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子供版「究極の選択」絵本 [育児]


ねえ、どれがいい? (評論社の児童図書館・絵本の部屋)

ムスメが通う小学校のお話しボランティアの二回目、お題は『ねえ、どれがいい?』という絵本だった。

「きみんちのまわりがかわるとしたら、大水と、大雪と、ジャングルと、どれがいい?」

という問いかけから始まるこの絵本。語り口がやや優しすぎるので、自分のようないい年したおじさんが読むにはどうかな?という恐れもあった。

しかし、1ページ読むなり早速子供たちの生きのいい反応が。

「大雪がいい!」
「おれジャングル!」

ほっといても次から次に答えが返ってくるのだ。こちらから「大水がいいひとは?」などと話を振ってみると、今まで黙っていた子も手を挙げたり意見を言ったりする。

昔はやった「究極の選択」の子供版とでも言ったところだろうか。大人には他愛のない選択に見えるが、1年生にとっては真剣に意見を言いたくなる絶妙なチョイスなのだろう。ジョン・バーニンガムのとぼけたイラストの風合いも良い。

ところが、である。初めのうちは面白いので子供たちにどんどん意見を言わせておいたのだが、そうすると15分の制限時間に収まり切らなくなってしまう。慌ててページを進めようにも、話し声がやまない。こういう場合、読み手はどうしたらいいものか?「静かにしろ!」と叱りつけるのも興ざめだし。。

すると、クラスの中のまじめそうな子が、「ほら、静かに」「しー!」などと仕切りだした。ああ、こういうクラスの中の自浄作用みたいなのが、早くも形成され始めてるんだなあと関心してしまう。しかし、その自浄作用はまだ不十分のようで、しまいには教室の外に控えていた担任の先生が「静かに聞きなさい!」と介入する事態に。あー、ちょっと野放しにしすぎたかこれは、と反省。子供たちのおしゃべりを、こっちの思い通りに誘導する方法はないものだろうか。

とはいえ、今回もうまいこと子供たちとの関係を築けたような形で読み終えることができた。ひとえに子供受けする絵本の威力である。次からは、今までのような「飛び道具」系ではなく、しっかりとしたストーリーのある絵本を読む予定だが、うまくいくだろうか。修行の日々が続く。

イクメンの鉄板絵本 [育児]

実を言うとこの春からムスメの小学校で、絵本の読み聞かせのボランティアサークルに入っている。PTA活動の一環である。朝1限の前の15分間、2週間に1度ある「お話し」の時間に、各教室に出向いて一冊絵本を読み聞かせるというもの。

こちとら日頃から人前で話すのが商売だし(いちおう、ね)、ちびっ子相手に15分くらい簡単簡単、と思っていたのだが、6月に開かれた読み聞かせ講習会に参加したところ、絵本の持ち方めくり方から滑舌まで細かく注意を受けてしまった。そして夏休み前には3年生の教室で絵本を一冊読んだのだが、気負いすぎて緊張してしまったせいか(9歳相手に緊張すんな!)どうにも受けがよろしくなかった。これは大変な仕事を引き受けちゃったかなあと、早速鼻っ柱をおられた感じになったというのが、これまでの経緯。

しかし、2学期はムスメのいる1年生たちの担当となった。これはがんばらないと!

で先日、第一回目のお話し会があり、行ってきた。読んだ本はこれ。

これはのみのぴこ

有名な本だが、今まで読んだことはなかった。幸いうちのムスメも読んでもらったことはないので、ここはサプライズでいくことに。こっそりとアマゾンで取り寄せ、ムスメの留守中or寝静まったあとに読む練習。

そうして迎えた本番。いきなり教室に入ってきた父親を見て、ムスメは大興奮。他の生徒たちは、普段と違ってパパさんが絵本を読むというシチュエーションにちょっと違和感を抱いている様子。なにせ、このサークル始まって以来、初の男性参加者なのだ。

しかしここはひるまず、なるべく陽気なおじさんであることを全面に押し出しつつ、のみのぴこを読み出す。はじめはざわついていた教室も、一ページ読むごとにどっかんどっかんと笑いが起こる。これがまた面白いように受ける。そして最後はとっておきの早口で1ページ、一息で読み切る。これでまたも大爆笑。

