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アラブの中のエジプト離れ [音楽]

2854453d.jpg先週水曜、チュニジアから日本に来ている方と話す機会があった。日本語ぺらぺらの方であったので、ずっと日本語で話していたのだが、どうやら彼はエジプト方言があまり好きではない様子だった。もちろん、エジプト以外のアラブ人の間では、エジプト方言は、通じはするがあまりよい感情は持たれていない、ということは僕も先刻承知だった。

しかし、僕を驚かせたのは、そのチュニジア人が「レバノン方言はきれいだ」という感想を持っていたということ。しかもその感想は、多くのチュニジアの若者にも共有されているらしく、それもこれも、今チュニジアで最も流行っているテレビ番組「スターアカデミー」の影響だと言うことである。

これまで、意図的にせよ無意識にせよ、様々な機会に、アラブポップスの中でのエジプト方言の優位性を語ってきた僕にとっては、身の引き締まる思いがした。もちろん、彼1人をもってチュニジアの若者全体を代表させることはできないのだが、しかし、今までの自分の考えを見直してみる必要はあるようだ。

さらに先週金曜のJFアラブ音楽講座、サラーム海上さんの講演で紹介された強烈なグナワの世界。モロッコにおける新しい音楽の指向性。カイロの音楽シーンとは全くかけ離れた世界が、アラブ圏に存在するということは、これまた僕にとっては大きな衝撃だった。

はっきりと言おう。

「今アラブ世界では、エジプト離れが進んでいるのではないか?」

今まで僕はこのことにうすうす気づいていながら、あまり認めたくない、という気持ちから、この話題からは目をそらしていた。

いや、以前雑誌『遠近』に書かせてもらった音楽コラムでは、最近のアラブ芸能界再編成の機運を指摘している。そこでは、エジプトの相対的な地盤沈下と、それに変わる湾岸音楽産業の興隆をあげていた。

しかし、くだんのチュニジアの事例に見られるような「スタアカ」ブームによるレバノン方言の流行、そして、モロッコのグナワに見られるようなアフリカンな影響などは、今まで考えても見なかったのである。やはり近年になって、エジプトはかつての求心力を失ったのだろうか?

否!否である。僕の心の中のエジプト人が反論する。

今でもまだ、エジプト人でもない歌手がエジプト方言で歌っているではないか!まだエジプトはアラブの中心なのだ!

しかし、である。冷めた目で考え直してみよう。今エジプト方言で歌っている非エジプト人歌手とは、どんな連中なのか、ということを。

例えば上の写真のマリア。albawaba.comの記事によると、次のアルバムは8曲のエジプト方言曲が入っているという。そのうち一曲は「ネフェルティティ」という歌だそうだ。ネフェルティティと言ったら古代エジプトの王妃、そんな歌を歌って喜ぶのはエジプト人くらいだろう。そう言えば「コーンフレーク風呂」のビデオクリップで世間を騒がせた「Elab」もエジプト方言だった。

それからハイファ、マルワ、そして大バッシングが起こっているダーナなんていうのも、みんなエジプト方言で歌っている。つまりは、セクシー系きわもの歌手が、軒並みエジプト方言で歌うのである。

彼女たちがエジプト方言を採用するのは、エジプトがアラブの中心だからではない。ずばり、エジプト市場をカモにしているのだ。ナワールもディヤナも、めっきりエジプト方言曲を歌わなくなってしまった今、エジPOP業界はエジプト人歌手以外、きわもの歌手がのさばる巷と化している。

しかし、それでもエジPOPファンは希望を失ってはいけない。そう、我々にはまだナンシーがいるのだ!グラビアを卒業しても、まだエジプト方言で歌い続けるナンシーが。ナンシー万歳!
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