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それでも英雄好漢と言えるのか [TV]

楽園の瑕

ウォン・カーワイ監督の『楽園の瑕』(原題『東邪西毒』)を何年かぶりかで観る。もちろん、これも最近のマイブームであるところの「武侠モノキャンペーン」の一環だ。

武侠ファンには周知の事実、僕は最近になってようやく認識したのだけど、この映画、中国語世界では知らない者はいない人気作家、金庸の武侠小説『射チョウ英雄伝』に出てくる登場人物の若き日のエピソードを、ウォンカーワイが勝手に創作して撮ったものだという。最初に観た時にはそんなことは全く知らず、ただただ映像の美しさとレスリー、トニー(ってもちろん梁朝偉の方。梁家輝ではない)の格好良さだけが印象に残っていた。

それから僕もずいぶん年を取り、最近は観ていなかったけどウォンカーワイ映画のお洒落っぽさへの免疫もできていたようだ。確かにレスリーとトニーの絡みのシーンなんかは絵的に文句なく格好いいけど、登場人物が終始独白するスタイルを観ていると、「ちょんまげ版恋する惑星」じゃないか?などと思ってしまった。いや、善し悪しは別にして。

また、武侠ドラマを見慣れた目で観ると、東邪や西毒といった英雄たちが、女のことでうじうじ悩んでいるだけ、というのもすごい違和感を感じた。いや、そういう英雄たちの姿も面白いし悪くはないのだけど、この映画が香港で公開された当初はものすごい悪評で、公開一週間くらいで打ち切りになった、というエピソードもうなずける気がした。そらー怒るわな、武侠ファンは。

というわけで、1994年当時の香港の人たちとの一体感を感じつつも、ウォンカーワイはきっと死ぬまでウォンカーワイ節をとり続けるのだろう、それもまた人生、などと達観したことをつぶやきながら観ていたのだけど、一つだけ、許し難い部分があった。映画の中で、金庸小説のネタばれをしている部分があったのである。

<以下、ネタばれをふくみます>

ジャッキーチュン扮する洪七が、レスリー扮する西毒のもとをさるシーンで、その後に流れるテロップ。

「2人は後年、何とか山で戦い、互いに壮絶な最期を遂げる」

とか何とか書いてあった。これ、金庸小説に何の興味もない人と、全部読み終わってしまった人にとっては、全く問題のない箇所だけど、不幸なことに僕はこのとき、ちょうど、『神チョウ剣侠』(『射チョウ』の続編)を読もうとしているところ。西毒が洪七が死ぬシーンは、まさに『神チョウ』の2巻目に書いてあるのだ!くそー。余計なテロップつけやがって!
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