あれー、おれってこんなに話うまかったっけ?と錯覚してしまいそうなほどだった。もちろん、これは絵本のおかげ。さすがは谷川俊太郎さんだ。「入れ歯」だとか「お相撲さん」という言葉が出てくるだけでおもしろがるんだな、一年生くらいだと。和田誠さんの絵もかわいらしくていい。いやー、この本をムスメのクラスで読ませてくれた、同じグループのみなさんにはほんとに感謝だ。

たぶん、誰が読んでも笑いがとれる絵本だけど、いくつかコツがありそうな気がする。
1)ページを開いたらすぐに読み始めずに、絵と文字をじっくりと見せる。「これは...」などと間をとってみるのもいいかも。
2)長いフレーズを読み切った後は、子供たちの顔を見回すこと。リアクションを把握するのは大事だ。
3)早口になるのは最後の数ページだけにしておく。最初のページから早口で読むと、何が何だかわからなくなる。

さて、3-4分で一通り読み終えてしまったので、自分で勝手にアンコールしてもう一度はじめから読み始めることに。ところが調子に乗って、「今度はみんなで一緒に読もか!」などとあおってしまったのが失敗の元。子供たちと声を合わせて読むと、「これは、のみの、ぴこの、すんでいる、ねこの...」と途端に国語の授業の様になってしまい、これではとてもあと10分では読み切らない。結局最後のページまですっ飛ばして、強引に終わることになってしまい、少し後味悪かったかな。

それでもムスメに聞いたところ、その後みんな図書室で同じ絵本を探していたと言うから、これほどうれしいことはない。嗚呼、これが大学の授業だったらなあ。いっそ授業でも「のみのぴこ」を読んでみるか...

かべしんぶんなつやすみとくしゅうごう [育児]

今年は長女が小学一年生になり、彼女にとって初めての「夏休み」というものを体験した。

小学生の夏休みと言えばなんといっても「宿題」な訳だが、いわゆるゆとり教育の影響なのだろうか、計算ドリルも文字の書き取りもそれほど分量はなく、8月の前半にはあらかた終わってしまった。

とはいえ難題は自由研究や写生、工作などになるわけだ。自分が小学生の頃、これらのイレギュラー宿題には8月31日までさんざん泣かされた覚えがある。あんなに宿題に泣かされた自分が今では教育職とはなんとも因果なものを感じてしまうが。

とにかく、1年生の時点でムスメに宿題に関する敗北感を抱かせてはいかんと思い、なんとか早めに自由研究を終わらせようとハッパをかけて来たのだが、案の定、なかなか始めない。そもそも自由に研究しろといわれるとかえって何をしていいのか分からなくなるんだよなあ。っていかんいかん、こんなところで理解を示しては親失格である。

で、さりげなくアドバイスを与えつつ、適切な自由研究ネタを提供してやるのが正しい親のあり方だろう。ここで学校でもらってきた自由研究のヒントの書かれたプリントを見ると、「かべしんぶん」なるものが提案されている。これならば、毎日のたゆまぬ観察も必要ないし、短期集中で一気にできそうである。

「ねー、夏休みの宿題だけどさー、夏の思い出を10個選んでなつやすみ10大ニュースを新聞にする、なんていうのはどうかなあ」

などと、あまりさりげなくないアドバイスを与えたところ、ムスメも乗り気になってくれたので、一気に書かせることにした。

...しかし、1年生の文章力では「一気に」とはいかないんだよなあ。まずうちの子、字を書くのがものすごく遅い。学校でも、友達に「遅い」とけなされて、帰ってきてから涙目になって訴えてきたこともあった。

それからもちろん、10個のニュースを選ぶのも大変だ。ムスメなりに気を遣っているのか、父方の祖父母の家ですごしたエピソードと、母方の祖父母のエピソードを均等に配分しようとしたりしている。また、最終的に気づいたのだが、パパが出てくるニュースとママが出てくるニュースが1件ずつあったり、そんなところにまで気を遣っていたり。まったくわがムスメながら頭が下がる思いだ。

いきなり画用紙に字を書かせて取り返しのつかない事態にならないよう、選んだ10個のニュースをまず10枚の折り紙に書かせ、それらを最後に四つ切り画用紙に貼り付ける、という手順をとった。

こうしてできあがった壁新聞がこれ。写真はあとで載せるので、とりあえず10個の見出しをどうぞ。括弧内は僕が補った。

1い プールで5メートルおよいだ
2い バトミントンを4かいれんぞくで!
3い バレエ ハイホーをさいごまで
4い キッズキッチンのテーマはうり(瓜)
5い かがくかん、ひこうきをうみへんに
6い ぴあののがくふレベル1に
7い Mちゃん(妹の名前)がぶーってないた
8い うまにのった
9い ぼんおどりでばかとのに?
10い ケーキをつくった

