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アラブのアイデンティティ複合 [仕事]

8dc4058f.bmp以前、雑誌『遠近(をちこち)』に載せてもらったエッセイでは、昨今のアラブ・ポップスの動きを見ていると、「かつてのアラブ主義が息を吹き返しているように見える」などと書き散らしたものだが、今にしてみれば若干単純化しすぎた物言いだったかなとも思える(このエッセイの内容についてはカフェ バグダッドさんのブログで紹介してもらっています)。実際にアラブ芸能界で起こっていることは、もっと複雑だ。

例えば以前何度か取り上げた「ぷちイスラーミズム」。オシャレな若者が、さりげないイスラーム的実践に引きつけられるという現象だ。歌手サーミー・ユースフのビデオクリップはエジプト人スタッフによるものだが、彼の歌の国境を越えた受容のされ方は、この現象が「アラブ」という枠組みを超えた理念的「イスラーム世界」への帰属を訴えていることと合致している。

その一方、人気歌手ナンシー・アジュラムが歌う「私はエジプト人」に見られるように、(エジプトの)一国主義的価値観を表明する歌もある。先のエジプト大統領選挙期間中、テレビで頻繁に流されていたシーリーンの「わが祖国」など、この手の歌も1つの潮流を成していると言っていいのではないか。これがレバノンへ行けば対応物として、一連のハリーリー追悼ソングがあったりする。

で、上に挙げた図だけど、これは加藤博氏が昔ある本で使っていた「アラブのアイデンティティ複合」の図だ。アラブ世界に住む個々人の帰属意識のあり方一般を示したものともとらえられるし、近代化の過程に現れたアラブの様々な政治運動を示すものとしてみてもいい(この図って今の学会でも有効なんですか?)。で、この図が、上に挙げたアラブポップスにおける一連のメッセージソングに現れる潮流を分析する指標としても、かなり有効なように見える。

ただし、このモデルを使って、例えばサーミーの歌を聴く層はニューリッチ、ナンシーを聴くのは低所得層、みたいな棲み分けが描けるとしたら(逆でもいいですが)、さぞ面白かろうと思うが、きっとそんな棲み分けなど描けないだろう。大半のシャバーブたちは、サーミーやWAMAも聴けば、ナンシーやシーリーンも聴く。むしろ、多くのアラブ人の意識が、上の図で言う白い部分をふわふわと漂うような「ぷち保守」的傾向にあるんじゃないだろうか。これを「アイデンティティ複合」とか「選択的アイデンティティ」などと格好いい言葉で呼んでみても、何も始まらないのではないか。

...ってなことを、こないだの某大オープンカレッジでの講義の際に語ってきました。いやー、我ながら、ビデオクリップとオンラインの芸能ニュースサイト、それからブログに寄せられた意見だけで、よくもまあこんな大風呂敷が広げられたなあと、あきれてしまいます。どなたか卒論とか修論とかでこのネタ使いたい方がいたら言って下さい。動画資料(ビデオクリップ)を提供します。
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