具体的にどのようなものなのかの検討は漫画批評において十分になされてはこなかった。その背景には、漫画というメディアがサブカルの代表格のように扱われてきたために、文学や映画の批評のようには、学問的検証に耐えうる批評がなされにくかったことがある。平易な漫画を小難しく語るな!といういちゃもんが常について回るわけだ。

だから、「手塚は日本の漫画の創始者」「手塚は偉いったら偉い」というテーゼがいったん共有されてしまうと、それを実証的に批判することも相当難しくなる。でも考えてみれば、手塚ひとりの作品を検討して日本の漫画史すべてを語るなんて、相当に乱暴なことのはず(夏目房之助の手塚論はおもしろかったけど)。本書の掲げる「手塚への円環を断ち切る」という目論見は、きわめて重要なことと理解する。

主旨は明快、なんだけど、論証の仕方が若干「くどい」ように感じる部分が多々あった。短文をなんども重ねて先行研究批判する下りなど、もちょっと淡泊に書いてくれた方が読みやすいのに、と思ったのだが、まあこれは文体の癖か。それとも漫画批評の方法論を確固たるものとして提示するのを急ぐあまり、アカデミックな文体の臭みが誇張されてしまったのかもしれない。

日本一ジェリーに近い男 [TV]

昨日は恒例の家族カラオケ(中国語曲オンリー)に行ったのだが、その店の機種はジョイサウンドとかいうやつで、ユーザー登録すると毎回歌った曲を保存してくれるというすぐれものだった(しかも登録したアカウントを使ってちょっとしたSNSのようなサービスもしている)。毎回毎回、簡体字や謎のカタカナ転写に悩まされつつお目当ての中国語曲を探すという苦労も、これで大幅に軽減されそうだ。ひいきにしたい。

タイトルの「ジェリー」とはジェリーイェン(言承旭)のこと。NHKの衛星で彼の主演ドラマ「ザ・ホスピタル」が放映されているので、ご存じの方も多かろう。昨日はその主題歌「ニーシーウォウェイイーダァジージァ(何という読みにくさだ!)」を見つけて歌ったところ、カラオケの採点システムで見事「第1位」の栄冠を勝ち得た。とはいえ、全国のジョイサウンド系列店の中でもこの歌を歌ったことがあるのは僕ひとりだけのようだった。1人中1位。

さてそのドラマの「ザ・ホスピタル」である。なぜかうちでは1週間遅れで、昨日最終回の1話前を見た。外科の頂点を極めたジェリーが、クライマックスに向けてどうなるのか?というはらはらの局面を迎えるはずなのだが、この期に及んでダイ・リーレンが、主役のジェリーを完全に食ってしまう熱演ぶり。娘溺愛のパパを演じるダイ様、朗らかに学生の指導に当たるダイ様、後輩医師の前で取り乱しつつも冷静さを装うダイ様、激高する妻を全力でなだめるダイ様、そして、跪いて懇願するダイ様。..まったく、誰の主演ドラマなんだ?

このドラマ、すべての回を見たわけではないが(最終回も残っているが)、ことごとかように、ダイ様の熱演が主演のジェリーの存在感をきわめて薄くし続けてきたように思う。まあ、ジェリーがぼーっとした表情か、悪びれた不良みたいな演技しかできないのが悪いのだが、ここまでダイ様オンパレードだと少しジェリーが気の毒に思えてくる。

1話前のエピソードにしろ、結婚したジェリーがたった1年であれほどまでに無気力人間になってしまったのも、なんだか唐突な感じがして驚いたが、ひょっとしたらダイ様が目立ちすぎたために、ジェリーの見せ場が削られてしまっていたのかも知れない。そういえば何話か前のエピソードでダイ様が、「理想の医療を実現させるには、この病院で頂点を極めなければならない」的な発言をしていたように思うが、それって本当はジェリーが言うべきセリフだったのでは?理想を抱いた現実主義者としてジェリーがもう少しきちんと描かれていれば、結婚後にやはり現実の壁に突き当たって無気力化する、という筋書きも了解できたのだが。

とはいえ僕にはまだもう1話残っている。最終回でジェリーが大化けし、感動のクライマックス!..ということはないだろうなあ。やっぱり今作は、ダイ様主演ドラマと脳内変換して見た方が良さそうだ。

オープンエア・ミュージアム完成へ [旅行]

9e834fd4.jpgカイロのイスラム地区を完全リニューアルして「オープンエア・ミュージアム」にしてしまおうという計画が、もうほとんど完成に近づいたというニュース。Ahram Weeklyより。写真も同サイトから。