彼女なりに、新聞のあおり文句の文法を身につけているようだ。びっくりマーク、クエスチョンマークはまったく彼女の独創である。個々のエピソードに関する説明は省略。

実はここに書いたほかに、飼ってる鈴虫がようやく鳴いたという事件や、アリがえさを巣穴に持ち帰るのをじーっと観察した思い出などもランクインしていたのだが、「もうひとつ、かべしんぶんむしごう(虫号)をつくろう!」とムスメが勝手に思い立ってしまったので、こっちの夏休み特集号には盛り込まないことにしたそうな。しかし、残された時間はあと一日。虫号の方は無理だろうなあ。

男は背中で育児する?その2 [育児]

先に紹介した前島氏の文章は、ガテン系の父親たちの肉声を代弁しているという点で、イクメン推進派の皆さんにとっても真剣に考えるべき重要性をもっている。しかし、父親の育児は母親のそれとは違う、より高次元のものだ、という見方は実に根強く、ネット上にも他にいくらでもサンプルが見つかる。

たとえば、以前みかけたこのツイート。どこのどなたかは存じ上げないし、今やキャッシュでしか見つけられなくなっているので勝手に引用だけします。すみませんが。
我が子の人間教育、基本としての躾の責任は、9割までは日常の大半をともに過ごす母親にあり、 父親の役割は、自分の人生観にもとづいて人間としての生き方の方向を示すこと、子供に生き方の種まきをするところにある。

こういうつぶやきを残しているからと言って、この人が具体的な子供の世話を全く見ない人であるとは限らない。日頃かいがいしくおむつ換えなどをこなしてきた方の発言かもしれない。

しかしそういうならば、母親には子供に生き方の方向を示すことはできない、というのだろうか?母親だって、かりに専業主婦だとしても、家事や育児をとおして立派な生き様を示すことくらいできるのではないだろうか(もちろん学校や地域社会と関わりを持つ人もいれば、男性と変わらず働く人だっているし)。

そして極めつけはこのブログ。ファンも多い超有名人のブログなので、リンクは張りません。チキンなもので...以下引用。
「母親」の仕事は子どもの基本的な生理的欲求を満たすこと(ご飯をきちんと食べさせる、着心地のよい服を着せる、さっぱりした暖かい布団に寝かせるなど)、子どもの非言語的「アラーム」をいちはやく受信すること、どんな場合でも子どもの味方をすること、この三点くらいである。 「父親」の仕事はもっと簡単。 「父親」の最終的な仕事は一つだけで、それは「子どもに乗り越えられる」ことである。 この男の支配下にいつまでもいたのでは自分の人生に「先」はない。この男の家を出て行かねば・・・と子どもに思わせればそれで「任務完了」である。 (…中略…)人類学的な意味での親の仕事とは、適当な時期が来たら子どもが「こんな家にはもういたくない」と言って新しい家族を探しに家を去るように仕向けることである。

ここでは父親の役割に多少ひねりが加えられているが、言ってみれば子どもの反面教師たること、となるだろう。上記のツイートと正反対のようでいて、そのじつ同じ指向性を持つと言っていい。つまり、父親だけが子供の人生の指針を与えることができ、母親はこまごまとしたお世話のみしてろ、ということである。

それにしても母親の扱いが、ここではひどすぎる!「「母親」の仕事は子どもの基本的な生理的欲求を満たすこと」...なんという直球セクスィズムだろうか。こういうことをずばりと言ってのけるから、みんな「そこにしびれる!あこがれるぅ!」となるんだろうか?

しかしまあなんだ。こういう文章を読んで、僕のような後進が「これはひどすぎる。こんな論壇の閉塞状態は打ち破らねばならぬ。もっと精進せねば!」と奮起するとしたら、それはまさしく上記ブログの筆者が「人類学的な意味で」、学界の家父長としての任務を正しく遂行していることになるわけだから、僕などは所詮、筆者の掌上で飛び回っているだけと言うことになる。嗚呼、U先生の知謀、神のごとし...

