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アバーヤを脱いだ新人歌手 [音楽]

bc9f38fb.BMPなんだかマフムード・アル・エセイリーばかりを褒めているけど、今回のエジプト旅行でのナンバル・ワンは、彼ではありません。この人です。

僕が留学開始した2000年から、このアマール・マーヘル(当時は「アーマール..」だった)という歌手のことはよくテレビで見てたんですが、その後の活躍が全然つかめなくて、やきもきしていました。それがここに来て、ようやくブレークしたようで、すでに7年間待たされた僕としてはうれしいったらないですよ。

7年前と言ったら、第二次インティファーダが始まった年、アラブポップスの世界ではそれに連動して、いろんな歌手がパレスチナ支援ソングを発表していました。そんな時に、当時確か18歳だった彼女は、アラブ風オーケストラをしたがえ、伝統アラブ歌謡のスタイルでもって「アラビーヤ、アルドゥ・フィラスティーン!(アラブ民族、パレスチナの土地よ)」という民族主義的内容の歌を歌っていたものでした。この曲は当時、国営テレビでことあるごとに流されて、ホントに毎日のように聴かされました。

またある時は、10月6日などエジプトの国家的祝祭の日に、オペラホールの舞台に立ってウンム・クルスームの歌を朗々と歌う姿が中継され、客席のムバーラク大統領夫妻もご満悦、というシーンをみた覚えもあります。歌唱力は大統領認定!といった感じでしょうか。

とにかくその頃の彼女と言ったら、若いのに古めかしい曲調の歌を歌い、それが国民的人気、というか国家的賞賛を受けていて、エジプトでテレビを観ている人なら知らない人はいないくらいだったのですが、それでも他のポップスターのようなビデオクリップなどは作らず、それ以前にカセットさえ売り出さず、「一体何者なんだ?」と僕は非常に不思議に思ったものでした。

それ以上に僕が感銘を受けたのは、彼女のルックスの良さです。いやこれは冗談でなくて。当時はエジPOP界にはルビーはおろか、シーリーンさえ現れてませんでしたから、彼女のように若くてきれいな歌手でエジプト人、と言うのは、本当に奇跡のような存在だったわけです。少なくとも僕にとっては。

で、今回の突然のイメージ・チェンジです。僕は最初彼女のアルバムを店でみたときに、「(アーマール・マーヘルと)よく似た名前の新人だなあ。スターアカデミーか何かか?」と思ましたが、CD屋の店番のお姉さんに彼女が何者か聞いたところ、「アマール・マーヘルがスターアカデミー出身だって?まさか!彼女は昔、ウンム・クルスームのオペラを歌っていたのよ!」と言われ、ようやくあのアーマールとこのアマールが同一人物であることに気づいたのでした。

彼女のイメチェンの裏に何があったのか分かりませんが、調べてみるとElaphなどでも記事になっていました。

Elaph「アマール・マーヘル、ウンム・クルスームの衣(アバーヤ)を脱ぐ」

販売元はAlam el-Phan、プロデュースはモフセン・ガーベル。かのアムル・ディヤーブを世界に送り出した(そして3年前に喧嘩別れした)、あの敏腕プロデューサーです。彼女の伝統歌謡の素養を生かし、東洋趣味的フレーズをほどよく織り交ぜつつ、いずれも聴きやすいポップスに仕上げています。全体の傾向としては「ロマンスィー」な感じでしょうか。エジプトの若者にも受けは良いはずです。

CDジャケット写真を見るとなんだか化粧やファッションが取って付けた感じでおぼこい風情が見て取れますが、たとえばこのビデオクリップなどをみてみて下さい。

YouTubeより

ルックスではアンガームの上を行き、歌唱力ではある意味シーリーン以上、ルビーなどとは比べる手段さえありません。エジポップ界最強の女性歌手の登場ではないでしょうか?
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