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シャバーブ革命後のシャバービー歌手 [音楽]

エジプトでの今回の一連の事件。これをなんと呼ぶかについては、日本語メディアの中でも意見が分かれているようだ。チュニジアのジャスミン革命にならって、ロータス(睡蓮)革命と呼ぶ者、エジプトの植物と言ったらパピルスだろと言う者、フェイスブック革命だ、ツイッター革命だ、革命2.0だ、いやただエジプト革命と呼べばいいのだ、などなど。

しかし現地メディアを見れば、革命の呼称はいたって明快である。ズバリ、「1月25日若者革命」、あるいは単に「若者革命」と呼ぶことも多い。「若者」の原語は「シャバーブ」。したがって本ブログでも、今回の革命を「シャバーブ革命」と呼ぶことにしたい。

さて、シャバーブ革命と言うなら、本ブログでいつも紹介している「シャバービー(若者向け音楽)」のスターたちの動向に注目されるところだ。しかし、3つ前のエントリ「エジプト革命とエジPOPスター」で述べたように、彼らシャバービー歌手たちの多くは旧体制側のメッセージを伝えるかのような歌を発表し、ムバラク退陣を求めるシャバーブたちには冷淡であった。

そんなシャバービー歌手たちに対し、革命シャバーブたちも容赦はなかった。すでにデモの期間中に、facebook上に「政府の手先芸能人ブラックリスト」を作っていたという(参考記事:ElaphAl BawabaAsharq alAwsat)。タハリール広場にきたターメル・ホスニーが速攻でつまみ出されたのも、彼の名前がすでにそのブラックリストに載っていたからだったのだ。

しかし、シャバーブの支持を失ってしまっては、シャバービー歌手にとってはおまんまの食い上げである。革命が一段落した今、シャバービー歌手たちは名誉回復に必死のようだ。

まず笑えたのはElaphのこの記事。デモ隊が去った後のタハリール広場をエジプト市民が自主的に清掃活動をした、っていうニュースが話題になったが、なんとそこにエジプトの氷川きよしことハマダ・ヒラールの姿もあったという。ていうかあんたデモの間どこにいたのよ?はっきり言ってすごくどうでもいい記事。

しかしまあハマダ君は特にデモ中、目立った活動をしていなかったので毒にも薬にもならなさそうだが、あからさまに旧体制支持の歌を発表しちゃった歌手の場合は事情は深刻だろう。たとえばイハーブ・タウフィーク。以前紹介したとおり彼は、「エジプト人よ、さあ帰ろう(タハリール広場から!)」という歌を歌っちゃってる。そんな彼が革命後発表したのがこれ。「エジプト人の子供」

手のひらを返して革命を賛美する姿勢に、またも笑ってしまった。国旗を振りつつ「ウンム・ッドンヤ、マスル!(世界の母、エジプト!)」と歌うラストが圧巻だが、youtubeのコメント欄では「偽善者!」と思い切りののしられている。

そして今回一番注目を集めている(悪い意味で)のがターメル・ホスニー。革命のさなかに、デモ中の犠牲者を追悼する歌を発表しているのだが…

「ロマンスィー王子」の本領発揮ともいうべき、きわめて彼らしい良い曲だと思うんだけど、これを発表したあとに、例のタハリール追い返され事件が起こっている。よっぽどテレビでひどいこと言ったんだな。

で、革命後に彼が発表したのがこれ。「おはようエジプト」

例によって当たり障りのない愛国ソングだ。最初の方に出てくる女性モデルが、ipadでフェースブックのサイトを見ているシーンがあって、なぜだかエジプト国旗を画面いっぱいに映し出したりしているのが、なんだか見ていて痛々しいくらいにけなげな感じがする(ターメルが)。

ターメルにせよイハーブにせよ、結局、早い段階でリアクションをして、それがデモに参加していたシャバーブたちの反感を買ってしまったというのが敗因だろう。もちろん、事務所の意向だかなんだか知らないが、彼らに体制よりの歌を歌わせようとしたお偉方の存在、というのもあるかもしれない。確かターメルもイハーブも、所属するレコード会社はエジプト企業だったと思う。

一方で、タハリールのシャバーブたちに歓迎され、革命後も高い人気を保っているシーリーン姐さんは勝ち組と言えるだろう。彼女が幸運だったのは、デモ開始時には湾岸ツアーの真っ最中で、エジプトにいなかったこと。つまり、どう振る舞うかじっくりと考える猶予があったのだ。(それはターメルとて同じだったのだが、何を血迷ったか電話インタビューに答えてしまった)。また、シーリーンの親会社がRotana(湾岸企業)であるのも、何か関係があるかもしれない。Rotanaがムバラクの顔色をうかがう必要などないからだ。

一人勝ちのシーリーン姐さんが、アハラーム新聞のWEB雑誌部門のインタビューに答えて、いろいろ偉そうに語っている記事。「今こそ私たちの声を世界に聞かせる時よ!」みたいな。

ターメルやイハーブは、確かにうかつだったかもしれない。しかし、デモの最中は彼らのような考え方をするエジプト人も、結構いたはずだ。つまり、「もう出馬しないと言ってることだし、そろそろ事態を丸く収めようよ。正直もう生活苦しいし」と。ターメルたちはそんな声なき声の代弁者であったはずだ。革命が劇的に幕を下ろした今となっては、ターメルたちばかりがはしごを外された形になり、「親ムバラク」のレッテルを貼られているが、実際にはタハリールに集まった人と集まらなかった人との間には深い亀裂が刻まれているのかもしれない。

そんなエジプト人たちの心を再び一つにするためには、ターメルたちシャバービー歌手の責務は大きいと思うんだけど。今彼らが慌てて発表している愛国ソングが「みそぎ」となって、早く人気を回復してもらいたいものである。エジプトには、ロックやラップだけでは物足りないのだ。
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