これらの発言に見られる、家庭内での男女の役割を非対称なものととらえて全く改めるところのないような姿勢に対しては、昨今はやりのイクメン思想を十分にアッピールする必要が大いにあるだろう。

しかし、前エントリに書いたような立場、つまり、育休なんてエリート社員や公務員じゃなきゃ無理、おれたちゃやりたくてもできねー、みたいな階層格差的な意見が、ある種の人々の支持を集めているとしたら、いくら政府やら社会がイクメンを推進させようとがんばって宣伝したところで、その声は人々には届かないだろう。代わりに彼らのニーズにぴったりフィットする上述先生のコラムのような主張が、ますます歓迎されることになる。なにせ、「人類学的意味」だかなんだかから、こまごました育児作業は男の仕事ではないとお墨付きを与えてくれてるようなものなのだから...こうして悪循環に陥る。

そこで一つ思うのだけど、イクメンやっかみ派の人々にとって、育休つまり育児休暇の取得はものすごくハードルが高いものだ。政府は男の育休取得をもってイクメンの指標としているフシがあるけど、あまりそればかりを協調しすぎると、上記のような悪循環を生み出すのではないだろうか。会社員でもガテン系でも、育児や教育に関心を持つお父さん方を少しでも多く取り込もうとするには、育休という高いハードルをもうけて「背中で教える」系の牙城に閉じこもらせてしまうのは、全く得策ではないと思うのだが、いかがだろう。

イクメンの普及には、まだまだ超えねばならない高いハードルがあるように思う。

男は背中で育児する? [育児]

世の中、イクメンばやりである。

育児参加については、自分で言うのもなんだが、僕はかなりがんばっている方だと思う。しかし、「我こそはイクメンである!」と天下に名乗りを上げるのは、やはりこっぱずかしさが漂う。とはいえ、「あんた、イクメン、がんばってるね」と言われればはあそうですかねと答えて特に否定はしないし、「○○さんの旦那さん、イクメンざますわね」と言われればきっとまんざらでもない気がするだろう。

そんなわけで僕はイクメン擁護派というか便乗派にあたるわけだが、どうも最近、イクメンを非難する人たちも増えているようだ。以下、ツイッター経由で拾った情報を概観してみる。

まずいちばん目につくのは、「イクメン」という言葉の響きがかっこわるい、ださい、という批判。育児をする人しない人、男女を問わず聞かれる。まあこれに関しては僕も同感な訳で。これは以前はやった(今もはやってる?)「クールビズ」と同じような現象だろう。ださいキャッチフレーズも、使い続けるうちに既成事実化していくものだから、せいぜい使い続けていってほしい。

で、より根が深そうなのが、「男は背中で育児する」系の言説。

たとえばこの記事を見てもらいたい。

「現役パパに言わせて!「僕が思う、父親としてのあり方」前島大介」
http://blog.livedoor.jp/lifenet_seimei/archives/50497686.html

この記事の著者は、イクメンを真っ向否定こそはしなていないものの、「メディアの取り上げ方を含め疑問に思う部分も多」いと述べる。以下、記事より引用。
お風呂に入れるのが上手。オムツ換えの手際がいい。遊ばせ上手。などなど、それらはどれもすばらしいことだけれど、あくまでもオプションであって父親としての基本スペックではありません。(…中略…)子どもと一緒にいる時間を増やし、お世話することで、安心しちゃっていませんか? 嫌な言い方ですけど、自己満足しちゃっていませんか?
先述のとおり、目先のお世話だけで自己満足していては、本当の意味で育児ができているとはいえないということを、忘れちゃいけないと思うんです。過去に栄冠なんてなかったとしても、息子に、娘に、自慢に思ってもらえるような父親になりたいですね。子どもに対しての深い思いと、それを背負った上でどれだけ自分のワークスタイル、ライフスタイルに自身と誇りを持って取り組めているかが、言ってみれば“父親力”であり、それを高めていくことが父親としての自分磨きなのではないかと。

子供と過ごす時間を長く持ち実際に育児労働を担う、ということを「自己満足」ではないかと疑問を投げかけ、それよりは、子供に父親である自分のことを「自慢に思ってもらえるような」「ワークスタイル、ライフスタイル」を高めるべき、という主張を展開している。

子供の世話が「自己満足」という物言いは、奇妙な感じがする。なぜなら世話をして「満足」するのは本来子供の側であり、世話を分担して受け持つことで配偶者(母親)だって「満足」するだろうからだ。決して父親一人の満足のためだけにはならないはずである。