記事によると、10月からは完全歩行者専用ゾーンとなるらしい。ロバと馬車と軽トラが行き交うあの活気あふれる情景が見られなくなってしまうとしたら、ちょっと寂しい気はする。

写真がうまく撮れているせいだけかもしれないが、かなりきれいになっている。改築工事中のてんやわんやな様子を思えば、この状態はにわかには信じがたい。まあ想像するに、カラーウーン病院など主だった建物のあたりだけがぴかぴかになっていて、バシュターク宮殿とか微妙なあたりは廃墟のまま、っていう感じではなかろうか。あの辺、人が住んでるからなあ。

ともあれ、オープンエア・ミュージアムが完成した暁には、ぜひともニャンマゲのようなマスコットキャラを置いてもらいたい。ところで関西地区では、ニャンマゲとヒコニャンが似ている件については話題にしてはいけないのだろうか。

ついにサラディンをゲット! [音楽]

2001年の秋、当時エジプト留学中だった僕は、留学仲間のY氏と連れだってシリア地方を旅行した。

ヨルダンを陸路駆け足で通り過ぎ、ちょうどラマダーン一日を迎えるころにダマスクスに留学していたM氏の家に転がり込んだ。せっかく料理のうまいシリアだというのに、僕は風邪を引いたのか水が合わないのか、熱を出してしまい2,3日ゲエゲエ吐いてばかりいてどこにも行けなくなってしまったのを覚えている。同行の友人たちにも大変迷惑をかけた。

そんな過酷なシリア旅行で、僕の心にもっとも深く刻まれている思い出が、ちょうどその時期にシリア国営放送で放映されていたラマダーン大河ドラマ「サラディンصلاح الدين الأيوبي」を見たことである。

美しいアラビア語の台詞回し、押さえの効いた演出、きっちり考証されていそうな時代装束、クラック・デ・シュヴァリエなど本物の十字軍遺跡を使った贅沢なロケーション...とにかく、ため息が出るほどかっこいいドラマだった。これに比べれば、その頃エジプトでやっていた時代劇など、吉本新喜劇のようであった。エジプトびいきの僕もchapeauを脱がざるを得なかった。

それから7年、ついに、アラブ圏最大のオンライン書店「ナイルとユーフラテス」で、ドラマ「サラディン」のDVDを発見した!それが今日家に届いたのである。6枚組全30話、英語字幕付き、PAL方式だがパソコンでは視聴可能。

とりあえず冒頭の部分を見てみたのだが、懐かしい主題歌を聴いて感動!当時は気づかなかったが、歌っているのはシリアの名歌手アサーラだとオープニングロールに書いてあった。「♪アイユハルマールーン」というフレーズが耳にこだまする。(歌詞

サラディン映画と言えば、1961年のエジプト映画、ユースフ・シャヒーン監督の『ナースィル・サラーフッディーン』がある。かなり古い映画だが、考証もメッセージ性も良くできている。なにより主演のアフマド・マズハルが抜群にかっこいい。それから2004年のリドリー・スコット監督、オーランド・ブルーム主演の『キングダム・オブ・ヘブン』にもサラディンはかなり重要な役として出てくる。演じるのはシリア人俳優ガッサーン・マスウード(なんと、公式サイトあり)で、これまた渋い。これらの映画に現れるサラディン像と比較するという楽しみもある。さあ、これはもう、買うしかない!

なお、シリア国営放送はその後も良質の歴史ドラマを毎年制作し続けていると聞く。ArabiaTower.comを見ると、『クライシュの鷹』とか『ハーリド・ブン・ワリード』など、楽しげな名前が並んでいるが、これもそのシリーズだろうか。

2005年のラマダーン放映、その名も「ザーヒル・バイバルス」!冒頭の金髪のおっさんがバイバルスであろう。発売されるまでもう7年くらい待たねばならないか?

「アル・ジール」とは何だったのか? [音楽]

アラブポップスを眺めるに当たって、「ジール(jeel)」とか「アル・ジール(al jeel)」とか呼ばれるジャンルがある。一般に、アムル・ディヤーブなど、エジプトのメインストリームのアイドル歌手たちの歌う歌のことを、指すことが多い。この用語について僕は今までに書いた文章の中で、「すでに時代遅れのターム」と指摘してきた。現代のアラブポップスを指す用語としては、それに代えて「シャバービー(shababi、若者の)」という用語を使う方がよいと考えている。(これは何も僕の独創ではなく、さる英語の文献を参考にしているのだ)