そもそも、「自己満足」という言い方は、自分の生き方を示すだけで「自己満足」していないか?という反省にたち、男も育児参加すべきだと主張する、現在のイクメン推進派が好む表現のはずであった。それをこの著者はあえて逆手にとって、育児参加こそ自己満足、と言っているようにも見える。

もっとも、前島氏はそこまで攻撃的な言い方で、イクメンを非難しているわけではない。氏はこの記事で、ある種の人々の持つイクメンに対するやっかみを、ソフトに代弁しているに過ぎないのだ。
僕の周りには、そもそも育児休暇を取れるような企業に勤めている人が少なく、代々続く個人商店を継いでいたり、建設現場で日夜汗を流すガテン系だったり、変わったところだとスポーツ選手だったり。そんな親父仲間が多くいます。みな、子どもと一緒にいられる時間は限られていて、休みも不規則だったり、「もう 3ヶ月まともに休んでない」なんて人も。

これを見ると、前島氏の想定するターゲットは商店主・ガテン系労働者(とスポーツ選手)であり、男でも育休をとれるような(大)企業の勤め人と対比されているように見える。

「おれら庶民は、育休なんてとれねーよ」
「子供との時間なんて、仕事が忙しすぎて、もちたくてももてねーんだよ」

というような人々の叫びをすくい上げ、「男は自分の生き方を示すだけで十分」と安心させている。「背中で育児」系の言説は、このような社会的機能を持っているように見える。

つづくかも。

本を作る仕事 [育児]

ムスメ(小1)の将来の夢が次々と変わる。まあ、小さい子供にはありがちなことだ。

ケーキ屋さん、バレリーナ、ピアノの先生、あるときは考古学者なんて難しげな職業をあげたりもしていた。

最近ムスメが凝っているのは、「本を作る人」である。

「本屋さん」とはちがうらしい。自分で企画を考えて、時に原稿も書く。いわゆる「編集者」のことだろう。今ムスメが暖めている本の企画は、「物の仕組み」。パーティーの時にならすクラッカーとか、カニのハサミとか、それがどういう仕組みで音が鳴るのか、開いたり閉じたりするのか、自分なりに考えて、自分のノートにせっせとイラストなどを描きためている。でもって大人になったら本にするんだと。

それにしても、どうしてそんな職業のことを知っているのか?

いささか手前味噌というか、宣伝っぽくなるけど、この冬、僕はこの本をつくる手伝いをしていた。

エジプト (絵を見て話せるタビトモ会話) (絵を見て話せるタビトモ会話 中近東 2)

僕がやったのは、観光地や料理などの解説、それからアラビア語単語などの文字情報をエクセルに打ち込む作業。そうしてできた原稿を編集部に送ると、きれいなイラストのついたゲラが送られてきて、それをまた校正するという作業。冬休みのあいだ中、家にいて、そんなことばかりしていた(おかげで予定していた研究論文を二つばかり落としてしまった。わっはっは)。

ムスメは一冬のあいだ、この作業をずっとみていて、原稿がゲラになり、一冊の本になっていく過程をおもしろいと思ったのだろう。まあ、なんとも、ウイ奴である。

こうして子供は少しずつ、社会の仕組みを知っていくのである。ムスメの社会勉強になったのであれば、落とした論文2本も無駄ではなかったな。わっはっは(これが後に大変な事態を引き起こすとは、このとき僕は知るよしもなかった)。

そんなわけで、うちのムスメも感動するほどすばらしい本に仕上がっていますので、興味のある方は是非一冊お買い求めください。って結局宣伝になっとるやないか!

伸びゆく命と薄れゆくおじさん [育児]

この週末にまた年を取りました。

多くの中年世代同様、年を取ること自体はもうずいぶんと前にうれしいことではなくなったのですが、ここに来て、娘の成長を確認するという意味から、誕生日が新たな重要性を持ち始めています。
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父娘のツーショット。左が僕です。髪の毛の心もとなさに、なんだかリアリズムの萌芽が感じられますが、触れないで下さい。眼鏡のつるの部分が緑色なのは、こないだそんな眼鏡を新調したためです。まあ幸せなことでございます。

それにしても、伸びゆく若い命の頼もしいことよ。最近補助輪無しの自転車にも乗れるようになった彼女の筆致には、日々成長する者特有の自信に満ちあふれています。鏡文字もなくなりました。

さて、この父娘の蜜月は一体いつまで続くものと期待して良いものやら。10歳を境に娘が父親に寄りつかなくなる、という話もよく聞きます。まあ、僕の努力次第かも知れません。

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