じゃあそもそも「アル・ジール」とは何なのかというと、リビア人プロデューサのハミード・シャーイリーが、アムルやハキーム、ヒシャーム・アッバース、ムスタファ・アマルなどと組んで、80-90年代に制作し、がんがん売れていたヒット曲たちのこと、というのが僕の考えだった。しかし、90年代になってからの音楽、たとえばアムルの「Nour el Ayn」などは、サウンド的に相当に垢抜けしており、現在のシャバービーなアラブポップスとあまり変わるところがない。とすると、90年代まで生き残っていたアル・ジールと、2000年以降のシャバービーとを、あえてジャンル分けすることの意味は何なのか?というあたりで、僕の「アル・ジール」理論には不確定なところがあったのである。

ところが、最近になってPop Culture Arab Worldという本を読み返し、アル・ジールについての見解を改めねばならないことに気づかされた。

著者のAndrew Hammond氏によれば、アル・ジールの元祖はハミード・シャーイリーのプロデュースしたリビア人(実際にはマルサ・マトルーフ出身だそうだ。ということは、エジプト人)」歌手Ali HemeidaのLaw Leki (1988)だとのこと。この曲ではその後10年のアラブポップスを支配するフォーマットができあがっていると言い、それはすなわち
"Lybian clapping, finger cymbals, and a drum machine with a beat that mimicked the hip swings of belly dancing, which every Arab learns as a child."
でもってこの曲、当時6万枚カセットを売り上げたということ。むろん、大量に出回ったであろう海賊版については集計する手段がないので、実際の売り上げはこれを遙かに上回る。

どんな曲か気になったので検索したら、こんなビデオが見つかる。かなり耳に残るメロディーなので、注意されたい。
打ち込み主体の伴奏はいかにも安っぽい感じがするが、その後のNour el Aynまでに至る進化の道筋は容易に描けそうだ。

もういっちょ、この時期のアル・ジールを語るに欠かせない歌手として、Hananというエジプト人女性歌手がいるらしい。そちらの出典はこのサイト。で、こっちもビデオを見つけた。「エジプシャン・スマイル」と評された彼女のパフォーマンスを是非見ていただきたい。

なんちゅう声の裏返り方!いずれにせよ、ウンム・クルスームやハリームなどの世界とはがらりと変わった世界が提示されている。現代のアラブポップスができあがる前に、間違いなくアル・ジールと呼ばれる世界が存在したのである。

だがしかし、ウンムやハリームが亡くなってから、上に見たハミード・チルドレンが出てくるまでにはまだ10年くらいのタイムラグが残る。この間、いくらサダト期の停滞期だからと言って、エジプトから誰も歌手が出てきていないわけではなかろう。どうやらこの10年には、まだまだ何かが隠されているようだ。それについてはまた後日。

さしあたりはハミード本人の情報を集めるとしよう。
http://hamid219.tripod.com/index.html
http://www.jeelmusic.tk/

アラブのメッセージソング【仕事】 [仕事]

イスラーム世界のことばと文化 (世界のことばと文化シリーズ)
このブログでもたびたび話題にしたことのある、アラブポップスとアラブ人の帰属意識の問題について、なんとなく文章にしたものが本に載りました。とりあえず宣伝しときます。
[BOOKデータベースより]
広大・未知のイスラーム世界を言語・文化・宗教・文学の視点から多角的に解明する。新鋭の研究者たちによる新・イスラーム学のすすめ。
1 イスラーム世界への旅
総論―イスラーム世界との出会い
イスラーム世界の旅・旅人・ことば
2 イスラームの言語と文化
イランの生活を彩ることばと文化
古典詩歌と物語から読み解くペルシア世界
メディアのアラビア語
『歴史序説』にみるイブン・ハルドゥーンのアラビア語観
3 イスラームの文化と芸術
現代アラブのメッセージソング―民族・国家・イスラーム
トルコの話しことばと伝統芸能
トルコの美術と書道
4 異文化の中のイスラーム世界
中華とイスラームのはざまで―中国ムスリムの「小経」と「ハン・キターブ」
壁としてのジャウィ、橋としてのジャウィ―東南アジア・ムスリムの社会と言語
アラビア語とスペイン語のはざまで―モリスコたちの言語と文化
現代ウイグル文化の歩み道―中華の波の中にある言語
「東」と「西」の架け橋―グルジア語の世界


アラブ・ミュージック―その深遠なる魅力に迫る
ついでにこちらもリンクしておきます。こっちが概論、上のが特論という位置づけで、両方併せて読んでもらうとわかりやすいと思います。

それにしてもこう並べると、2007年度はこっち系の業績しか上げていないような感じに見えてしまいます。そんなつもりはないんですけどねえ。

それから、『アラブ・ミュージック』が朝日の書評で取り上げられました。評者の小杉先生は控えめに書いていらっしゃいますが、ご本人も相当なアラブポップス・フリークであらせられます。

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